親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

田舎の一軒家の縁側で毎日女の子と外を眺めながらお茶を飲むような生活

今日はお昼に焼肉を食べた。やはり牛肉は良い。肉を噛みしめるたびにトリプトファンセロトニンに変わる音が頭の中から聞こえてくる。

栄養バランスの取れた食事を全く苦にならず365日続けることができるならいいが、それは厳しい。やはり美味しいものをカロリーだとか栄養バランスだとか気にせずに思いっきり食べる人を作ったほうが精神衛生上良い。

というわけで今日はこんな時間まで遊んでいたわけだが、そんな休日を送るとどうしても不安と自己嫌悪に見舞われてしまう。

遊んで気分転換をすることは大事だと分かっているものの、気分転換しすぎなのでは、そもそもお前は気分転換するほど普段苦労しているのか、そんなに迂闊に金を使ってしまって大丈夫なのか、お前がこうして遊んでいる間も努力している人はいくらでもいるのにそれでいいのか。のような事を考えてしまう。

一寸先は闇だ。来年自分がどうなっているか分からない。一日二日何もしないだけでも、それが何年も続くと毎日努力し続けられる人とは大きく差が開いてしまう。

休日は休む日なのは間違いない。しかし、その日今の自分より僅かだけでも進歩するための何かをしなければその日はゼロではなくマイナスになってしまう。とあるゲームにも、

 人生は、上がるか下がるか。現状維持などない。なぜなら、自分が成長しなくても時間だけは過ぎていくからだ。

というセリフがある。現代は競争。上がることを諦めたものは後からやってきたものに自分の居場所を奪われ、そこから再び上がることは極めて難しい。待っているのは貧しい、誰からも疎んじられる生活だ。

数日だけで何かが大きく変わることはない。しかし毎日の積み重ねで5年後10年後は大きく変わってしまう。当たり前の話だが、今日の自分が未来の自分を作るのだ。スキルをつけて万が一会社が無くなってもまるで困らないようにしたいし、まとまった貯金を作っておいて全くの無収入でも暮らせるようにしておきたい。最近話題になっているFIREにまで行かないにしても、ある程度は自分の力で生きていけるようになりたい。

とはいったものの、何でそんな将来のために今を我慢することしなきゃ将来辛い目に遭うことを回避できないのかと思わずにはいられない。できるならベッドに横になってアマプラで気になった映画をダラダラみて、積ん読になってる小説を消化する毎日を過ごしたい。

そもそも今はアリとキリギリスのアリみたいな暮らしは時代遅れなのだろうか。キリギリスのほうが将来振り返ってみたら正解だったりするのではないだろうか。そんな事を思ってしまうから、両方のつまみ食いのようになってしまって、今も将来も楽しめなくなってしまう。毎日女の子と適当に暮らして、何一つ生産性はないけど、胸を張って「俺は幸せ」といえる人生を送りたい。