親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

恋人のいない男が割と幸せに生きる1つの選択肢

12月24日クリスマス・イヴ。twitterのTLは朝から大盛りあがりだった。その盛り上がりは性の6時間に近づくに連れて増していく一方だった。何が性の6時間だ。twitterでは性の6時間が始まる前から性の時間が始まってるじゃないか!と思わずにはいられなかった。

それにしても日本では『そういう日』になってしまっているので仕方ないのだが「可愛い彼女が欲しい」というようなツイートをやたら目にする日だ。そりゃもちろん付き合えるならば可愛い方がいいに決まっている。俺だって付き合えるならば浜辺美波と付き合いたいし、鶴嶋乃愛と付き合えるなら付き合いたい。

だがよく考えてみて欲しい。今恋人がいないどころか、今まで恋人がいなかった男でも一人くらいは好きになったことがある女の子がいるはずだ。その女の子はそんな芸能人みたいに可愛かっただろうか?よく見ると顔のパーツに違和感があったり、出っ歯だったり、肌が汚かったり、横顔がブスだったり、顔にでかいホクロがあったり、眉毛の書き方がなんだか変だったり、喋り方がおかしかったりしなかっただろうか。だが、それでも性格や雰囲気など、総合的なところで彼女のことを好きになっていたんじゃないだろうか。

もちろん、可愛くない女と付き合えと言いたいわけではない。俺だって付き合えるならかわいい子がいい。だが、男は案外自分自身が思っているより異性に求める条件において見た目の割合が少ないということに気づいて欲しい。イラっとするのを少しだけこらえて街を歩いているカップルを見てみて欲しい。自分のことを棚に上げて周りのカップルを観察してみて欲しい。ぶっちゃけ美男美女のカップルなんてそんなにいない。平均的なカップルが大半を締めている。だが、彼ら彼女らはとても幸せそうだ。つまり、そういうことなのだ。

そして、聞きたいのだが、そもそも恋人がいなければ不幸なのだろうか。本当にそうなのだろうか。その前に自分が幸せを感じるときはどんな時のことなのか考えてみて欲しい。好きな漫画を読んでいる時。好きな食べ物を腹いっぱい食べている時。ずっと昔から追いかけているアーティストのライブに行っている時。誰かから押し付けられたものではなく、自分が本当に好きなことをしている時を想像してみて欲しい。幸せな気持ちで心がいっぱいで『彼女がいないくても幸せ』ではないだろうか。

恋人がいたらいたでいいことも分かっている。だが、幸せの形は自分たちが思っている以上に千差万別だ。もちろん、恋人の有無は本能に繋がっているものなのでそう簡単に割り切ることはできない。今日だってスーパーでレジ待ちをしている時に目の前の高校生カップルが幸せそうで「キィィィ!」と叫びたくなるのを必死でこらえていた。そして彼らの手には100円程度のプリンがあった。値段は100円だろうが、恐らく自分はある意味ではあの100円のプリンより美味しいプリンを食べられることは今後の人生で無いんだろうな。と思ったら悲しくてたまらなくなってきた。

しかしながら、恋人がいないのは絶対に不幸だ。というのはあまりにも短絡的だ。それ以外にも幸せを感じることができることは沢山ある。そしてすでに何で幸せになれるかは自分自身が一番良くわかっているはずだ。自分の手元に無い幸せの数で悲しむのは虚しい。そうしていると今自分の手の中にある幸せを見落としてしまう。そして幸せの不感症になってしまう。今手元にある幸せを少しでも大きくできるように生きていこう。

目が覚めたら隣に可愛い女の子が寝てないかな。サンタさん、お願いします!!!!!