親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

この香りに色をつけるならば、全会一致で薄いピンク

在宅勤務が終わってしまい外に出ることが増えた。おかげでここ最近全く見ることがなかったものを再び見るようになった。そう、女子高生だ。

朝狭い道を歩いていると反対側から女子高生二人組が並んで歩いてくる。そのままではぶつかってしまうので道の端に寄る。女子高生も反対から歩いてくるおっさんに気づき、道の端に寄る。女子高生とおっさん、同じ次元に存在していながら決して交わることのない存在だ。おっさんから女子高生に話しかけると社会的に終わってしまうし、女子高生から知らないおっさんにわざわざ話しかける用事も無い。そう、お互いにとって女子高生は(おっさんは)同じ次元に存在していながら、違う次元にいるがなぜか姿が見え、ぶつかる存在なのだ。

そんな事を考えながら女子高生とすれ違った瞬間、甘く、柔らかく、優しく包んでくれるような香りが鼻腔をくすぐった。

 

したがって黛冬優子ちゃんと交際したい

緊急事態宣言解除に伴い、明日からまた出社しなければならなくなってしまった。緊急事態宣言解除されてすぐそれはないだろ!また緊急事態宣言出す羽目になるぞ!と文句を言いたいが、そういうわけにもいかないのが会社員の辛いところだ。

というわけで今日は定期券を買うついでにリハビリを兼ねて2ヶ月ぶりに電車に乗り、繁華街を少し散歩してきた。想像以上に疲れた。

楽しそうに歩いている友人グループ、家族連れ、カップル。それらが視界に入ってくるだけで深刻な精神ダメージを受けてしまうようになってしまっていた。2ヶ月の自粛生活でそれらが視界に入ってきた時の抵抗力が0になってしまったようだ。早く家に帰って小説を書きたい、映画を見たい。小説を見たい。そんなことばかり考えていた。

こっちは一人だっていうのに何で君らは......という間抜けな事を考えてしまう。俺が一人なのはあたり前のことなのだ。他人に文句を言うのはお門違いだ。

しかしながら外に出るだけでストレスを感じてしまうのは致命的だ。自粛生活を始める前は休日もなるべく外に出るようにしていたが、新型コロナウイルス終結しても休日はほとんど家から出ることが無くなってしまいそうだ。

だがこれは良くない。少し前に特殊清掃の動画を見たせいか、早く家に帰って小説を書きたい、映画を見たい。小説を見たい。と考えていたら溶けた肉塊になった自分の姿が脳裏に浮かんで怖くなってきた。今日あちこち歩き回っていて、孤独死に近づいたような思考をしている事に気づいた時に「あ、孤独死ポイント上がったな」と頭の中でニヤついている自分がいた。おそらくまだ先の話だと思うのでそうやってまだ自分の中で笑いに出来るのだが、やはりふとしたときに怖くなってくる。

まあ、将来のことに怖がっていても仕方がないし、不安に感じるのならば不安を少しでも解消できる行動をすればいい。そう分かっていて行動しないのならば将来ミイラやドロドロの肉塊になることは受け入れるしか無い。

だからあんまり気に病むな。

最近不謹慎な上にメンタルに良くないと分かっているのだが特殊清掃中の写真や動画を見るようになってしまった。見ていると血の気がゆっくりだが引いていく感覚があったり、体がこわばってきたり気が遠くなったりする。下手なホラー映画より遥かに怖い。そりゃ当然だ。将来の自分の姿かもしれないからだ。

独身男性の平均寿命は短い。40歳を過ぎたくらいから徐々に死に始める人が増えてくる。つまり自分の人生はもう後半戦に突入しているのだ。麻雀で例えるともう捨て牌二段目に突入している。そしてこの時点でクズ手だったら満貫で上がることすら不可能だ。つまり色々と諦めていくか、もう開き直って行くしかない地点に来ているということだ。

そう考えると人生って本当に短い。ならば自分に素直になって可能な限り自分のやりたいことをやっていくしかないのだろう。長いスパンで自分の人生を見ていくことも大事だが、その考え方は再び麻雀に例えるならば、『全員真っ直ぐに仕掛けてくること無く捨て牌が3段目くらいまでその局が続くと言ってるかのような昔の何切る問題』のようなものではないだろうか。

しかし何らかの間違いで長生きしてしまった場合晩年は苦労することになりそうだ。だがそれもあまり考慮しなくても良さそうだ。人間自分の体を適当に扱ってるとある程度の年齢になったときにあっさり死ぬ。

 

 

新しけりゃいいというわけではないけど

最近気がついたら悪いことばかり考えるようになってしまっていた。そういうときは大体疲れている。こんな精神状態にはもう数え切れないほどなっているのに、なかなか気付くことが出来ない。数日経ってやっと「あ、俺疲れてるんだな」と気付くことが出来る。

こういうとき、何かの創作物の設定のように頭の中に勝手に動作してくれるアプリケーションを走らせて、異変があればすぐ通知してくれたらいいのにな。と思う。

『あなたは今疲れています。休養を取ってください!』とスマートフォンの通知のように視界にポップアップで表示してくれれば便利そうだ。

それ以外にも『便意がもうすぐやってきます。近くにトイレはありますか?』だとか、『糖分が不足しそうです。当分を摂取してください』だとか出てきたら間違いなく便利だ。

そんな風に『通知』が出てきたら便利だな。と想像するのは『今』だからなのだろう。まだスマートフォンが普及する前の00年代前半だったら「メールボックスにお知らせメールが送られてきて……」という風に想像をしたはずだ。

やはりそういう『想像』はその時代の技術に大きく影響される。昔のSF小説だと何かを予測した結果を紙に印刷してくれるのが普通だ。しかし今その描写を見ると「何で紙?」と古臭さを感じてしまう。

これはSF小説に限った話ではない。少し前の映画を見ているときにガラケーが登場するととたんに古臭さを感じてしまうのと同じだ。

その時代時代に名作は存在するが、携帯電話のようなデバイスに限った話ではなく時代を感じさせる描写が登場するとどうしても頭の中で『昔の名作』という色眼鏡で見ることになってしまう。そうするとその作品が公開されてすぐに見た場合とは同じように見ることができなくなる。そう考えると、いいと思った作品はなるべく早めに見たほうがいいのかもしれない。

いや、そんなことは別に考慮する必要はないのだろうか。『昔の名作』という色眼鏡で見ることは全く問題のないことなのだろうか。どうなのだろう。分からない。

 

美しく生きたい

先週の金曜あたりから仕事で色々あった。おかげで例えるならば頭の中で不安というアプリケーションが定期的に『あなたは今不安を感じています!』という通知と飛ばしてきているような状態だ。頭の中の通知音がうるさくておかげでせっかくの土日だというのにまるで気が休まらなかった。

今回の不安の原因は『今の会社にこのままいていいのか』『そもそもこんな状態で今の会社がいつまで持つのか』の2つ。正直言って自分に向かって「お前はなぜとっくの昔に答えが出てることに今更悩んでるの?」と言いたい気分だ。最近こんな記事を書いといてお前は一体何を言ってるんだ。

そう、悩んでてもしょうがないのだ。日頃よりいつ会社が消滅してもいいように準備をしておけばいいだけなのだ。

それでもやはり不安を感じているのは最近あまりプライベートで勉強できていないのもあるが、もう一つは『人間は変化することに不安を感じるから』だろう。

日頃よりモテたいー!と思いながら服を変えたり髪型を変えたりしてもいざ女の子を口説きに行ったりできないのは変化が怖いからなのだ。もちろん他の原因もあるが。

何度も似たような事をこのブログで書いているが、やはり人生とは常に不安との戦いなのだろう。不安を感じることは避けられないが、不安を上手く消化する方法はある。うまい具合に不安を使いこなして何とか気楽に楽しく生きていきたいものだ。

ちなみにこうやって不安をブログに書き出すのもかなり効果的だ。想像以上にスッキリするのでオススメする。

こういう曖昧なものが好き

最近いわゆる『元カレ』の事を『好きな人』という呼び方をする事を知った。

この手の単語には様々な別の呼び方がある。彼氏のことを後輩だの相方だの同居人だの、風俗の客のことをお兄さんと呼んだり……。

そうやって呼び方を変えると何を指しているのかは変わらないのに微妙なニュアンスが変わってくる。呼び方を変えることで指しているものに対して抱いている感情や、周りからどのように捉えてほしいかなど、様々なものが変化する。

言葉って面白い。英語ももう少し上達したいが、日本語でもまだまだ発見がある。こんな曖昧なもので人間は日頃コミュニケーションを取ってるってすごいなあ。

考えていたら気が遠くなってきた

今日は仕事中にアメリカのヒットチャートを聴きながら仕事をしていた。その中に一曲だけ、妙に時代を感じさせる曲があった。

その時にふと思った。今でもアメリカのどこかに日本人には信じられないような生活スタイルと価値観で、地元の人でなければ理解が大変な訛りのキツい英語で生活している人たちがいるのだろうな。と。

当たり前だがアメリカという国は広い。いくら日本人にとって馴染みのある国とは言えまず物理的距離もある。そしてさらに言語という壁がある。だから日本にはそういう人たちが実際に存在していても日本に情報が入ってくることはまずない。

そんなことを考えていたら「世界って広いんだよな」と今更な事を思ってしまった。アメリカに本当にそんなところがあるかは分からないが、日本からではアメリカの事を知るには限度がある。実際にあってもおかしくない。というか多分あるだろう。

英語がもう少し上手になって、そういうところに一度行ってみたい。行ったら最後、アメリカのB級ホラー映画に登場するような恐ろしい村で、帰って来れなくなったりしそうだけど。