親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

何だか虚しくなってきたので吐き出してみる

歯医者で歯をクリーニングしてもらった。自分の歯ってこんなに綺麗だったのかと驚愕するほどピカピカになり、この綺麗さをなるべく長く維持できるように頑張ろうと静かに決意した。

先生には「歯周病を意識したほうがいい年なので、歯磨きには気を使ってくださいね」と言われた。普段なるべく自分の年を気にしないようにしているようにしてるが、こんな事を言われると意識せずにはいられない。

今回の件もそうだが、最近自分の年を否応無しに意識せずにはいられない出来事が連続して起きている。

先週会社の面談があり、上司からは「頑張っているとは思うが、俺が期待しているほどではない」と言われた。オブラートに包まれている真意がすぐに伝わってくる。わざと頑張っていないのだが、そのようなことを言われるとやはり居心地が悪くなってきた。それを振り払うかのように苦笑を浮かべつつ、曖昧な言葉でその場を切り抜けた。しかしウソをつけない性格なので表情からは「極力働かずに金だけほしいんですよ~」という本音が漏れ出ていた気がする。

その後上司からは「お前より年下の人間が何人も昇格していくがなんとも思わないのか?」と「恋人とか、結婚考えたりしないのか?」と言われたが、前者は「全く思いません(本当にそう思っている)」、後者は「全く興味ありません(こっちも本当にそう思ってる)」と答えた。

確かに自分の年はいわゆる部下を持ったりと、手足から手足を動かす側に変わる、『働き盛り』なのだろう。そして大多数の人は自分より年下の人間が出世していくことに悔しさを感じるのかもしれないし、自分の年齢なら結婚のひとつでも考えるのかもしれない。しかし自分はどっちも心底どうでもいい。価値を全く感じない。

会社に限らず、抜きん出たければその分時間を費やす必要がある。会社で出世したければその分働かなければならない。そして当然だが、多く働いた分自分の時間がなくなる。仕事が好きでたまらないなら別にいいと思うが、帰って寝るような毎日を送ってる人を見ると「そんな人生に意味ある?」と思わずにはいられない。そんな生活にはどこにも『自分』がない。それでいいのだろうか。

自分はやはり、平日でも自分の時間が無いと絶対に無理だ。筋トレをしたり、好きな本を読んだり、小説を書いたりだとか、自分が自分でいられる事を我慢してまで働く理由が全くわからない。

しかしそこで1つの疑問が生じる。「それで、そんな人生に意味があるの?」

いや、ない。別に仕事に人生の大半を費やそうが何をしようが結局は死ぬ。そして何も残らない。

別に毎日のように遅くまで残って仕事している人も会社のために働いているわけではない。自分のために働いているのだ。沢山働くことで家族がいれば家族の生活環境を良くすることができるし、転職する際は役に立つ。きっと今の会社で自分より早く仕事を始めて、自分が仕事を終えるときもまだ仕事をしている人はそのような事を考えているのだ。

結局、そういうことだ。何度も自問自答して同じ答えを出してきた。今更な気もする。それでも、なんでそんなに頑張るんだろう。と思わずにはいられない。そしてそんな人達と比べて、言ってしまえば刹那的な、甘い自分が嫌になってくる。

それにしてもなんで生きるためにそんなことをしなきゃいけないのか。8時間働くだけでも苦痛なのに、毎日もっと働くなんて病気になってしまう。頭か体のどっちかが絶対におかしくなってしまう。

だけど仕方がない。この世は資本主義。弱い人間は強い人間に時間を差し出して金をもらうしかない。そして下に行けば行くほど生活は苦しくなる。だから多少頭か体が病もうとも、必死こいてなんとかして少しでも上に行くしか無い。

なんで生きてるんだろう。