親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

そもそも『自分』って何だろう

最近Twitterを開くと『某映画のチケット』関係のツイートを見かけない日は無くなってしまった。

その『某映画のチケット』に踊らされてしまった不幸な人のnoteを見た瞬間、「うわぁ、バカだなぁ。俺ならこんなのに騙されたりしないのに」と一瞬思ってしまった。しかし、自分も今思うと過去に「なぜオレはあんな無駄な時間(と金)を……」と思うような事を何度もしていたことを思い出してその思考を閉じた。

今回の場合は「自分が似たような場面に遭遇した場合、どうすれば騙されずに済むだろうか」と考えることが理想だろう。つい他人を見下して自分という存在の価値を相対的に上げたくなってしまうが、それはあまり意味のある行動とは思えない。

それにしても『某映画のチケット』もそうだが、うまい商売だと思う。人間誰だって『自分じゃない自分』になりたい。本屋の自己啓発コーナーを覗くと、『今の自分を変える』と謳っている本をすぐに見つけることが出来る。それだけ、人間誰もが変わりたがっているということだ。

自分も自分じゃない自分になりたい。だが、最近はどちらかと言えばプロゲーマーのウメハラが言っているような『(昨日の自分より)1日ひとつだけ、強くなる』という方向性で行くことにしている。

おそらく、他人になるのは難しいというか、無理だ。仮に成功した人のやり方を完コピできたとして、自分とは真逆のことを日常的にやっているかもしれない。それは間違いなくストレスがたまる。何とかストレスを乗り越えて完コピできたとしても、「これが本当になりたかった他人なのか?」と自問自答したくなってしまうだろう。

だから他人になろうとするよりは、自分の価値観に合っている他人のいいところをつまみ食いして、今の自分が自分1.0.0なら明日は自分1.0.01になろう。くらいの気持ちがいい。そしてそうやって少しずつ自分を強くしていく事を目的にする。完璧な存在になった自分を目標にしてしまうと、その間の自分は未完成な存在になってしまう。理想の自分と今の自分の差に絶望して、やる気をなくして続かなくなってしまう。

 

今の世の中は便利なもので、その辺にお誂え向きな"How to"が転がっている。それを真似れば、分かりやすく今の自分から変わることができる。

しかしそれを思考停止でまるでコピペするようにただ真似していては、そこからあえて外す。という行動は取れない。本当ならまず自分で考えてみることが大事だと思う。だけどそれはかけた時間の割に見返りがあるか分からない行動だし、そこら中に『正解っぽい』ものが転がっているから、わざわざ自分の頭で考えなくても。と思ってしまう。

しかしそうやっていると、自分がいつのまにか無くなってしまう。自分で考え、自分の言葉で話して、自分を確立していく時間が大事だよな。と思った夜だった。