親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

モテないなりに取り組んできてよかったこと

今日も咳をしても一人だ。

とはいえ、過去のダサい自分から脱却するべく取り組んできたことで、振り返ってみると「続けてきてよかったな」と思うことがいくつかある。

とはいえ、おそらく世の中の大多数の男性は当たり前のようにやっていると思うことばかりなのでやっと『普通』にたどり着けただけだとは思うのだが、とりあえず今まで続けてこられた自分を褒めるのも兼ねて紹介していきたいと思う。

何年か前に古い服は処分して総入れ替えすることにし、とある人の勧めでMB氏の理論を参考にすることにした。そして幾度となく失敗を重ねた上で以下の結論を出した。今は動画も全然見なくなってしまって自分なりの指針で服を買っている。

脳死で 4XL を買わない

確かに今の流行はゆったり目のサイズだが、氏の身長は 175 cm ある。シャツなら 4XL でも着れないことはないが、その上に羽織るものはサイズを上げるにしても限度がある。服は組み合わせるものなので、組み合わせにくい服は自然と着なくなってしまう。

ヤンチャ系なファッションは真似ない

本人がそういう服装が好きなようでちょくちょくそのような類のファッションが紹介されるが、やめておいたほうがいい。爆死する。

アクセサリーは腕時計だけでいい

シルバーバングやチョーカーや胸元にスカーフのような『普通』ではないアクセサリーもやめたほうがいい。多分女子ウケはよくない。

買うのはユニクロだけでいい

仕方ないことだけど GU は素材が微妙。でも革靴だけはおすすめ。

最低限見られる見た目になりたいだけならユニクロだけでいい。服が好きなら好きに買えばいいと思う。

トップスは光沢があるものを買う

シャツやニットはオックスフォードシャツやローゲージニットは買わない。カジュアル目な服は着こなすのが難しい。そしておしゃれに見せる着こなしを考えるのもめんどくさい。そもそもカジュアル寄りの服を買わないほうがいいと気づいた。

 

氏は色々ある人のようだが、氏の提唱するとりあえずドレスとカジュアルのバランスを 7:3 にしろという理論は明確かつ実践しやすく、これは今でも参考にさせてもらっている。

以前は従姉妹に「服装がダサい」と言われていたのだが最近はまったく言われなくなったので一応最低限のところには到達できているのではないかと思う。

 

とりあえずセンターパートがいい。

前髪があるセットは割れるし難しい。対してセンタパートはそこまで難しくない上に、髪の毛が伸びてもある程度まではどうにでもできる。

今まで参考にしてきたチャンネルはこのあたり。おかげで今はヘアアイロンも結構上手くなり、ヘアケアもするようになって髪質も以前とは別物になった。

とりあえず保湿して外に出るときは必ず日焼け止めを塗る。保湿も日焼け止めもその辺のドラッグストアで売っているものを適当に買って使っている。こういうのはやるかどうかが大事だと思う。以前は肌も荒れていて鼻が赤くなってしまっていたのだが今はだいぶましになった。

正直日焼け止めを塗るのは面倒なのだが、慣れると面倒と思わなくなってくるし、最近はスプレータイプもあるので楽だ。

筋トレ

鬱には効果はないと思うがやっている間はネガティブなことを頭から追い出せるし、腕や腹筋に筋肉がついてくると自己肯定感が上がる。習慣というのはすでに確立している習慣とセットにするといいと本に書いてあったので録画したアニメを見ながらやっている。

運動

リモートワークで運動不足になりがちなのでステッパーを購入した。昼休みはステッパーを踏みながら録画したアニメを見る。ミーティング中もステッパーを踏む。慣れると仕事しながらステッパーを踏めるようになる。やはり運動は大事なようで、ステッパーを導入してから明らかに睡眠の質が上がった。

眉毛

眉毛カッターで整えるようにした上で最近は眉ペンシルも使っている。薄いところにちょいちょいと足すだけでだいぶ雰囲気が変わる。眉毛がぼやけていると目つきもぼやけてしまう。

 

やはりみすぼらしい身なりをしていると気持ちもみすぼらしくなってしまう。何だかんだで昔の自分よりは自分自身を受け入れられるようになった気がする。

しかし今でも幸せそうなカップルが視界に入ると自己肯定感がどん底になり消えてしまいたくなるのでどうしようもないw

自己防衛黒髪ロングストレート美少女

某ウイルスが5類入りして早くも1か月。外を歩いているとマスクしてない人も増えていく一方だ。

誤解を恐れずに言うと自分はマスクをしてない人が怖い

現実問題として5類になって『終わった感』が出ているが陽性者は増え続けている

確かに現実問題として陽性者に対して死亡者の割合は0.2%でしかも年代は高齢者ばかりだ。しかし回復期間を足すと1週間近くは普段の生活を送ることはできないし、10%には後遺症が残るという記事もある

マスクするだけで感染リスクを減らすことができるのに、あえてしないほどのメリットがあるのだろうか。仮にあったとしても恐らく自分には理解できない価値観で、だからこそまだ収束したわけでもないのに平時に戻ったかのような顔で歩いている人たちを歩いている怖いと感じてしまう。

先日付き合いで入った飲食店の店員も客もマスクしてない人だらけで、料理の味なんかよりとにかく早く店を出たかったくらいだ。

もちろんいつまでも自粛自粛なんて言ってるわけにはいかないことも分かっている。経済が冷え込んでしまったら元も子もない。つまり、自己防衛。

それよりも、そもそも自分は怖がり過ぎなのだろうか。とりあえず今言えることはもしリモートワークが終了して週5で出社するハメになったら適応障害になる自信しかないということだ。考えるのが疲れたのでもう毎日黒髪ロングストレート黒タイツ美少女に膝枕されながらダラダラと過ごしていたい。

前に進めた

音楽というのは不思議だ。何度も同じ曲を聴いていると、聴きながら抱いていた感情が聴くたびに再生されるようになってしまう。

4年ほど前のこと。当時失恋して落ち込んでいたせいか、諦観的な世界観が心地よかったみたいで『amazarashi』をよく聴いていた。

気がつけば、amazarashiの曲を聴くたびに精神的に不安定になるようになってしまってい、それからはなるべくamazarashiの曲は避けることにしていた。

先日、YouTube Musicで音楽を流しながら仕事をしていたらamazarashiの曲が流れてきた。しかし、なんともなかったのだ。曲の中盤くらいまで来てやっと「amazarashi聴いてもなんともないじゃん」と思ったくらいだ。

去年くらいから吹っ切れたような気はしていたが、自信を持って「吹っ切れた」と言えるようになった気がする。

それにしても、当時の自分を思い出すと気持ち悪すぎて笑えてくる。相手の人にも申し訳なかったな……という気持ちでいっぱいだ。

しかし、気持ち悪いほど相手に執着して、現実を拒絶し続けて、迷走して、自分を受け入れてくれないことに怒り、そしてふとした時にどうでも良くなり、それでもやっぱり『完全にどうでもいい』と思うところには行けなくて「俺を選ばなかったことを後悔させてやるぜ」と走り続けて今の自分に至れていると思うと、黒歴史にはしたいけどいい経験だったのかなとは思う。

まあ、Twitterで六花ちゃん六花ちゃんとつぶやきまくっているあたり、やっぱり自分は気持ち悪いままだとは思うけどw

好きなものを理由にするな

グリッドマンユニバースを見てから日々に虚しさを感じることが増えた。

自分が欲しがり続けたもの、焦がれ続けたもの全てがグリッドマンユニバースにはあったのに、なんと自分の人生は退屈なことか!

しかし風呂に入りながらふと思ったのだ。「自分の至らなさをグリッドマンユニバースのせいにしてないか?」

日々平穏に過ごしつつも、将来取り返しのつかないことになるのではないかという不安。小説を書いて新人賞に応募し続けてはいるが、向上の見えない筆力。

そんな手応えのない日々に常々虚無を感じつつも、見ないふりをしていただけなのだ。グリッドマンユニバースはきっかけでしかない。

好きな作品のせいにするなんて恥ずかしい。お前がつまらなさすぎるんだ。行動しろ!書け!

オタクグッズの呪い

グリッドマンユニバース』を見てから物欲がフルパワーだ。おもちゃやフィギュアなど、ありとあらゆるものを収集して家に祭壇を作りたくなってくる。

しかし、将来のことを考えると我慢せざるを得ない。

理由は『熱が冷めたとき』のことを考えてしまうからだ。一昨年かなりのオタクグッズを処分し、去年の年末にもさらに処分した。オタクグッズを手放すのは意外と精神的に辛いものがある。買取店に持っていくだけでも罪悪感があり、以前は宝物に見えたグッズたちが『場所を取る邪魔なもの』という認識になってしまったことに自己嫌悪してしまうからだ。

さすがにグリッドマンは飽きないだろうと思いたいが、かつて好きでたまらなかった作品もある日冷めてしまってグッズを全て処分してしまったことがあるので正直自信がない。今夢中になっているグリッドマンのグッズを買い集めたとして、何年後かに「邪魔だなあ」と思っている自分を想像すると買わない方がいい。という判断を下してしまうのだ。

それに仮に飽きなかったとしても、自分が孤独死して死臭が染み付いてしまったグッズたちが雑に処分される未来を考えるとやっぱり買わないほうがいいと思ってしまうのだ。

やっぱり自分はオタクじゃないのかもしれない。突き進もうとする情熱を理性がガードしてしまうし、かといって無限に語り続けられるほどのうんちくがあるわけでもない。「これが僕のユニバース!」といえる何かがほしい。

うん。こんな考えは良くない。グリッドマンユニバースを3回も見ておいてお前は何を学んだんだ?ビッグバンを起こせ!

グリッドマンユニバースは人生最高の映画(これからも)

フランスの小説家ミシェル・ウェルベックの『プラットフォーム』には以下のような一文がある。

読書 の ない 生活 は 危険 だ。 人生 だけで 満足 し なく ては なら なく なる。 それ は 危険 を 冒さ ざる を え ぬ 状況 を もたらす かも しれ ない。

ミシェル・ウエルベック. プラットフォーム (河出文庫) (Kindle の位置No.1290-1291). 河出書房新社. Kindle 版. 

人生は退屈だが、グリッドマンユニバースはまさに観客を退屈から救ってくれる作品だった。

退屈な人生を送りながらも人は夢を見る。ヒーローになりたい。巨大ロボットに乗って戦いたい。何でも話せる親友がほしい。頼れる兄貴的存在がほしい。遅くまで学校に残って文化祭の準備をしているときの非現実感を味わいたい。相手のことが気になって仕方なくて、一挙手一投足や根拠のない噂で不安になってしまうような恋をしたい。クールだけど愛情表現が愛おしくてたまらない恋人がほしい。グリッドマンユニバースはそれら全てを映像を通して体験させてくれる。

椅子に座りっぱなしのたった2時間で世界一周よりはるかに多くの一生忘れられない感情の旅を味あわせてくれる。

そしてグリッドマンユニバースは恐ろしい映画だ。公開日初日、上映が終わった後放心状態になってしまい身動きがとれなくなってしまった。なんというか「もう今日死んでも後悔しないかも」と人生に満足してしまい、これから自分はどう生きていけばいいのかわからなくなってしまったほどだ。

一度見ただけでは満足できず、翌日も劇場へ足を運び、さらに今後も見に行くつもりだが、未だに余韻が残り続けている。朝起きてグリッドマンユニバースのことを思い出したら喪失感に襲われた。このときの感覚は、昔好きだった女性に「あなたの気持ちに答えることはできません」と言われた翌日の朝に似ていた。

SSSS.GRIDMANとSSSS.DYNAZENONは不思議な作品だ。生きる気力を与えてくれるどころか、もはや自分の人格の一部になってしまう。そんな特別な作品が一区切りを迎えたのだ。一応映画の動員数次第では何かあるという話はあるが、上記2作についてはこれ以上のストーリー展開は蛇足だろう。物語にはゴールがあって、壁にぶつかりながらもそのゴールにたどり着くまでの過程に感動を覚えるから、ダラダラと続けられても感動が薄れてしまうのだ。(とはいえ、そうだと分かっていても好きな作品は永久に続いてほしいと願ってしまうのだが)

正直これからの人生でSSSS.GRIDMANとSSSS.DYNAZENON以上に夢中になれる作品に出会える気が全くしないし、その二作である総決算であるグリッドマンユニバースはこれからの人生においても最高の映画、いや最高の映像作品として君臨し続ける気しかしない。

人生は退屈だが、素晴らしい物語に触れられるから「もう少し生きてやろう」と思えるのだ。しかしすでに人生最高の作品を見てしまった。なんというか人生最大のネタバレを食らってしまったような気分だ。

しかしグリッドマンユニバースのお陰で一つ目標ができた。自分は以前からライトノベル新人賞に応募し続けている。いつか宝多六花や新条アカネ、そして南夢芽以上に読者が恋をしてしまうようなヒロインを創造することだ。その目標は無理があるとか、いまいちリアリティに欠けるとかあるかもしれないが、ビッグバンを起こしてみせるぞ。

AIイラスト生成は闇

インストールしたことすら忘れていたAIイラスト生成ツールのDiffusionBeeをなんとなく使ってみたら見事にハマってしまった。他にやることがあるのに無視してイラスト生成をし始めてしまうほどだ。

初めに言うと、AIイラスト生成は闇だ。言うなれば、中身をある程度操作できるガチャを引いているかのようだ。

AIイラストは巷で『呪文』と呼ばれているプロンプト次第で出力されるイラストの質が大きく変化する。ネットにはいい感じの呪文が公開されているので、自分なりにいじってみて会心の呪文を唱えることができると、たまらなく気持ちいい。脳の報酬系が刺激され、ドーパミンが洪水のように溢れ出て、そしてそのイラストをツイッターにUPする。やってることはソシャゲのガチャ結果をスクショを投稿している人たちとほとんど変わらない。

いや、むしろAIイラスト生成は時間の許す限り無限に引けるので、余計たちが悪いかもしれない。

AIイラストは生成に時間がかかる。なのでスキマ時間にとりあえず生成しておきたくなるのだ。小説を書いているときも、仕事をしているときも、ついAIイラスト生成をしたくなってしまう。そう、行動をAIに支配されてしまっているのだ。

仮に自分好みの画像が出力されたとしても特に意味はない、いやそれどころか時間を浪費してしまっている分マイナスでしかない。

これからはなるべくAIイラスト生成をしないようにしたい。今は少なくとも使おうとは思わない。

今はそのつもりなのだが、ツイッターできれいなAIイラストを投稿している人を見かけてしまったらきっとDiffusionBeeを起動してしまうんだろうなぁ……