親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

田舎出身者の悩み

ふとした時に将来実家をどうするかを考えることが増えてきた。

幸い両親はまだ元気でしばらくは問題を先送りにはできそうだが、根本的な解決にはならない。

いくつか選択肢的を挙げるとこのあたりだろうか

  1. 売る
  2. Uターンする
  3. 二拠点生活

まず1の売るという選択肢だが、田舎すぎてそもそも買い手がいるかという問題がある。

交通の便は悪いし、山しかない。豪雪地帯なうえに田舎特有のコミュニティもある。都市部近郊の『程よい田舎』に勝てる要素が何一つない。仮に買い手が見つかったとしても、すぐに売り払われて廃墟になってしまうのも悲しいし、そもそも手放すこと自体に罪悪感がある。

続いて2。前述の通りど田舎だ。都会ぐらしに慣れてしまった自分には地元で生活することは耐えられないし、考えられない。

それに100%一人暮らしをすることになるだろうが、なんだかんだで実家には様々な思い出が詰まっている。それなのに思い出の中にいる両親や祖父母は誰一人この世にいない状態で1人で住んでいたら精神的に参ってしまうに決まっている。

さらに田舎なだけあって土地だけは無駄に広い。田んぼも畑も私有地の山まである。それらを草刈りしたり、固定資産税も払わなければならないだろう。1人でやっていくのはムリだ。

第一車が必須だというのに、ペーパードライバー歴10年を超えているのに今更車を運転できる気がしない。

そして3。2のデメリットはそのままのしかかってくる上に、出費はさらに増えることになる。特急と新幹線を乗り継いでも首都圏からは7時間。飛行機だとまだ所要時間はマシだが、一往復でミドルレンジのスマートフォンを1台買えてしまう。自分の収入ではさすがに辛いものがある。そもそも車が運転できないし。

一応4という兄弟で共同所有にするという案もあるが、どう考えたって揉める気配しかしないので考えたくない。

ライトノベル新人賞に応募するようになってから3年間(と少し)を振り返る

最初に断っておくと、受賞したことをきっかけに振り返っている訳ではないことは注意願いたい。

 

少し前に第17回小学館ライトノベル大賞一次通過作品が発表された

他の新人賞で落ちた作品と新しく書いた作品の計2作を送ったのだが、残念ながらどちらも落ちていた。小学館ライトノベル大賞には3年連続応募していて、すべて一次落ちだ。

つまりライトノベル新人賞に応募するようになって3年経過したということになる。

今までの経歴は以下の通り。太字になっているのは他新人賞で落選したものを使いまわしせず、新たに書き下ろしたものを応募している。つまり3年ちょいで5作書いたことになる。

この惨憺たる結果を見れば分かるが、やはり壁は厚かった!!まあ分かっちゃいたけどw

もちろんここで筆を折るつもりは毛頭なくて、第17回小学館ライトノベル大賞落選作品は手直しして他の新人賞に送ろうと思っているし、今も新作のプロットを練っている最中だ。

この惨状を見た人はきっとこう思うことだろう。

「才能ないよ」

無論自分でも痛いほど分かっている。俺は平坂読先生にも渡航先生にもなれない。箸にも棒にもかからない小説を書いているということはその時間自分は死んでいたと同義だし、書いた小説はクラウドに保存しているのでデータの無駄遣い、つまりゴミを保存するのに貴重な電力を使わせてしまっていることにほかならない。

しかしここまで手応えがないのに応募するのをやめようと思わないのは、きっと何度も何度も何度も何度も女の子に袖にされまくった経験が生きているのだろう。まあ、コンコルド効果もあるかもしれないけど。

とは言え無力感と虚無感が少しずつ大きくなっていっているのは抗えない事実で、ほとんど創作に関わることをせずに1日が終わってしまうことも週に1~2日はある。そしてそんな日は自己嫌悪に苛まれてしまう。辛い。

創作って基本的にタイパが悪い。進捗がまったくない何時間も虚空に消えることもザラで、打つ手がないわけではないが、結局は出口の見えないトンネルを手探りで延々と歩き続けるしかない。

それに創作だけに時間を使っていられる状況ではないというのもある。転職をして給料は上がったが、その分会社から求められるものも増えた。業務中に得られる知識・技術だけでは足りないと上司からも暗に示されているし、常日頃危機感を抱いている。ここ最近は見て見ぬふりをしていたが、創作疲れの気晴らし(現実逃避)に積読状態になっていた技術書を読んだら押し込んでいた危機感が一気に吹き出してきた。

こういっちゃあれだが、創作に時間を使うより勉強したほうが実入りは間違いなくいい。給与テーブルを見ていると夢があるし、仮に他の会社に転職することになっても役に立つ。それに「年の割に俺何も知らないし何もできないじゃん!」という危機感と劣等感がある。理屈で考えたら何をやるべきかは言うまでもない。

しかしそれでもやめられない。創作をするようになって以前よりアニメや映画の見方が変わったし、うまい話が作れない自分に苛つきつつもいい展開を思いついたときの快感は他では得られない。

長々と話してこの結論にたどり着くのはなんだが、両方時間をやりくりしてうまくやるしか無いのだろう。ダラダラと YoutubeTwitter を見ている時間を捻出すればまだ時間は作れるはずだ!まあ、それが一番むずかしいのだが。やはり自分がダラけていたら叱ってくれて、頑張ったら膝枕をしてくれる黒髪ロングストレート黒タイツ美少女の登場が待ち望まれる。

バカみたいなことにお金を使わなくて済んでいる

Twitterの一部の界隈ではとある人物の不倫について盛り上がっていた。

まあ、正直のところ驚くに値しない。人間のオスたちは熾烈な競争に明け暮れていて、勝ち残るオスは性欲も強いしメスも寄ってくる。声優業界なんて少ない席を奪い合う椅子取りゲームの連続だ。そんな気の休まる暇なんて一瞬もない世界で生き残っていけるオスなんて性欲も強いに決まってるだろう。

成功した男に清廉さを求めるなんて間違っている。きれいな身なりをしていようが、一枚皮をむけば猿山のボスザルのような強烈な性欲が吹き出すのだ。

そしてそんな自分はといえば、どうしようもない性欲に苦しめられている。いつぞやに新宿にでかけたときは、目の前を間断なく通り過ぎていくカップルたちに羨ましさのあまり冷静さを失いその場でシティヘブンネットから店を探し始めたり(結局行かなかったけど)、目の前のタスクに全く向き合えなくなってしまうことすらある。しかし幸いにしてリモートワークのお陰で『催しても』苦痛を中和することができているし、外に出ることが億劫になったおかげで性欲を発散のために何万もの出費をせずに済んでいる。今は梅毒も流行っているしリスクが高い。

とはいえ、現状は望ましい状態ではない。オスの性欲は適切に発散させないと、思考回路に致命的なダメージを与えてしまう。ネガティブになりがちだ。そしてその精神状態になると、適切な発散とはますます無縁になっていく。

世の中の弱オスたちはどうやって耐えているのだろうか。俺には耐えられる気がしない。去勢?昇華?限度があるし、前者は意味がない。

強いオスには違う世界が見えているのだろうが、自分のような弱オスには性欲の解消というのは過程であって、欲求の一部でしか無いというのも重要だ。『特定の誰かから自分という人間を必要としてくれて、受け入れられたい』というのが欲求の全体像ではないだろうか。

将来は暗い。多分もう孤独死へ向かって大気圏突入しているだろうし、引き寄せの法則なんてバカバカしいものは信じてないが、人間は本人が思った通りの人間になる。言ってみれば自分から喜んで黒いシミになりたがっているということだ。

そんな状態ではあるが、いつも風俗に行っているフォロイーよりは性欲をなんとか抑え込むことができているし、女の子の愛を手に入れるには足りないのだが、一人で生きていくには困らないほどの収入もある。自分はまだ『マシ』なのかもしれない。だがそうやって「自分の現状はそんなに悪くない」と思おうとするのは向上心がない。精神的に向上心のない者はばかだ。

 

夜中にはネガティブ思考がはかどる

気がつけば日曜日の夜。ちょっと前まで金曜日の夜でウキウキしていたような気がするのに、信じられない。

金曜の夜には「今週末こそガンガン新人賞のプロットを進めていくぞ!」と意気込んでいたものの、1シーンも進まずに土曜日が終わり、日曜日が終わろうとしている……。信じられない!自分の土日だけ誰かが倍速再生しているんじゃないだろうか。

休日って時間が無限にあるような気がしてくるけど、無論そんなことはない。アニメの消化をしたりちょっとTwitterを見ていたらあっという間に夕方になってしまう。

映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形~を読んだせいか、録画したアニメも倍速消化しろという悪魔の囁きが耳元から聞こえてくる。

実は一時期だけしていたことがあるが、すぐにやめてしまった。上記の本で倍速再生のことを以下のように例えていた。

「料理 を ミキサー に 放り込ん で、 ブー ン と 回し て ドリンク に し て 飲む。 たしかに 普通 に 食べる のと 同じ 栄養 が とれ ます。 だけど、 それ って 食べ物 と 言える でしょ う か?」

稲田 豊史. 映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形~ (光文社新書) (p.62). 光文社. Kindle 版. 

まさにその通りで、見たという事実しか残らない。表紙に釣られて買った薄い本の内容が自分の性的嗜好と全く合わなかったときのような虚無感を覚え、倍速で見るのをやめてしまった。

しかしアニメ倍速再生以外のことであれば上記の本に書かれていることを結構やっていて、何だかんだで自分も現代人なのだなと、複雑な気分になってしまった。やっぱり現代人は時間に追われている。

そんな状態でありながら、時間を取ってでも自己実現したいと思えることがあるのは幸運なことだ。しかし全然プロットが進まないと「もう俺書けないんじゃないか?」と怖くなったり、ネットに無数に存在する自分の上位互換存在とくらべて劣等感を抱いてしまう。

まあでもやるしかねえ!ここで自分が書くのをやめたらせっかく作った登場人物は一生どこにも行けないままで、それはあまりにも可愛そうだ。

連休が終わるのがうれしい

孤独が辛いと感じた三連休最終日だった。どれほど辛いかというと、明日平日がやってくることにホッとしているほどだ。

仕事って何だかんだで人生のような考えるだけで憂鬱になるものを頭から追い出してくれる。それに仕事自体もさほど苦痛に感じることはないので、やはり自分は恵まれているのかもしれない。もしかしたらここまで読んでお前は贅沢だ!と思うかもしれないが、最後まで読んでほしい。

今日の昼食は自宅から少し離れたカレー屋でとることにした。ナンをお代わりしたあと、近くのスーパーへ。住宅地にほど近く、時間帯も昼間ということで家族連れが目立ち、1人で店内をウロウロしていると得も言えぬ居心地の悪さを感じずにはいられなかった。

もちろん周りの家族連れが自分に向かって訝しげな視線を投げているわけではない。別に家族連れを見ても羨ましいとは別に思わない。ただ自分の中の生物としての本能が「な?寂しいだろ~?お前も子孫を残すんだよ!」と働きかけてきているだけだ。

とまあ、後から振り返ればそうやって客観的に見ることができるのだが、その場で客観的になるのは難しい。ひたすら襲ってくる辛さに対して防戦一方になってしまう。

例えば腕が怪我をした場合は「腕を怪我したな」とあくまで事実を客観的に見ることができるが、精神的な変容はそういうわけにはいかず、訓練が必要だ。自分も常々なんとかしたいと思っているのだが、なかなか難しい。

孤独は人をバカにする。このままではそう遠くないうちにカルト宗教かVtuberにハマってしまうだろう。

どうすればいいのやら。TwitterでTLを眺めていると婚活している人もいたりするが、自分が求めているのは青春時代にしかアンロックすることのできない実績をなんとか今解除することであって配偶者や子供は求めていない。

とはいえ期間限定の実績を解除するなんてバグ技でも使わなければ不可能だし、現実的な路線は定期的に遊べる友達を作ることだろうか。もしくはこの青春への渇望を創作へぶつけるというのもありだ。

子供部屋おじさんならぬ孤独おじさん(こちらも略すると奇遇にもこどおじになってしまう)の先輩たちはどうやって毎日を耐え忍んでいるのだろうか。

3連休2日目。どのようにお過ごしでしょうか

この時間までメンタルが沈んでいた気がするが、シャワーを浴びたら元気になってきたのでもっと気軽にシャワーを浴びてもいいのかもしれない。洗濯物が増えるのが面倒だけど。

昨日今日とまだ仕事していたほうがマシじゃないかという休日を送っていた。もちろんやりたいことはあって、次の新人賞に応募するための小説のアイディアを練っていたのだが、アイディアが出ない→自己嫌悪→Twitterを見始める→自己嫌悪→アイディア出しに戻る→最初に戻るを繰り返していた。今日は名作と言われている『テルマ&ルイーズ』を見ることができたのでまだマシかもしれないけれど。

やはりもう少し外に出るようにしたほうがいいのかもしれない。これで解決!

とはいえ、外に出たら出たでいちゃつくカップルと出くわしたりするとその時に抱いた劣等感を追い出すので精一杯になってしまうし、最悪頭の中で延々とネガティブ思考がループしてしまい、これなら家で昇降台踏みながら映画でも見てたほうがマシだった!なんてこともある。それでも諭吉何枚も握りしめて風俗に行ったらパネマジに騙されて虚無感で店をあとにしたときの虚無感よりはマシなのかもしれないが。

ともかく、小説を書き続ける限りはこの無力感と戦わなければならない。でも不思議と「なんで俺こんなことしてるんだっけ?」と思うことは全然ないので、それは幸運なんだと思う。数年前にメンタルがおかしくなるほどの失恋をし、傷を埋めるために延々と出会いの場に行き続けたときは無力感と「俺なにやってるんだろう?」という虚無感に支配されていた。

でも小説ではそれはないので、まだ数年は大丈夫そうだ。ちゃちゃっと、というわけにはいかないけれど新人賞取りたいなあ。もしくは俺の隣を歩いてくれる黒髪ロングストレート美少女を。

3年位を振り返る

先日小学館ライトノベル大賞3回目の応募を終えた。2020年からライトノベルの新人賞に応募を始め、気がつけば3年目だ。

初めて書いた長編小説を見返すとなんだかんだで成長を感じつつも、成長の遅さに焦りを感じずにはいられない。しかし一気に劇的に実力を上げる銀の弾丸は存在しないから、ティッシュを積み上げていくようなつもりで毎日継続していく以外に上達する方法はないのだ。

初めて新人賞に応募したときと比べて環境も変化した。転職して基本的にリモートワークできるようになり、残業時間も減ったので毎日小説を書く時間を確保しやすくなったのだが、代わりに人と話すことが激減した。

小説は引き出しが多いに越したことがない。そして引き出しの多さは他人と関わることで増えていく。今の状況はいいとは言えない。だからこそ本や映画を以前より多く読む・見るようにしたい……のだが相変わらず時間の使い方が下手くそで、ついダラダラ小説を書いたりアイディアを出すのに時間を使ってしまいインプットの時間が取れていない。そしてアウトプットも時間相応の量・質が出せているかというと微妙だ。そしてそんな状態で面白い小説に出会うとテンションが上がりつつも、焦り、凹む。

それでもやはり書くのをやめる気はさらさらない。コンコルド効果に脳が支配されているのを自分の都合のいいように捉えているのかもしれないが、次こそもっと面白いものを書いてやるぜという思いはあって、今もうんうんとうなりながら次の作品の構想を練っている。

とはいえ迷いはある。1人家でしこしこと小説を書いていると頭の中が女の子でいっぱいになってしまい、違う意味でしこしこしないと全く手につかなかったりすることもある。引きこもってないで女の子でも捕まえにいけよ!と思う。

しかしそれって本能が発している欲望であって自分が本当に望んでいるわけではないし、自分が女の子に与えられるものって何があるのだろうと思ったらカネしかない。つまりATMにならざるをえない。だったらどうせ家から出ないのだから家具やらにお金をつぎ込んだほうが対費用効果としては比べるまでもない。

だがそう簡単に解脱できれば苦労しないわけで、妄想を胸と股間に抱え、今日も書くのだ俺。次のヒロインも黒髪ロングストレート美少女だ!