親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

オタク受けと殺意と強さ

「を水さん、オタクが好きそうな服装してる女と付き合うのは覚悟しておいた方がいいですよ」

実感のこもった口調でそのような事を言う彼の彼女はまさにオタクが好きそうなアンクルージュを良く着ているらしい。アンクルージュは本当に可愛い。俺もアンクルージュを着ている子と付き合いたい。そしてその彼女はコスプレもしてくれるし、周りの客の敵意のこもった視線も気にせずオタク映画も一緒に見てくれる。さらに二次元の女の子の話をすると「その女の話をするな」と言ってくるらしい。そして普通に見た目も可愛い。

は!?!?!?!?!?!?!?

最高に羨ましい。前世でどんな徳を積んだらそんな女の子と付き合うことができるんだろうか。オタク100人にこんな彼女がいる男のことどう思いますか?と聞いたら90人くらいは「死ね!」と即答したくなるはずだ。本当に羨ましい。今世でどれくらいの徳を積めばいいのか教えて下さい。

彼の事は人間的に大好きなので「いやあ羨ましいなあ……本当に羨ましいなあ」でなんとか済んでいるが、もし赤の他人だったら……あまり想像したくない。

とまあ、羨ましくてたまらないのだがやっぱりいいことばかりではないらしい。彼を嫉妬させるための行動をしてきたり、色々と大変らしい。だが、その大変だという話を聞いても「可愛いところあるじゃん」と逆にプラスに捉えてしまう。こればっかしは実際に体験してみないとわからないのだろう。でもやっぱり羨ましい。大変だという話を含めて羨ましい。爆発して欲しい。

 

以前からずっと考えていたことがある。彼女ができるオタクとできないオタクの違いだ。彼の話を数ヶ月に渡って聞いていたことで答えが出た。答えは男としての強さがあるかないか。おそらくはそれだけだ。

オタク同士でワイワイやる場合オスとしての強さは必要ない。むしろ枷になってしまうことが多いだろう。オスとしての強さより、協調性や人間としての面白さの方がはるかに重要だ。

しかし、恋愛はやはりそれだけではダメなのだろう。大事なのは男としての強さ。頼りがいやある種の暴力性。そういったものだ。彼にはそれがある。話の節々にそれを感じる。初めて会ったときは感じなかったのだが、どうやらただ埋もれていただけのようだ。もし今の彼女と別れることがあっても割とあっさり次の彼女が見つかるのではないかと個人的に思っている。

咳をしても一人

オフ会に参加したことで3日ぶりに人と話をした。酒がかなり入ってしまったが、最高に楽しかった。企画してくれたせなさんと、参加者のみなさんには感謝しか無い。ありがとうございます!!!

今日思いっきり色んな人と話したおかげで頭の中に溜まっていた悪いものが一気に消えた。この悪いものが最近かなり溜まっていたせいで今朝起きた時に「あ、俺このままだと狂うわ」という危険な感覚があった。危なかった。

そういう危険な感覚を体験しても(もう何度も痛感してる)やはり一人でいる気楽さはたまらない。好きな時に好きなところに遊びにいき、好きな時に好きなものを食べ、好きなように休みを過ごす。しかしそんな生活を続けるのは肉だけを食べているようなものだ。健康に良くない。俺は一人が好きなんだから一人でいても病まないようにしてくれよ。人間の体って本当に面倒くさい。

とまあ基本一人でいるのが大好きなのだが、やはりたまにこうやって他人と楽しく話すのはやはり最高に楽しい。気持ちいい。満たされた気持ちになる。

ただ一人でいる割合を多くしたい。一人でいる割合が9とすると、誰かといるのは1くらいでいい。だけど人間の体は恐らく最低でも3:7くらいは無いと病んでしまうようだ。やはり多少は矯正するべきなのだろうか。このままだと孤独死&腐乱死体で発見されるという最悪のENDになってしまう。死んだ後はわからないとは言えちょっと嫌だw

 

なぜ詰める!!

買い物の途中、急な腹痛に見舞われた。駅の近くにある大きいお店に駆け込んだ。その店のトイレは利用者数の割に非常に大きく、今まで1つも空いていなかったことがない。それくらい大きいトイレだ。

その店のトイレは廊下を挟んで10個室ある。図にすると以下のような感じだ。

便便便便便便

廊下廊下廊下

便便便便便便

だが1部屋は清掃用具入れになっているので実際は以下のような感じだ。

便便便便便便

廊下廊下廊下

便便便便便

そしてトイレにたどり着いた時、なんと全ての個室が空いていた。なんとなく用具入れの隣に入ることにした。

便便便便便便

廊下廊下廊下

用■便便便便

ズボンを脱ぎパンツを抜いで腰を下ろす。そしていきもうとした時、隣の個室から排泄音が聞こえてきた。なんと清掃用具入れではなかったようだ。なぜか分からないが清掃用具入れだと勘違いしてしまっていた。これは困った。隣の個室の人も「なんでガラガラなのにわざわざ隣の個室に入るんだ?変態か?」と思っているに違いない。それに他人の排泄音なんて聞いていて気持ちいいものではない。清掃用具入れだと勘違いしていなければ他の個室に入っていた。他の個室に移動するべきだろうか。しかし、すでにパンツは下ろしてしまっている。賽は投げられた、ならぬパンツは脱がされただ。脱いだのは自分だけど。

結局個室を移動すること無く便を済ませ、水を流して外に出ようと思ったところ右の個室に人が入ってくる音が聞こえた。個室はガラガラだったはず。まさか自分が入っていた数分の間に他の個室が埋まってしまったのだろうか。きっとそうだろう。でなければ他の個室が空いているのに詰めて個室に入る理由が分からない。

個室から出て他の個室の空き状況を確認する。さっきまで自分がいた個室、そしてその左右の個室以外全て空いていた。思わず「なんでだよ!」と突っ込まずにはいられなかった。

 

 

I want to be friends with you.

最近、文章をとあるブログを意識した書き方にしている。だが、どうしても真似ができないことが一つある。そのブログには筆者と同じ職場の人や友人など様々な人物が登場し、彼ら彼女らとのやり取りを面白おかしく書いている。何度そのブログを読んで笑ったことか。

しかし悲しいかな、俺にはそのようなブログに登場させられるような人物が...いない!恋人は当然いないし、友達もいない。そして職場でも最低限の会話しかしない。だからどうしてもブログの記事の題材が自分の周りで起こったことに限定されてしまうし、行動範囲も広くないので大体同じような内容になってしまう。悲しい。そして新しい刺激がないため老いが加速していく一方だ!非常にマズい。

恋人はまあ、どうでもいいので(本当はよくないけど)とりあえず友達だ。しかし友達ってどうやって作ればいいのだろうか。大人になってから友達を作るのは難しい。というかtwitterで知り合って遊びに行ったりするくらい仲良くなった人達は友達ではないのだろうか。親近感を抱いてはいるが、友達...とはまた違った存在な気がする。

これは個人的な考えなのだがtwitterで知り合って仲良くなった人達と、ゲーセンで同じゲームをやることで仲良くなった人達は同じカテゴリーだ。共通の趣味がきっかけ仲良くなった、ということだ。一緒に遊びに行ったり、一緒にご飯を食べたり、家に泊めたり、悩みの相談をしたりしてもらったり。そして共通の趣味が無くなっても交流が続いている人もいる。ありがたい限りだ。

そしてもう一つ。自分の中で『友達』とカテゴリされる存在だ。彼らは共通の趣味で仲良くなったのではなく、たまたま同じ場所に居合わせたことで話すきっかけが生まれ、仲良くなった。例えば同じ学校に通っていた、同じ職場だった等。残念ながらこちらのカテゴリに属する人はほぼいないのだが。

まあそもそもどっちも友達でいいじゃん。という気もしないでもない。だが自分の中ではこの2つは別にしたい。もちろんどちらが上でどちらが下ということは全く無い。どちらのカテゴリーに属している人も自分と仲良くしてもらってとても感謝している。ありがとうございます。

 

 

五等分の花嫁115話の展開に思わず笑みがこぼれた

待ちに待った五等分の花嫁115話が配信された。115話は個人的にすごく好きな展開だった。これでこそラブコメだ。人間振られてそすぐに頭を切り替えられるほどできた存在ではない。どんなに諦めざるを得ないような絶望的な振られ方をしても大体引きずってしまうものだ。そして第三者から見るともう無理だろ、諦めろと言いたくなるような状況でも振られた本人はまだイケる!と都合のいい考え方をして更に傷ついてしまうのだ。

あえてこのタイミングで自分語りをさせてもらいたい。もう10年近く前、当時好きだった女の子に気持ち悪いメールを送りまくっていたらいつの間にかメルアドを変えられてしまった。そしてしばらく後に共通の友人経由でその子が結婚した話を聞かされたときは随分引きずった。結婚したんだって。って聞かされた時の感情は今でも思い出すことができる。恐らく俺とメールをやり取りしてた時にはすでに結婚していた男とは交際していたのだろう。あの時の俺はすでに負けの決まった戦いに挑んでいたのだ。悲しいなあ。

話を戻そう。だから一花の考えも、四葉にブチ切れる二乃も、諦めきれずおかしな行動を起こす三玖も本当にたまらない。ルート確定して後はエンディング一直線なんてつまらなすぎる。春場ねぎ先生ありがとう!といった感じだ。

もう残り話数も少なくないのであまり風呂敷を広げることはできないのだろうが、ここからどのように物語が動き、完結していくのか楽しみで仕方がない。

 

恋人のいない男が割と幸せに生きる1つの選択肢

12月24日クリスマス・イヴ。twitterのTLは朝から大盛りあがりだった。その盛り上がりは性の6時間に近づくに連れて増していく一方だった。何が性の6時間だ。twitterでは性の6時間が始まる前から性の時間が始まってるじゃないか!と思わずにはいられなかった。

それにしても日本では『そういう日』になってしまっているので仕方ないのだが「可愛い彼女が欲しい」というようなツイートをやたら目にする日だ。そりゃもちろん付き合えるならば可愛い方がいいに決まっている。俺だって付き合えるならば浜辺美波と付き合いたいし、鶴嶋乃愛と付き合えるなら付き合いたい。

だがよく考えてみて欲しい。今恋人がいないどころか、今まで恋人がいなかった男でも一人くらいは好きになったことがある女の子がいるはずだ。その女の子はそんな芸能人みたいに可愛かっただろうか?よく見ると顔のパーツに違和感があったり、出っ歯だったり、肌が汚かったり、横顔がブスだったり、顔にでかいホクロがあったり、眉毛の書き方がなんだか変だったり、喋り方がおかしかったりしなかっただろうか。だが、それでも性格や雰囲気など、総合的なところで彼女のことを好きになっていたんじゃないだろうか。

もちろん、可愛くない女と付き合えと言いたいわけではない。俺だって付き合えるならかわいい子がいい。だが、男は案外自分自身が思っているより異性に求める条件において見た目の割合が少ないということに気づいて欲しい。イラっとするのを少しだけこらえて街を歩いているカップルを見てみて欲しい。自分のことを棚に上げて周りのカップルを観察してみて欲しい。ぶっちゃけ美男美女のカップルなんてそんなにいない。平均的なカップルが大半を締めている。だが、彼ら彼女らはとても幸せそうだ。つまり、そういうことなのだ。

そして、聞きたいのだが、そもそも恋人がいなければ不幸なのだろうか。本当にそうなのだろうか。その前に自分が幸せを感じるときはどんな時のことなのか考えてみて欲しい。好きな漫画を読んでいる時。好きな食べ物を腹いっぱい食べている時。ずっと昔から追いかけているアーティストのライブに行っている時。誰かから押し付けられたものではなく、自分が本当に好きなことをしている時を想像してみて欲しい。幸せな気持ちで心がいっぱいで『彼女がいないくても幸せ』ではないだろうか。

恋人がいたらいたでいいことも分かっている。だが、幸せの形は自分たちが思っている以上に千差万別だ。もちろん、恋人の有無は本能に繋がっているものなのでそう簡単に割り切ることはできない。今日だってスーパーでレジ待ちをしている時に目の前の高校生カップルが幸せそうで「キィィィ!」と叫びたくなるのを必死でこらえていた。そして彼らの手には100円程度のプリンがあった。値段は100円だろうが、恐らく自分はある意味ではあの100円のプリンより美味しいプリンを食べられることは今後の人生で無いんだろうな。と思ったら悲しくてたまらなくなってきた。

しかしながら、恋人がいないのは絶対に不幸だ。というのはあまりにも短絡的だ。それ以外にも幸せを感じることができることは沢山ある。そしてすでに何で幸せになれるかは自分自身が一番良くわかっているはずだ。自分の手元に無い幸せの数で悲しむのは虚しい。そうしていると今自分の手の中にある幸せを見落としてしまう。そして幸せの不感症になってしまう。今手元にある幸せを少しでも大きくできるように生きていこう。

目が覚めたら隣に可愛い女の子が寝てないかな。サンタさん、お願いします!!!!!

 

この暗い感情を爆殺!する

気がつけば5連続暗い記事が続いてしまっていた。おかげでブログ全体からまるで黒い重い空気が漂っているかのようだ。ブログのテーマはあえて白を基調にしているというのに!

別にネガティブな事を書きたくて書いてるわけではない、書きたくないのだが思うままに記事を書いているとあら不思議!暗い内容の記事が完成してしまう。そんなんだから面と向かって「を水さんメンヘラだもんね」なんて言われてしまうのだ。

面と向かって言われたときは「は?ふざけんなよ!」と思わずにはいられなかった。「誰がメンヘラじゃ!」と言いながら目の前でカッターナイフを取り出し、リストカットでもしてやろうかと思ったくらいだ。まあ、リストカットしたことは残念ながら一度もないが。そして実際はその場は愛想笑いでごまかすことしかできなかったのが悲しい。まあ、こんな記事ばかり書いてる奴がメンヘラじゃなかったらなんなのか。どうなのだろうか。十中八九メンヘラだと思います。

メンヘラかどうかは置いておいて、本当は明るい記事を書きたい。バカバカしくて、思わず笑ってしまうような記事を書きたい。基本的に人は暗い話はあまり読みたいとは思わないはずだ。

しかし!そうそう明るい話なんて出てくるものではない。ネガティブな話なら腐るほど出てくるというのに。と、ここで思ったのだ。ネガティブな感情=暗い話というのは思考停止だ。腐るほど湧いてくるネガティブな感情を笑える話にしてしまえばいいのだ!

という訳でこれからはネガティブな話でもなるべく笑えるようにカラっとした表現で書いていこうと思う。例えるならば揚げたてのトンカツのように。そして笑えるように意識していくつもりだ。そうやっていればいつかきっとネガティブ体質から解放される気がする。

 

そういえば今夜はクリスマスイブ。ということでサンタさん、俺はこの世に存在していてもいいんだ。と思える何かを下さい!!!!