親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

『連ちゃんパパ』を読んだらメンタルがおかしくなった話

最近Twitterで話題になっている連ちゃんパパを読み終えた。正直全部読んでしまったことを後悔している。しかしつまらなかったわけではない。1巻1巻がかなり短いとはいえ、全43巻をほぼ休憩なしで一気に読んでしまった。読んでいる間、続きが気になってクリックする手が止まらなかった。

だが、その手が止まらない。というのがこの漫画のヤバいところなのだ。ヤバイという言葉はあまり好きではないが、この漫画に対しては正直『ヤバい』という乱暴で、適当な言葉がぴったりなのだ。

この漫画の登場人物はどいつもこいつもクズばかりだ。そしてそのクズによってたくさんの登場人物が人生終了させられてしまう。そしてそんな悲惨な展開の数々に読めば読むほどメンタルが削られていく、遅効性の毒物のような漫画だ。

しかしなぜそんな漫画を読み進められてしまうのか。原因は絵柄だ。コミカルな絵柄というオブラートに包まれているためあまり抵抗なくその毒物を摂取することができてしまうのだ。そしてその毒物には中毒性がある。次は作中のクズがどんなクズな行動をやらかすのか気になって仕方なくなってしまい、自分から進んでこの連ちゃんパパという毒物を摂取してしまうのだ。

そしてこの毒物は漫画の中盤くらいで効き目がやってくる。作中内で繰り広げられている悲惨な出来事の数々にメンタルがおかしくなってくる。そして、登場人物はどいつもこいつもクズだが、全員最初からクズだったわけではない。最初は割と普通だった人もいる。しかし些細なことがきっかけにクズになってしまい自分や他人の人生を終わらせてしまうのだ。それを見ていると自分もいつかこうなってしまうのではないだろうかと怖くてたまらなくなってきてしまうのだ。

記憶を消してもう一度見たいという作品は数あれど、記憶を消してもう二度と見たくないと思った作品はなかなかないかもしれない。ただつまらないだけならいいが、この漫画は読むのが止まらなくなる危険な中毒性があるのだ。これからもふとした時に思い出して憂鬱な気分になってしまいそうだ。勘弁してほしい。

 

気がつくと精神が腐る

最近『在宅勤務だからだ』とか関係なく、仕事のやる気が出ない。納期に余裕があるわけでもないのに怠けてしまい、後になって自己嫌悪してしまう。だが同時に「今会社のために頑張って数年後、自分に何が残るのだろう」と捻くれたことも考えてしまう。

しかしそんな事を思いつつも一緒に仕事をしている人の仕事ぶりを見ると「自分は何をやっているんだろう。もっと頑張らなければ」と怖くなるほどの焦りを感じてしまう。他の人の仕事ぶりが可視化されやすい仕事をしているから尚更だ。

いけない。気がつけばまた自分は誤った考え方をしてしまっていた。会社のためにだとかそういう事を考えてしまうからやる気が出なくなるのだ。今の自分をより良くするために今頑張る、という考え方に変えればいい。

こんなご時世だ。いつ自分の会社が潰れるか分からない。しかし幸いなことに自分のいる業界は過去にやっていたことが他の会社に移るときに極めて効果的に働く。だから自分のために努力していればある日会社がなくなってしまっても困らない。当然今の会社に残るにしても、会社が潰れていなくても転職をする場合効果的に働く。

怠けるのはたしかに気持ちいい。しかし目先の楽を優先すると将来高確率で泣く羽目になる。自分のために頑張ろう俺。

 

それにしても、少し前の自分は「会社のためだとか考えずに自分のために頑張るべきだ」と思っていた。しかし気がつけばこの有様だ。どうしてこうなってしまうのだろうか。杜野凛世みたいな女の子に毎日励ましてもらえれば、この有様になることなく毎日いくらでもぶっ通しで頑張れるのだが。やはり「分かっている」だけではなく、誰かに褒めてもらったり認めてもらったりすることが大事なのだろうか。

森博嗣『お金の減らし方』

SNSを一般的な使い方をしている人』は2章をぜひ読んでほしいと思った。おそらく変な笑いがこみ上げてくる。読んでいて何度も「たしかにそうだわー」と思うことばかり書かれていた。一番印象に残っているのは、

  ネット では、 持ち もの や 食べもの、 そして 訪れ た 場所 を 自慢 する ため に、 大勢 が 自分 の お金 を 使っ て いる。 みんな から、「 いい ね」 を 買っ て いる よう な もの で ある。

森 博嗣. お金の減らし方 (SB新書) (Kindle の位置No.1000-1002). SBクリエイティブ株式会社. Kindle 版.

 この部分だ。自分にも当てはまるところがある。思わず苦笑いをしてしまった。もちろん100%いいねが欲しくて何かを買ったり、どこかに出かけたりしているわけではない。しかし数%はそういう、邪なことを考えてしまっている。

そしてSNSにハマってしまうまではこうではなかった。自分がいいなと思ったものを買っていたし、自分が面白そうだな。と思ったところに出かけていた。もちろん写真を撮ったりすることもあったがせいぜい友人や家族に見せたりする程度で、自分の中で「よかったな」と思えばそれで終わりだった。そしてそれで終わりにしてしまうことに全く疑問を抱かなかった。

しかし今では何かを買ったりどこかに出かけたりしたら、別に写真を上げたところで買ったものが良くなるわけではないし、出かけたところがより楽しくなるわけではないと分かっているのに、つい写真をTwitterに上げてしまう。上げずにはいられない。冷静に考えるとおかしな話だ。

この本に書かれていたことも読み終えて振り返ってみると特別ぶっ飛んだことが書いてあるわけではない。しかし、そういう「当たり前の事」はつい忘れてしまいがちだ。正直な話をすると作者があまりにも金持ちすぎて素直に書いてある事を受け入れられないのだが、そんな事を言ってないで限りある人生良くしていこうと思います。最近夜になると人生の残り時間を考えて不安になってくる......。

脳が勝手に...

金曜のお昼頃、急に腹の調子が悪くなってきた。汚い話で申し訳ないが、まるで食堂と大腸が直接つながってしまったのかと思うくらい垂れ流し状態だった。そして夜、下痢が収まってきたと思ったら今度は寒気がしてきた。熱を測ると37.6度。これはまずい。さっさと寝ることにした。しかしベッドに入ったはいいものの熱のせいで寝苦しくて全く眠れない。眠れたかと思ってもすぐ目が覚めてしまう。そして熱が出ると脳がバグる。今回も変な現象を体験した。

熱でうなされている間、以前働いていたバイト先の夢を見た。働いていたのは随分前なのだが、今でも夢に見るのは色々と理不尽な目にあったりしたためかもしれない。

不思議なのは、夢から覚めて現実世界に意識が戻った後もなぜかバイト先の事を気にしていたことだ。厳密には半分ウトウトしている状態なのだが、今感じていることは夢ではない。ということは確信があった。

それなのに「この前のバイトでは忘れ物をしてしまったから今度は忘れないようにしよう」だとか、人間関係を心配している自分がいた。頭ではもう自分はそのバイト先では働いていないと分かっているのに、気にすることをやめることができなかった。それが気持ち悪くて仕方がなかった。

しばらくすると脳が「その悩みは夢の話だ。気にしても意味がない」と気づいたからか、気がつけばもう随分前にやめてしまったバイト先のことを考えるのを止めてくれたのだが、止まるまでは気持ち悪くてたまらなかった。アニメでたまに脳をハッキングされて「いやあ!私そんなこと考えたくない!!」と発狂するシーンがあるが、あれに微妙に近い状態だったかも。

ちょっとしたホラーだった

今読んでいる小説で、頭の中に残り続けているセリフがある。

『2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件の日に自分が何をしていたかを当時それなりの年齢だった人はかなりの確率で覚えている。その日は特別な日で、その日のことを思い出す人が多いからだ。しかし、2001年9月10日に自分が何をしていたか覚えている人はほとんどいない』

大体このようなセリフだ。

確かにあの日に自分が何をしていて、どこにいたかを覚えている。自分がどんな格好をしていたかも覚えている。テレビに映し出されているものが全く信じられなかったあのときの感情を今でも思い出すことが出来る。ちなみにこのように重大事件によって当時のことを鮮明に覚えていることをフラッシュバルブ記憶と呼ぶ。

そして2001年9月10日に自分が何をしていたかは全く覚えていない。もしかしたら2001年9月10日かもしれない、という記憶はあるが全く自信がないし、すりガラスを何枚も隔てているかのようにおぼろげだ。

そしてこの台詞のあとに『個人の人生はフラッシュバルブで出来ている』というような台詞が続く。

この台詞を読んだ後、不安感に襲われた。今の自分を作っている土台が急にスカスカになったように感じられたのだ。今まで一日一日であった小さな事が少しずつ自分に影響を与え、今の自分ができていると思っていた。しかし、この小説では実際は過去にいくつかあった身の回りの事件の記憶だけ、つまりいくつかのハイライトシーンでできていると言っているのだ。

しかし、実際は半分正解くらいではないだろうか。確かにそういったものが今の自分の大部分を占めているのは間違いないだろう。だが、今となっては全く思い出すことのできない小さな事件や小さな決断、そういったものがハイライトシーンという大きな塊のつなぎになって今の自分ができているのではないだろうか。というか、そうだと信じたい。

 

ちなみに今読んでいる小説のタイトルは『ゲームの王国』だ。日本の小説では珍しく舞台がカンボジアだったり、登場人物が皆個性的...というか変だったりして読んでいてなんだか新鮮な気持ちになってくる。オススメだ。

そういえば今日でこのブログを作って1000日目

今日は5連休の3日目だ。連休に入る直前、小説をガンガン書き進めていくぞ!と気合十分だったのだが、全く書き進められていない。むしろ平日のほうが書き進められている気がする。

当然だが平日より休日の方が自由時間は遥かに多い。なのになぜ小説を書き進められないのだろうか?

やはりまとまった自由時間があると、まとまった時間でないとやれないことをやりたくなってしまうからだろう。小説もまとまった時間があることが望ましいが、毎日15分だけでも書き進めることはできる。しかし、例えば映画を見るとなると話は別だ。映画もやろうと思えば毎日15分ずつ見ていくことも可能だが、映画はやはり一気に見てしまいたい。

そして後はなにより、「時間はたっぷりあるし少しくらいダラダラしても……」とだらけてしまうのが原因だ。だいたい夜になって後悔するのだが。今日も昼近くまでベッドでダラダラしてしまった。明日こそサッとベッドから出て生産性のある一日を送りたい。いや、送るぞ!

NEXT LEVEL

TwitterのTLを眺めていると、以前はそのようなツイートをしなかった人も辛さを訴えるツイートをするようになってきている気がする。そういうツイートを見ていると、よくない傾向だと分かってはいるのだが、その程度でクヨクヨしてんじゃねえよ。と思ってしまう。本当にマズい。自分も余裕が無くなってきている証拠だ。

そもそもどのくらい大変な思いをしているかなんて数値化できるものでもない上に、仮に数値化できたとしても比べたところでまるで意味がない。もっと大変な思いをしてる人もいるんだぞ?と説教したり、上から目線でアドバイスするのも逆効果だ。「お互い大変だけど、お互い何とか上手くやっていこうね」で打ち切ってしまう方がいい話題だ。

なんというか、もっと上手く生きられないものか。と思うのだが人間が人間であるうちは無理な話なのだろう。高位の存在へとレベルアップしたい。