親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

新たなる醜態

『推し』って言葉が好きじゃない。好きじゃないを通り越して嫌悪感すら抱く。

キャラクターの名前の最初の二文字(または漢字一文字)ずつを使ってカップリングを表現するのが好きじゃない。元々 BL の受け攻めを指す意味として使われていたからか、嫌悪感を抱いてしまう。

名前の最初の二文字を使うカップリング表現は現代において『タグ付け』的意味があるので仕方ないにしても、『推し』ってなんだよ!昔から使われてる言葉があるだろ!って思ってしまう。それに響きがなんだか軽い。お金をつぎ込むだけつぎ込んで、飽きたら新しい『推し』にあっさり鞍替えしてしまいそうな軽薄さがある。

そんな流行りに乗れない自分が嫌だな、と思いつつも「とっとと『推し』って表現廃れてくれないかな」と思っている自分がいる。

 

話は変わるが、六花と夢芽の新規描き下ろしイラストのグッズが発売されるようだ。最近毎週のようにこの手のグッズが発売されている気がする。円谷とポニーキャニオン味を占めたな!

プロが描き下ろしているだけあって、当然上手い、可愛い。でも食指は動かない。かわいい、以上の感情がない。正直のところ、X(旧 Twitter)にアップされているファンアートの方が見て感動できるような気がする。

しかし、六花や夢芽の使い方はこれが『正しい』のだ。

アニメキャラはそう、お金を稼ぐための存在だ。新規イラストもアニメーターさんが食べていくために必要。分かっている。金も落とさず文句ばっか言ってる俺はもう客ではない。かわいいかわいいと買ってくれる『グリッドマンユニバース』を『推し』ているファンこそ客なのだ。

こんな記事を書いていたら、やっぱり何か買った方がいいなと思い始めてきた。X(旧 Twitter)でアニメキャラの名前を投稿しているだけのおっさんに成り下がってしまった自分が嫌になってきたからだ。フルパワーグリッドマンとバーンブレイバーン並べて飾りたいなあ。

X(旧 Twitter)を眺めていてふと思った。

「今俺幸せか?」

答えは NO だ。

快感は抱いているが、それは幸せではない。快感の奴隷になってしまっているだけで、むしろ不幸せだろう。

Youtube で毒にも薬にもならない、むしろ時間を浪費しているだけある意味猛毒の動画を意味もなく見たり、ただの色がついた砂糖のようなお菓子を漫然と口に運んだり、脂の塊のようなジャンクフードを食べたり。これらは快感を抱く行為だが、幸せではない。

逆に自分が幸せだな、と思うときはどんなときか考えてみた。

面白いアニメを見て興奮したりゲラゲラ笑っているとき。

面白い小説を読み終えたあとに読了感を抱いているとき。

好きな声優の ASMR を聴いているとき。

小説を書いていていいシーンが書けたとき。

前述のような快感を覚えているときと比べて『刺激』は少ないが、時間を浪費したという感覚はまるでない。幸せだなと思えることだけに時間を使えたときは達成感さえ抱いてしまう。

これからなるべく『幸せ』だと思えることに時間を使うようにしたい。「幸せだな」と感じられず、やる必要もないことはやらないようにする。SNS で顔も知らない誰かの悪行を見てイラっとしてる時間なんて1ミリ秒もない。

 

そしてもう一つ。最愛の女の子と特に会話もなくゆったりと過ごす時間。きっと幸せなんだろうな。来世は南さん係になりたい。

 

 

ふれあい

整骨院で施術中に先生(男性)に背中をペタペタ触ってもらっていたら、不思議と安心感があった。

自分の性自認は男性で性的指向は女性の多数者だ。

なのにも関わらず、不思議と安心感があった。

整骨院もそこそこ長い期間通っていて、しかも施術してくれるのは大体同じ先生なので、通院のたびに雑談をしたりする。しかし背中を触ってもらって安心感を抱くほどの仲かというと……そうでもないと思う。

自分は普段リモートワークで、休日も1人外に出ず過ごしていることが多い。平日にはビデオ通話をすることは多いが、生身の人間と触れ合うことはない。

人類が言葉という能力を会得したのは人類の歴史全体から見るとつい最近だ。しかしそれより昔はろくなコミュニケーションを取っていなかったかと言えばそんなことはなくて、鳴き声、そして体の触れ合いで互いの気持ちを感じ取っていたのだ。

だから体を触れ合えない期間が長いと今日みたいなことが起きてしまうのは当然のこと!

新条アカネちゃんとベッドの上でイチャイチャペタペタしていたいなあ。細くて柔らかそうな体を堪能したい!

 

一般独身男性のプロテインとアニメの日曜日#プロテイン#アニメ

AM 07:10 アラームで起床。最近は二度寝を防ぐために洗面台にアラーム用のスマートフォンとタオルを置いて寝るようにしているが、今日は日曜日。迷わず二度寝を決める。

AM 08:00 スマートウォッチのアラームで目を覚ます。今度はすぐにベッドから出る。ニチアサを見るためだ。顔を洗い朝食のプロテインとサプリを飲む。

AM 08:30 - 10:00 『わんだふるぷりきゅあ!』『仮面ライダーガッチャード』『爆上戦隊ブンブンジャー』を見る。

プリキュアは普段見ないのだが、上田麗奈さんが演じる猫屋敷まゆ目当てで見ている。ビジュアル的にそこまで好みでなくても、上田さんが演じるだけで不思議とめちゃくちゃ可愛く見えてしまうのだ。猫屋敷まゆは見た目もキャラも好みで、声: 上田麗奈だ。わんだふるぷりきゅあ!は見ていて普通に面白いのだが、数分だけしか出てこないのにも関わらず 8 割は猫屋敷まゆ目当てで見ている。来世は彼女の愛猫であるユキに転生したいなあ。

ここまで書いてふと気づいたのだが、『わんだふるぷりきゅあ!』も『仮面ライダーガッチャード』も広義の『女の子目当て』で見ている気がする。前者は猫屋敷まゆ目当て、そして後者はヒロインの九堂りんね目当て。

個人的には九堂りんねは平成/令和ライダーヒロインの中で一番かわいい気がする。今までは仮面ライダーゼロワンのイズがゼロワン……ではなくナンバーワンだったのだが、九堂りんねが王座を奪ってしまった(作品自体の雰囲気もどこか深夜アニメっぽいということも相まっている気がする)。

本来の作品の楽しみ方ではない。やめるべき……なのだが、ハーレムラブコメ作品の主人公のように「女の子なんてもう懲り懲りだ!」と思えるくらいにならないと無理な気がする。

AM 10:05 重い腰を上げて創作を始める。最近は腰が重い、時間を取ってもつい他のことをし始めてしまったりで日々の進捗が微々たるものだ。

だからこそ気合を入れて書き始めたところ、想像力の歯車が回り始めたところでネガティブなことを想像しはじめてしまった。精神的リストカットというやつだ。深呼吸をして心を落ち着けて作業を再開する。

AM 11:45 どうしようもなく腹が減ってきた。昨日からジャンクフードが食べたい気分で、約 1 年ぶりにマクドナルドのハンバーガーをテイクアウト。僕ヤバを見ながら食べ始める。

新キャラの声に聞き覚えがある……。上田麗奈さんだ!

嬉しさもあった反面、僕ヤバは『出演声優』という邪道な楽しみ方をしたくなかった。だから上田麗奈さんには出演しないでほしかったなという最悪かつ意味不明なことを思い始めてしまった。悪いのはお前だ。

僕ヤバでメンタルをこれでもかと揺さぶられまくった後ぽんのみちを視聴し、【ASMR】VTuberに転声してみた 〜上田麗奈→リリア・フランジオ〜【超ウィスパー・耳かき・耳吹き】を聴いていたら耐えられない眠気に襲われ昼寝を開始。そして気がつけば 17 時になっていた。

絶望!!!!

きっと来週も、いや来年も同じような日曜日を送っているのだろう。しかしまったく変化がないわけじゃない。体はちょっとずつ老化していく。そしてある日孤独死して、黒いシミになるのだろう。

いやだ~~~~!!!!(声: 千本木彩花)

新人賞を取るか、不労所得で FIRE するか、女性声優と付き合うか何かしてつまんねえ毎日を変えるぞ俺!!!!!!

自己防衛黒髪ロングストレート美少女(中身はおっさん)

スーパーヒーロータイムはここ数年はずっと見ているのだが、プリキュアはなんとなく見ていた『スタートゥインクル☆プリキュア』を除いてずっとスルーしていた。

しかし最新作『わんだふるぷりきゅあ!』は見ることにした。理由は上田麗奈さんが出演しているから。1話では上田さん演じる猫屋敷まゆの出番はほんの少しだったものの、これからに期待だ。

あまりいい決め方とは思っていないが、自分は毎クールで視聴するアニメチェック時に出演声優で見るかどうかを決めることがある。もちろん、優先順位としてはそこまで高くない。いわゆる『なろう系』だったり、女性向けだったりと自分の好みと合わないものは好きな声優が出ていてもスルーする。とはいえ、好きな声優の声は聞いているだけで脳が快感を覚えるので、微妙に好みが合わないくらいではとりあえず見てみることにしている。

そんな自分だが、声優自身については知ろうと思わない。人気のある声優ならラジオを持っていることもあるが聴かないし、イベントにも行かず、アニメのムック本に本人のインタビューがあっても読み飛ばす。

でも作画監督や監督のインタビューはちゃんと読む。没になってしまった設定など、作品の裏話は読んでいて純粋に面白い。

しかし、声優はやっぱり『解釈』の話に終始してしまう。そしてそれは悪いことでもなんでもなく、キャラクターを演じるのだからむしろ着目点がキャラクター自体に向くのは当然のことだ。だが『解釈』はアニメの演技を通して知れるので、わざわざ言葉で語って貰う必要もないかなと思うのだ。

それに、中の人を知ることはいいことより悪いことの方が多いのではないかと思っている。仮に彼女の人柄を知って魅力的な人だと思ったとしよう。しかしそれはやっぱりよそ行きの『装った』人柄のはずだ。なにしろ声の俳優なのだから。

それにもしガチ恋でもしてしてしまって『ご報告』を食らってしまったらしばらく回復することのない精神ダメージを受けてしまうだろう。これは自己防衛なのだ。

成長と老化の共存

ふと唐揚げが食べたくなった。しかし今はダイエット中。唐揚げなんてダイエット中に食べてはいけない食べ物のトップ5に間違いなく入るだろう。

しかし筋トレの強度を上げたことが功を奏し体重は落ちつつあるし、普段は低糖質なものばかり食べている。今日くらいちょっと脂っこいものを食べたところで目標体重達成までの期間が1-2日伸びるだけだろう。それに冬季うつとまではいかないがなんだか気が滅入っていた。道を歩いているとふいに叫びたくなることもある。こういうときは好きなものを食べるのが一番だ。

徒歩10分のところにあるスーパーではなく、あえて徒歩20分のスーパーまで歩く。道中幸せそうなカップルや、公園を通ってショートカットしようとしたところで親子連れが視界に入ったところで心がザワつくが、「俺は今心がザワついている。落ち着け」と自分の感情を一歩引いたところで見る技を使って心を落ち着ける。

帰り道自分の人生を考える。時間の使い方を変えなければ、自分は間違いなく孤独死コースだろう。とはいえネグレクトはしていない。健康に気は使っているし、見せる相手がいるわけでもないのに服は定期的に買い替え、スキンケアやヘアケアもちゃんとしている。老いるのは怖いし、万が一、万が一何かチャンスがあったときを考えてのことだ。

もし違う世界線で自分が父親だったとしたら、そんな自己投資はしないだろうし、そんな余裕もないだろう。自分自身の手入れは最低限しかしないようになり、残ったリソースはすべて子供へつぎ込むことになる。自分という体の栄養を子供に分け当てるように育てていき、子供が一人前になるころにはしわだらけの、くたびれた存在になる。しかしそれはおかしなことではなく、人類の歴史で連綿と受け継がれてきた『理』だ。自然界ではごくごく自然のことである。

そういう意味では、自分は大人であり、老化していく子供のようなものなのかもしれない。子供はいないから、自分という子供を育てていく。しかしその子供は成長していくのではなく、老けていく……。陳腐な言葉だが、穴の空いたタライに水を足していくような日々なのだ。

ガス抜きの連続を強いられる男の苦悩

今日は朝から性欲が売れるほどあった。

起きてすぐに一発。

在宅勤務なのでお昼休みに一発。

夕飯後に一発。

今日は平日である。いくらなんでも元気すぎるだろ俺。

しかしこれは性欲が強いのではない。性欲が腐っているのだ。

昔風船のように膨らんだイヌの死体が川を流れているのを見たことがある。

今、我が性欲は腐敗してガスを放っている。だからガス抜きを 3 発もしなければならないという情けない状況になっているのだ。要は欲求不満だ。

自慰行為は性欲を『おさめる』ことは出来ても満たすことはできない。一口に性欲といってもそれは複雑な他の欲求も含んでおり、射精するだけでは欲求の一部分しか満たすことが出来ない。文字通り『愛し合う』必要があるのだが、今みたいな生活を続けているうちは一生ガス抜きをするしかないのだろう。死にたい。

 

今日は上田麗奈さんの 30 歳の誕生日なので『ご報告』が来るのではないかと一日中ビクビクして過ごしていた。気分はまさに死刑執行が今日ではないかと怯える死刑囚だ。

まあ、男いるんだろうけど。死にたい。