親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

新しけりゃいいというわけではないけど

最近気がついたら悪いことばかり考えるようになってしまっていた。そういうときは大体疲れている。こんな精神状態にはもう数え切れないほどなっているのに、なかなか気付くことが出来ない。数日経ってやっと「あ、俺疲れてるんだな」と気付くことが出来る。

こういうとき、何かの創作物の設定のように頭の中に勝手に動作してくれるアプリケーションを走らせて、異変があればすぐ通知してくれたらいいのにな。と思う。

『あなたは今疲れています。休養を取ってください!』とスマートフォンの通知のように視界にポップアップで表示してくれれば便利そうだ。

それ以外にも『便意がもうすぐやってきます。近くにトイレはありますか?』だとか、『糖分が不足しそうです。当分を摂取してください』だとか出てきたら間違いなく便利だ。

そんな風に『通知』が出てきたら便利だな。と想像するのは『今』だからなのだろう。まだスマートフォンが普及する前の00年代前半だったら「メールボックスにお知らせメールが送られてきて……」という風に想像をしたはずだ。

やはりそういう『想像』はその時代の技術に大きく影響される。昔のSF小説だと何かを予測した結果を紙に印刷してくれるのが普通だ。しかし今その描写を見ると「何で紙?」と古臭さを感じてしまう。

これはSF小説に限った話ではない。少し前の映画を見ているときにガラケーが登場するととたんに古臭さを感じてしまうのと同じだ。

その時代時代に名作は存在するが、携帯電話のようなデバイスに限った話ではなく時代を感じさせる描写が登場するとどうしても頭の中で『昔の名作』という色眼鏡で見ることになってしまう。そうするとその作品が公開されてすぐに見た場合とは同じように見ることができなくなる。そう考えると、いいと思った作品はなるべく早めに見たほうがいいのかもしれない。

いや、そんなことは別に考慮する必要はないのだろうか。『昔の名作』という色眼鏡で見ることは全く問題のないことなのだろうか。どうなのだろう。分からない。