「今までの人生で失敗ばかりだったせいか、自分に自信が持てず、全てを諦めてしまっている。そしてそれが表情に出ている」
このような事を面と向かって言われてしまった。チクチク言葉どころかグサグサ言葉だ。主観的には自分は変われたと思っていたのだが、たった数年程度の努力ではダメなようだ。まあ、なんとなく分かっていたけどな!
こんな事言われるのは地団駄を踏みたくなるし、何とか自分を変えようとしてみたものの、未だに『そっち側』から離れることができない自分が悔しくてたまらない。
昔はそうじゃなかった気がする。無駄な自信にあふれていた気がする。だがそれはきっと勝負をしていなかったからなのだろう。別に昔は強いわけではなかった。1敗2敗と敗北を重ねていくうちに徐々に自信ポイントが減っていき、気がつけば自分に自信を持てなくなってしまったのだ。
人間社会で生きていく以上、勝負は避けられない。受験、就職、恋愛、仕事。様々な場面で誰かが勝てば、必ず誰かに負けが押し付けられる。そして負けを誰かに押し付けられる人間は勢いづき勝利の階段を登り、負けを押し付けられ続ける人間はどん底へ沈んでいく一方だ。そこに一発逆転はない。
そして負けグセは負けたという事実以上のモノを負けグセがついてしまった人間に与えてしまう。今までダメだったのだから、どうせ今回もダメだろうと勝負をしなくなってしまう。諦めの人生だ。敗北が無い代わりに勝利もない。刺激がなく、常に頭に靄がかかっているような、空虚。そしてそんな人生は表情に現れる。頼りない顔つきだ。
まあでもどうしようもない。これが現実なのだ。俺が負け続けるおかげで誰かが勝ち続け幸せになれていると自分を慰めるべきだろうか?そんなのは絶対に嫌だ。勝ちグセがついている人間と、負けグセがついている人間で何が違うのだろうか。やはり、生まれ持った能力なのだろう。有能な親から生まれれば自然と勝利を収め、勝ち続けられるだろう。そして無能から親に生まれれば……。
人間は動物である以上、能力の差ができてしまうのはもう仕方ない。自分のための世界じゃないのだから、人生終了時にあなたは0勝1646546165敗。勝率0%です。と視界にウインドウが出てしまっても別に不思議じゃない。
そんな運命の元に生まれてしまったとしても、このままは嫌だ。負け癖がついている人間に一番必要なのは、負け続ける勇気。これ以上負けを増やさないような生き方には、万が一にも勝利はない。しかし負け続けても勝負を続ければ、奇跡を拾えるかもしれない。何度も心が折れそうになっても、全てを投げ出したくなっても、負け続けるしかない。どうせすでに負けまくっているのだ。多少負けが更に増えたところで問題はないだろう。
まあ、そんな気概があれば負けグセなんてもっと前に払拭できている気がするのだが。となればもう頭を空っぽにして動くしか無いのかもしれない。それこそ、死んでも構わないと、死にものぐるいで。それがオスという戦うことを義務付けられた性別の宿命なのかもしれない。