親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

さあ冒険だ

 

 

子供の頃より世界が小さく見えるというか、見えない硬い膜に覆われて、それ以上のところにはどうしても行けないような感覚がある。

子供の頃は何でも冒険だった。隣の街に遊びに行く、何か新しいものを食べる。それだけで世界が広がっていく。

だけど大人はそうじゃない、新しい街に行くにしても、街とはどんなものか何となく分かっているから、子供の頃のように隣の市に行くだけで新しい世界に来たような感覚はないし、過去の経験からとんでもない組み合わせの食べ物でもなければ何となく味にも想像がついてしまう。

だからといって大人は刺激を感じなくていいかというとそんなことはなくて、刺激が無いとあっという間にボケてしまうし、刺激がないのが当たり前になってしまうとつまらない大人になってしまう。

だから大人こそ安心できるところから抜け出して、冒険に出たほうが良いと個人的には思う。

しかし、それは今より貧しい生活、精神的につらい生活が待っているかもしれない。そしてそれが今でもそこまで困ってないしなと思わせてしまう。

だけどそれが悪いことでは決して無い。変わらないという決断をするのも選択だ。しかし刺激、線路の上を歩くような予定調和の中にあるような生活は平穏でもつまらない。そして常に我慢していることがある。

新しい世界はもしかしたら新しい我慢をすることになるかもしれないが、今までの我慢は吹き飛ぶかもしれない。

そう、自分にとって完璧な状況は訪れない。やりたいことをやれたとしても、何かを我慢しなきゃいけないし、見た目が好みの女の子でもどうしても我慢ができないところがあって、そのせいで完全に好きになれないかもしれないのだ。

分からない。不安のせいで消えてしまいたくなる。

だけど、不安というのは動かずに不安が常に網膜に張り付いているように常に見えてしまうからさらに大きくなるのだ。

もちろん動いた先には新しい不安が待っている。不安を怖がりすぎなのかもしれない。

だけど怖い。しかしそれと同時に俺は何を怖がっているんだと思っている自分もいる。