親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

グリッドマンユニバースは人生最高の映画(これからも)

フランスの小説家ミシェル・ウェルベックの『プラットフォーム』には以下のような一文がある。

読書 の ない 生活 は 危険 だ。 人生 だけで 満足 し なく ては なら なく なる。 それ は 危険 を 冒さ ざる を え ぬ 状況 を もたらす かも しれ ない。

ミシェル・ウエルベック. プラットフォーム (河出文庫) (Kindle の位置No.1290-1291). 河出書房新社. Kindle 版. 

人生は退屈だが、グリッドマンユニバースはまさに観客を退屈から救ってくれる作品だった。

退屈な人生を送りながらも人は夢を見る。ヒーローになりたい。巨大ロボットに乗って戦いたい。何でも話せる親友がほしい。頼れる兄貴的存在がほしい。遅くまで学校に残って文化祭の準備をしているときの非現実感を味わいたい。相手のことが気になって仕方なくて、一挙手一投足や根拠のない噂で不安になってしまうような恋をしたい。クールだけど愛情表現が愛おしくてたまらない恋人がほしい。グリッドマンユニバースはそれら全てを映像を通して体験させてくれる。

椅子に座りっぱなしのたった2時間で世界一周よりはるかに多くの一生忘れられない感情の旅を味あわせてくれる。

そしてグリッドマンユニバースは恐ろしい映画だ。公開日初日、上映が終わった後放心状態になってしまい身動きがとれなくなってしまった。なんというか「もう今日死んでも後悔しないかも」と人生に満足してしまい、これから自分はどう生きていけばいいのかわからなくなってしまったほどだ。

一度見ただけでは満足できず、翌日も劇場へ足を運び、さらに今後も見に行くつもりだが、未だに余韻が残り続けている。朝起きてグリッドマンユニバースのことを思い出したら喪失感に襲われた。このときの感覚は、昔好きだった女性に「あなたの気持ちに答えることはできません」と言われた翌日の朝に似ていた。

SSSS.GRIDMANとSSSS.DYNAZENONは不思議な作品だ。生きる気力を与えてくれるどころか、もはや自分の人格の一部になってしまう。そんな特別な作品が一区切りを迎えたのだ。一応映画の動員数次第では何かあるという話はあるが、上記2作についてはこれ以上のストーリー展開は蛇足だろう。物語にはゴールがあって、壁にぶつかりながらもそのゴールにたどり着くまでの過程に感動を覚えるから、ダラダラと続けられても感動が薄れてしまうのだ。(とはいえ、そうだと分かっていても好きな作品は永久に続いてほしいと願ってしまうのだが)

正直これからの人生でSSSS.GRIDMANとSSSS.DYNAZENON以上に夢中になれる作品に出会える気が全くしないし、その二作である総決算であるグリッドマンユニバースはこれからの人生においても最高の映画、いや最高の映像作品として君臨し続ける気しかしない。

人生は退屈だが、素晴らしい物語に触れられるから「もう少し生きてやろう」と思えるのだ。しかしすでに人生最高の作品を見てしまった。なんというか人生最大のネタバレを食らってしまったような気分だ。

しかしグリッドマンユニバースのお陰で一つ目標ができた。自分は以前からライトノベル新人賞に応募し続けている。いつか宝多六花や新条アカネ、そして南夢芽以上に読者が恋をしてしまうようなヒロインを創造することだ。その目標は無理があるとか、いまいちリアリティに欠けるとかあるかもしれないが、ビッグバンを起こしてみせるぞ。