親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

結局一つの結論にたどり着く

年末にとある人と会話していた時の話。彼の発言の中で引っかかるものがあった。それを聞いた時「お前それマジで言ってるのか?」と思わずにはいられなかった。そしてその発言に少し傷ついた。しかし彼の表情からは嘘ではなく本当に思っているように感じられたし、それを言った時は当たり前のことを当たり前のように言っただけのようだった。

その時はあまり深く考えずに流したのだが、今日になってふと思い出した。なぜ彼はあのときそんな事を言ったのだろうか。考えていたら相対性理論で有名なアインシュタインの『常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである』を思い出した。そう、彼の持っている偏見のコレクションでは当たり前のこと。それだけのことなのだ。

生まれや育ちが全く同じ人間はこの世に存在しない。そうすると18歳までに身に付ける偏見のコレクションは人によってまったく違うことになる。世界の見え方も人によって大きく違ってくる。当たり前の定義も人によって大きく違ってくる。大多数の人からすれば当たり前ではないことを当たり前だと思っている人もいるだろう。価値観が違いすぎると喧嘩になることがある。だからtwitterでは毎日のように言い争いが起きている。同じ言語を話す者同士で。

 

偏見のコレクションが全く同じ人は存在しないとはいえ、似ている人だと付き合いやすいはずだ。むしろあまりにも違う場合は付き合っていてしょっちゅうぶつかり合いが起きたり、お互い疲れてしまうだろう。偏見のコレクションが似ていれば合わない部分があってもお互い歩み寄りやすいだろう。もちろん偏見のコレクションが全く違う人は違う人で話していて様々な学びがあるので楽しいのだが、偏見のコレクションが近い(と思っている)人は大事にしていきたい。偏見のコレクションが似ていて可愛い女の子と交際したい。

気分転換初め

正月休み最終日。体がなんだかだるくて結局昼間まで寝てしまった。何日か前に生活リズムを戻そう!と思っていたが結局今日まで生活リズムは乱れたままだった。明日から規則正しい生活ができるか不安だ。

結局ベッドから出たのは12時過ぎ。正月休み最終日に引きこもっているのもあまり良くない。気分転換にどこかに出かけようと思ったが、出かけたところで気分転換になるとは思えない微妙な気分だった。引きこもっているとゲームで例えると継続ダメージを受けているかのように少しずつ精神がどす黒くなっていく。しかし外に出たら出たで外的刺激でストレスを受けてしまう。主に幸せそうなカップルとか幸せそうなカップルとか。

悩んだ末、引きこもってるより外の空気を吸う方がまだマシと判断して出かけることにした。普段あまり行かないところにしようと思ったが、今年はまだ行っていない秋葉原に行くことにした。定期巡回コースを回りながら視界に入ってくるものに刺激されて思慮にふける。少しずつ変わっていく秋葉原の町並みを見て将来の秋葉原はどのようになっているのか、とうに初老は過ぎていると思われるオタクの大先輩を見て自分が初老の頃はどうなっているのか、自分は将来どうなっているのか、楽しそうなカップルを見て苦い気持ちになったり。

いつの間にかネガティブ思考に傾きつつあったのでネガティブな感情を見て見ぬ振りする。ネガティブな感情は相手にしないのが吉だ。まともに相手にしようとすると病んでしまう。ただでさえ現代はストレス社会なのだ。ストロング系チューハイがあそこまでヒットしているのが証拠だ。回避できるストレスは可能な限り回避したほうがいい。

歩き回っていたら腹が減ってきた。少し早い夕食を取ることにした。香ばしい香り、そして最高に肉肉しいパティのおかげで幸せな気分になった。

ただ食後にカップルが隣に座って居心地が悪くなってしまい、半ば追い出されるように店を出た。他の席が空いてるのになんで隣に座るんだよ!せっかくいい気分だったのに台無しにされてしまった。

店を出たあと何件か店を冷やかした後帰路についた。ハンバーガーは美味しかったがあまり気分転換にならなかった。次気分転換にどこかへ行くならなるべく人がいないところ、可能な限りカップルがいないところに行きたい。そんなところ関東近郊にあるのだろうか。あったらぜひ教えて下さい。

 

食べたいものも見つからない

今日は予定があったのだが色々あって消滅した。そして明日の予定も消滅した。連続でこのようなことがあると少し悲しくなってくる。だがどちらも予定を入れてからやめておけば良かったと少し思っていた。だから悲しい気持ちはありつつも楽な気持ちになった自分がいた。

予定が消滅するとそのために用意していた時間とお金が浮く。無くなったと思ったものが返ってくるとプラマイゼロになっただけなのになぜか得した気分になる。今回もなんだか得した気分だ。

さて、浮いた時間とお金で何をしよう。普段しないことをしようと思うのだが、何も思いつかない。面白そうだと思った本を読む、面白そうだと思った映画を見る、美味しそうだと思ったものを食べる。それらは十分な快感を与えてくれる。しかし十分以上の快感を得ることはできない。面白い映画を見ても『面白い映画を見たことで得られる快感』はある程度の上限ががあるし、おいしい食べ物を食べても『おいしい食べ物を食べたことで得られる快感』にもある程度の上限がある。映画を見るのは好きだし、おいしい物を食べるのは好きだがすでに周りにある快楽に飽き始めている自分がいる。退屈だ。そしてこのままだと自分がダメになってしまう予感がある。そう思うと焦燥感に襲われる。飽き始めたこの日常を変える必要がある。しかし何をすればいいのだろう。やっぱり何も思いつかない。

 

他人の死を受け入れられる場合と受け入れられない場合

今日まで実家に帰省していた。実家に規制している間、夜は昨年亡くなった祖母の部屋で寝ていた。ある程度両親が整理したとはいえ祖母がこの世に存在していた証がまだ部屋のあちこちに残っている。不思議な感覚があった。なぜこの部屋に祖母はいないのだろう?祖母の遺体を棺桶に入れた記憶もある。祖母の遺体を焼く前に鼻水や涙で顔が液体まみれになるほど大泣きした記憶もある。そしてその記憶を思い出したらまた涙が出てきた。間違いなく祖母は亡くなった。それなのになぜか「祖母はどこへいってしまったのだろう?」と考えてしまうほどに『祖母が亡くなった』という感覚がまるでない。

祖父が亡くなった時は割とすぐに祖父が亡くなったという事実を受け入れることができた。祖父が亡くなったのはもう10年以上前だ。大人になった自分の方が死というものをよく分かっているはずだ。それなのにもうすぐ祖母が亡くなって1年も経つのにまだ亡くなったという事実が受け入れられないのだろうか。理由はやはり実家を離れていたからだろう。祖父が亡くなったときはまだ実家に住んでいた。だから祖父が日に日に弱っていき、そして亡くなり、両親が手続きやらでドタバタしているのを目にしていた。そのようなものを目の当たりにしていれば信じられる信じられないに関わらず祖父が亡くなったという事実を受け入れざるを得なかった。

だが祖母の場合は違う。ある日両親から電話がかかってきて「お婆さんにガンが見つかった」と伝えられ、数カ月後に帰省したときはまだ祖母は元気だった。更に数カ月後に規制したときは信じられないほど弱った祖母の姿も目の当たりにしているが、祖母の最期は看取ることができずに母親から口頭で伝えられて初めて祖母が亡くなったのを知った。祖母が亡くなっていくまでを飛び飛びでしか見ることができなかった。それに祖母が亡くなったのは急だった。ガンが見つかってわずか数ヶ月だ。だから現実感が無く、未だに亡くなったのが信じられないのだろう。例えるならばテレビでしか見たことのない芸能人が亡くなったとニュースで見かけてもまるで現実感が湧かないように。

祖母についてこうなってしまったのも嫌だが、両親でもそうなってしまうのはもっと嫌だ。可能な限り両親に顔を見せよう。たまには用事もなく電話をかけてみよう。そう強く思った帰省だった。

 

気を使いすぎる関係では仲は深まらない

他人からたまに失敗談を聞かされることがある。失敗談を聞かされるとたいてい「○○すればよかったのに」と思い、そして相手にもそう言いたくなる。しかし、相手に言うことは相手のためになるのか。毎回悩んでしまう。

よほど相手と考え方が違ってでもいない限り、失敗談を話してきた相手に「○○すればよかったじゃん」と言うと、相手からすればそんなこと他人から言われるまでもなくそう思っているはずだ。それに失敗談を話す場合は「ただ他人に話して楽になりたい」というのがほとんどではないだろうか。だから基本的には失敗談を聞かされたときはただ相手が話したいことを黙って聞いているのが最適解なのではないかと思っている。

それに他人から失敗談を聞かされたときは「なんでそんなことしちゃうのかねw」と思ってしまうが、よくよく考えてみると自分も似たような失敗を過去にしていたり、将来似たような失敗やってしまったりするものだ。そうやって他人にマウントを取っておいて自分も同じような失敗をする(してた)なんて格好悪いにも程がある。

本来は『失敗談は黙って聞くのが一番だよね』という結論にするつもりでここまで書いていたのだが、よく考えたら「やっぱりそうすればよかったよね」と言ってもらいたくて失敗談を話す場合もあるのではないだろうか。コミュニケーションムズカシイ。そもそもこんなことを考えてしまう時点でまだ他人から嫌われることを過度に恐れる悪癖が抜けていない。去年よりは若干改善されたがまだ怖いようだ。やはり自分と仲良くしてくれている人が離れていってしまうのは悲しい。だがそれを恐れていると深い仲にはなれない。自己肯定感がもう少し高くなればこのあたりは改善されるのだろうか。この辺は多少の小手先では解決しなさそうだ。

 

新年の目標に新年早々悩む2020

2020年がやってきた。実家には12/30の夜に到着し、それから今まで一度も外に出ていない。まあ田舎なので遊ぶところもないし、実家の犬も散歩を嫌がるほど寒いので外に出ないほうが賢明だ。それでも明日か明後日には出雲大社に縁結び祈願に初詣に行きたいとことだ。去年も実は出雲大社に初詣に行ったのに全く良縁に恵まれることがなかったのでご利益には少々疑問はあるのだがw

ずっと外に出ていないので運動不足に危機感があるが、今ところメンタルに不調は全く感じない。同じように帰省している兄弟や両親、そして実家の犬という話相手がいるというのが大きいのだろう。やはり外出しないのが悪いのではなく誰とも話さない、つまり誰とも関わりがない状態がメンタルに一番悪影響を与えるのだ。

 

新年を迎えると、やはり「今年はどのような1年にしていこうか」というようなことを考える。1つくらいは目標があったほうがいい。だがどうせ年の途中に違う目標ができたりする。そういう場合を考慮するとあまりしっかりした目標を決めないほうがいいのかもしれない。しかしそうすると今度は目標を決める意味がなくなってしまう。実現のために何もしない目標なんて「朝起きたら隣に美少女が寝てないかな~」と妄想するのとほとんど変わらない。かといってしっかり目標を定めすぎてしまうと年の途中でなにかをしたくなったときに方向転換しづらくなってしまう。何もかもが速い速度で移り変わる現代でそれはどうなのか。と考えてしまう。とすればしっかり目標を定めずある程度抽象的なもののほうがいいのかもしれない。例えば「昨日の自分よりできることを増やす」など。これならば英語の慣用句を覚える勉強をしても、女の子を口説きかたの勉強をしてもどちらもできることが増えたことになる。しかし曖昧すぎて何でもかんでも当てはめられるようになってしまう。意味がない。一体どうすればいいのだろうか。

 

 

2019年を振り返る

早いもので明日で2019年も終わりだ。というわけで色々あった2019年を振り返ってみようと思う。

2019年は『はっきりとは見えない何か』をつかみ取ろうとしていた一年だった。はっきりとした何か目標があるわけではなく、ただ今の自分ではない自分になるためにとりあえず目についたものに目標を定め、それにただ取り組む。というそんな一年だった。そうやって取り組んできたものである程度の形ができた場合は達成感があったし、取り組んでいること自体も徐々に好きになってきた。

しかし「俺はこの程度しかできないのか」という苦痛が常にあった。その苦痛と常に戦いながら取り組むのは辛いものがある。そのような苦痛をこらえながらだとそれ自体が好きでやっている人のものと比べるとやはり出来は悪く、生産性も褒められたものではなかった。やはり好きというのは才能なのだ。その取り込んでいること自体が好きだと今の自分に至らないところがあっても将来的に出来るようになればいいや。と前向きになれる。2020年1月1日に4周年を迎えるこのブログという趣味もまさにそうだ。他の人のブログ記事を見ると自分のブログの未熟さに軽い絶望感を覚えることもあるし、ブログを書いていてもいい言い回しが思いつかなくて頭を抱えたくなることもある。だがそういった悩みがさほど苦痛にならない。なぜならブログを書くことが好きだから。

Twitterやオフ会で「ブログ読んでます」と言われることもたまにある。そう言ってもらえるとやはり嬉しい。読んでもらえるということは他人から見て「まあ読んでみてもいいかな」と思える最低ラインはクリアしているということだ。それが本当に嬉しい。来年も可能な限り楽しいブログを書いて、ブログを読んだ人の一日が少しでも豊かになれるよう努力していこう。あとあわよくば...