親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

成長と老化の共存

ふと唐揚げが食べたくなった。しかし今はダイエット中。唐揚げなんてダイエット中に食べてはいけない食べ物のトップ5に間違いなく入るだろう。

しかし筋トレの強度を上げたことが功を奏し体重は落ちつつあるし、普段は低糖質なものばかり食べている。今日くらいちょっと脂っこいものを食べたところで目標体重達成までの期間が1-2日伸びるだけだろう。それに冬季うつとまではいかないがなんだか気が滅入っていた。道を歩いているとふいに叫びたくなることもある。こういうときは好きなものを食べるのが一番だ。

徒歩10分のところにあるスーパーではなく、あえて徒歩20分のスーパーまで歩く。道中幸せそうなカップルや、公園を通ってショートカットしようとしたところで親子連れが視界に入ったところで心がザワつくが、「俺は今心がザワついている。落ち着け」と自分の感情を一歩引いたところで見る技を使って心を落ち着ける。

帰り道自分の人生を考える。時間の使い方を変えなければ、自分は間違いなく孤独死コースだろう。とはいえネグレクトはしていない。健康に気は使っているし、見せる相手がいるわけでもないのに服は定期的に買い替え、スキンケアやヘアケアもちゃんとしている。老いるのは怖いし、万が一、万が一何かチャンスがあったときを考えてのことだ。

もし違う世界線で自分が父親だったとしたら、そんな自己投資はしないだろうし、そんな余裕もないだろう。自分自身の手入れは最低限しかしないようになり、残ったリソースはすべて子供へつぎ込むことになる。自分という体の栄養を子供に分け当てるように育てていき、子供が一人前になるころにはしわだらけの、くたびれた存在になる。しかしそれはおかしなことではなく、人類の歴史で連綿と受け継がれてきた『理』だ。自然界ではごくごく自然のことである。

そういう意味では、自分は大人であり、老化していく子供のようなものなのかもしれない。子供はいないから、自分という子供を育てていく。しかしその子供は成長していくのではなく、老けていく……。陳腐な言葉だが、穴の空いたタライに水を足していくような日々なのだ。