親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

イジョドクの迷走

10月の終わりから11月。ここ数年はなぜかだか分からないが、女性と新たな出会いのある時期になっていた。そして最後は必ずこちらが必死になりすぎて嫌われるのもセットだ。女の子は難しい。

出会いがあるだけいいじゃないかと思うかも知れないが、んなことはない。逆にその辺りを歩いてるカップルが余計羨ましく感じてしまう。

今年はどうだろうか。緊急事態宣言は解除され、某ウイルスの感染者も激減しているが、今の所まるで気配はない。心をかき乱されるのはつかれるけど、本音を言うとやはり寂しい。

しかし、これで良かったのかもしれない。転職が決まり新しい会社に入るので新しいことを覚えなければならないし、小説の新人賞に応募するための時間も必要だ。女の子のお尻を追っかけている場合ではないのだ。

とは言ったものの何があるかは分からない。髪型、眉毛、スキンケアといったものは日頃から気をつけているし、今年の夏くらいからは服装もずっと抵抗があったビッグシルエットに手を出すようになった。手前味噌だが、三色チーズ牛丼を注文してそうな顔つきだった数年前の自分と比べると見違えるほどに顔つきが良くなっている。いつひょんなことから出会いがあってもバッチリだ。まあ、そんなラブコメみたいなことはそうそう起こらないだろうけど。

見た目の話は置いておいて、去年から新人賞に投稿するようになり先月までで3作小説を書いた。今は4作目のプロットを練っているところだ。

もしかしたら、こいつ充実してるなと思う人もいるかもしれないが、そのとおりだ。小説を書くのは楽しい。いいアイディアが浮かんだり、いいシーンを書けた時の万能感は気持ちいいし、書くこと自体も楽しい。もっと面白い小説を書けるようになりたいという向上心もあるし、小説を書くということで今まで世界の見え方が変わってしまったこともある。もっと早く書き始めればよかったと思っている。最高だ!
しかし、小説の技術書を読んだり、好きな作家の小説を写経したり分析したり色々やってみているが、そうすればするほど、小説というものがよく分からなくなってくる。読んでいて興味を惹きやすくなるストーリー展開や、共感を得やすくなるキャラクター設定、プロットの書き方、そういったものは分かってきたけれど、それはあくまでも知識であって、けっして『正解』ではないのだ。それらを学んでも、『なんだか違う気がするけど、締切に間に合わせるために良しとする』ことを甘んじて受け入れなければならない。完璧主義の自分にはこれがけっこうつらい。

まあ、きっとベテランや過去の文豪たちも同じことで悩んできたのだから、小説を書き始めたばかりのペーペーが簡単に解消できるわけないだろということも分かっているし、そもそも小説に正解なんてものはなくて、誰が読んでも面白くない小説は書けても、誰もが面白いと思えるものなんて絶対に書けないとは分かっている。しかしそれでもこのもどかしさはあまり楽しくない。

結局の所、小説に限った話ではなく、やはり何事にも完全な正解はない。ファッションの話でいうと、本を読んだりネット上の記事を参考に昔の自分なら絶対買わなさそうな服を買うようになったが、オシャレなのか、ダサいのか分からなくなってしまうときが何度もある。少なくとも小汚くはないと思うが、不安になって様々意見に振り回されてしまい、買ったはいいものの何回か着ただけでタンスの肥やしになってしまった服が結構な数あり、おかげで収納スペースが足りなくなってしまっている。

徐々に冬になりつつあるが、今年買った服は今持っているアウターとは合わせにくくて新しく買うしかなさそうだが、今持っているアウターはまだきれいで着られるし、今年は少し服を買いすぎた感があるのでこれ以上の出費に躊躇してしまうが、かと言って合わない今のアウターと新しく買った服たちを合わせることに抵抗がある……という困った状態になってしまっている。

そして生き方についてもそうだ。女の子を求めるのは本能で一生付き合っていかなければならないのだから、小説なんてもう諦めて仕事に集中して収入を上げ、モテ力を上げる。という選択肢もあるが、小説を書き続けることも決して完全な間違いではない。もしデビューできれば人気が出てモテる可能性もゼロではない。今も小説を書いているのも、モテ力のない自分に存在理由を与えるためという面もあるし。結局どちらもモテにたどり着いてしまうが、男なんてそんなもんだ。風野灯織ちゃんと交際したい。