親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

心の平穏

医薬品個人輸入代行の通販サイトで性欲抑制の薬を調べるようになった。

一応いくつかあるようだが、手を出すのはやはり躊躇する。

第一に値段は高いし、性欲という生物の本能を抑制するような薬だ。服用したことでどんな副作用があるか分からない。取り返しのつかないことになってしまう可能性だってあるのだ。

 

とはいえ、薬の力を借りるという最終手段を取りたくなるくらいに最近性欲の強さに困っているからだ。

最近は平日でも 2 回は致している。

もちろん我慢しなきゃと思っているのだが、一度頭の中で欲望の濁流がうずまき始めると、欲求を満たすまで静まらない。

しかし致してしまうと眠気と自己嫌悪に襲われるし、致さなくても集中できなくて何もできないし、今の自分にとっては、もはや発作みたいなものだ。

 

これはきっと特定の相手ももいないのに加えて、一週間のほとんどを独りで過ごしていることに危機感を覚えて脳が発しているある種の防衛反応ではないかと思っている。

特定の相手がいれば過剰に性欲を発露する必要がないと脳も大人しくなってくれるんじゃないだろうか。多分だけど。

 

じゃあパートナーを見つければと思うのだが、自分のスペック的に満足行く相手を見つけるのは難しいだろう。

お金という技を使えばなんとかなるかもしれないが、頻繁にそのカードを切れるほど金銭的な余裕があるわけでもないし、何より虚しい。体のつながりだけではなく、心のつながりも求めているのだから。

 

とはいえ、何もしないでいるうちは本当に何も起きない。擦り切れるほど何度も出した結論だ。それでも何もしようと思わないのは、自分が人間という常に矛盾を抱えた存在だからだろう。

 

まず誰かに愛されたいという欲求があり、それに加えて『楽したい』という人間誰しも抱えている欲求もある。基本的に生物は生命の危機にでも瀕しない限り楽をしようとするもので、何もしないことで『楽したい』という欲求は叶えられ、そして自分には『創作したい』という欲求もある。

結果、愛されたいという欲求の周辺だけを切り取ると矛盾しているように見えるのだ。

 

しかし、何もしないままダラダラと生きていたら将来こんなふうになってしまうかもしれない。

街を歩いているとつい女子高生を視線で追ってしまうが、本当は隣を歩いている女の子を見ていたい。

 

今はギリギリ普通の人間の姿を保てているが、きっといつの間にか頭のおかしいおっさんになってしまうのだろう。

街中で奇妙な行動をしているおっさんを見かけると「なぜああなってしまったんだろう?」と思ってしまうが、将来自分の身を以て理解する日が来るかもしれない。

 

結局のところ、性欲云々は副次的なもので、自分が得たいのは自分が誰かに必要とされていることで発生する『心の平穏』なのだろう。恋人を作るにしても、ペットを飼うにしてもそれらは手段でしかない。最終的に脳が『心の平穏がある』と認識すればなんでもいい。脳内物質に感情を握られているんだなと思うとなんだか虚しくなってきた。別に薬で満たしてもいいじゃん。

 

世の中の非モテオタクはどうやって日々口を糊しているのだろう。自分の知らない素晴らしいやり方があるのか、誰も苦しんでいるのか、どちらなのだろう。