少し前、実家の両親へプレゼントとしてロボット掃除機を送った。
年を取って掃除が大変だと言っていたからだ。
しかしプレゼントした直後は使ってくれていたものの、気がつけば旧子供部屋の新たな住人になってしまった。
この前実家に帰ったときにネット回線の設定を見直した。Wi-Fi の届く範囲が狭かったり、ちょくちょく繋がらなくなることがあったからだ。
色々やったおかげで前より回線速度も安定度も上がったのだが、スマートフォンやパソコンのネットワーク設定をやり直しているときの両親は億劫そうに見えた。
自分からすればネットワークの設定なんて些細な変化でしかないが、両親からするとそうではないのだろう。
話は変わるが、フランスの小説家ミシェル・ウエルベックの滅ぼすでは、物語の序盤でいかにも重要そうな事件が作中で報じられる。
しかしその重要そうな事件は一体何なのか詳しく語られることなく、物語は幕を閉じる。
作中の終盤で主人公はガンで余命幾ばくもない状態になるのだが、ウェルベックは老い先短い人間には世界で何が起ころうがもはやどうでもいい、ということが言いたかったのではないかと思う。
若い頃は変化が刺激的でも飛べるべきものだとしても、人間ある程度の年になると、変化は害でしかなく、いかに毎日に変化なく穏やかに過ごせるかが重要になってくるのだろう。
いつかは自分もきっとそうなるのだろう。『年寄り笑うな行く道じゃ』とはよく言ったものだ。でもそうなる前に死にたい。