親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

2021/02/23 日記

久しぶりにゲーセンに行って音ゲーをした。ホームゲーセンは行く時間帯がいいからかもしれないが、9割くらい連コができてしまう。連コできる事自体はありがたいのだが、インカム大丈夫なのかなと不安になってくる。あまりにもインカムが少ないと撤去されてしまうかもしれない。

とは言ったものの、何クレかプレイしているとインカム大丈夫かな?という不安はどこかへ行ってしまう。頭にあるのは「次は何の曲をやろうかな?」だけだ。

しばらくプレイしているうちにフロアのどこかから奇声が聞こえてくることに気づいた。斜め後ろにあるSOUND VOLTEXで数人が騒いでいる。音ゲーはやっぱり集中力が大事だ。奇声が聞こえてくるとどうしても集中を保つことができない。

ここで店員さんに頼んで注意してもらおうか少し悩んだ。

いやしかし店員さんも客に注意するのは嫌だろう。そう考えると店員さんに頼むことを躊躇してしまう。かと言って自分で注意しに行って逆ギレされたら面倒だ。自分が我慢すればいい。

無理だ。集中しようとすればするほど集中できなくなってくるし、イライラする。普段ならば一回ゲーセンに行くたびに1000円は使うのだが、今回は500円ほどで撤退することにした。

今考えるとやはり店員さんに頼んで注意してもらったほうがよかったと思っている。自分以外の周りのお客さんもギャーギャー騒いでいる奴がいたら長居しようとは思わないし、そうなると店の収入も減ってしまっていいことがない。

 

この記事は朝書いたものを修正しました

今日は久しぶりに会社に行く日だった。最近はヘアアイロンで髪型をセットするようにしているのだが、今日はミスってしまった。耳の上は跳ねすぎてるし、頭頂部にボリュームをつけすぎてしまった。おかげで一昔前のアニメキャラのような髪型になってしまった。やり直すのも面倒くさいし、こんな頭で外になんて出たくない。しかしそんな時間も無いのでヘアスプレーとワックスで無理やり潰す。

こんな記事を書いてしまったせいか、電車に乗ったら朝からいちゃつくカップルと同じ車両になってしまった。視界に入ると苛ついて仕方ないので彼ら彼女に背中を向け、ノイズキャンセリングイヤホンを装着。外音を完全にシャットアウトすべくイコライザをいじって音楽を再生!これで完璧!なわけないんだよな〜。やっぱり聞こえてしまう。妙に甘えたようた女の声がノイズキャンセリングを貫通してしまう。会話に聞き耳を立ててないようにすればするほど集中して聞いてしまい、朝からストレスで胃痛と脳を覆う黒い不快感に襲われる。外は危険がいっぱいだ。
朝からこんなだと、「ふざけんなよ!俺前世でなにかした!?」と喚きたくなってしまう。気がつけば頭が自分ではない何かに支配され、電車降をりるときにカップルに体ぶつけてやろうか?と本気で考えてしまうほどだ。
まあ、もちろんしない。そんなことしても意味ないし、何よりダサい。深呼吸して落ち着いてから隣の扉から降りた。冷静になるとなんでそんな生産性のないことを思いつくんだと自己嫌悪に苛まれる。
カップルが自分に忖度する筋合いなんてないから周りのことなんかお構いなしにイチャ付けばいい。ガンガン子供作って少子化対策に貢献してください。

「文才に惹かれてます」と近づいてきてくれた女の子には愛想を尽かされ、「を水さんのことは尊敬してるけど、それ以上は絶対にありません」と言われたり。落ち込みたくて仕方がない。というか落ち込まないやつ人間じゃないだろ。
しかし落ち込んでいる暇はない。いつまでもウジウジしていても、倒れてる間に自分が掴んだかもしれない何かを誰かが持っていくだけなのだ。いけないいけない。つい自己憐憫に陥ってしまう。
打ちのめされてから再び立ち上がるのは、全身に重りがぶら下がってるかのように苦しい。だけど、そんな状態から立ち上がれたらカッコいいのだ。カッコよくなろう。

生々しい禁止令

最近非モテと人生についての記事ばかりになってきた当ブログ。もちろん、良くないよなと思っている。オタクの残滓としてもっとオタクらしいものを嗜んだほうが息抜きになるはず。

そう思ってはいるものの、気がつけばミシェル・ウェルベックだとか生々しい作品ばかり読んでしまうし、ラノベを読もうと思っても『友崎くん』や『千歳くんはラムネ瓶のなか』のような自己啓発の香りがするような作品を読んでしまう。本当は『からかい上手の高木さん』のような女の子の方から主人公に好意を隠す気配を見せることもなくぶつけてくるような作品の方が好きだし、快感を与えてくれる。

しかしあの手の作品を見た後に抱く離脱症状のようなものが辛くてたまらない。所詮、この手の作品に触れている間に与えてくれる多幸感は虚構なのだ。自分には高木さんのような女の子はいないし、そもそも10代ですらない。

だから明日、私は誰かのカノジョを読むことにした。まさに今の自分が求めていた作品だった。描かれる登場人物が生々しすぎて読んでいる間ひたすら不快な感覚を抱かずにはいられなかったが、ページを捲る手が止まらなかった(Kindleだけど)。

最新の5巻まで読み終えた今、「いやー人類とかいうクソみたいな生物早く滅びたほうがいいな!」と割と本気で思っている。世の中作中に登場するような人間ばかりではないと分かっているが、それでも「いるよな、こんな奴」と思ってしまう程度にはいるはずだ。

おかげで振られたばっかりだというのに、むしろ振られてよかったなと思ってしまっている自分がいる。人間なんて自分も含めて生々しい欲望で溢れてる。異性と深く関われば関わるほど、その欲望に傷つけられてしまう。何度も読み返す気の起こらない嫌な漫画だが、立ち直りが早くなったことには感謝しか無い。

とまあ、今の時点では恋愛なんて懲り懲りだなと思っているのだが、きっとこの感情はすぐに消えてしまうだろう。外に出て幸せそうなカップルを見かけたら間違いなく一瞬で今抱いている感情は消失する。そうなった場合、自分の中に相反する感情を抱えることになってしまう。そう思うと外に出たくない。もしくは、隣を歩いてくれる女の子をゲットするチャンスを与えてください。チャンスを与えてくれたら後は自分でなんとかします。

 

夜の魔物

夜ってなぜ暗いことばかり考えてしまうのだろう。もちろん、何かしらの理由があるのは分かっている。それでも、昼間はさほど気にならなかった悩みも夜に考えると頭が重くてたまらないのはきつい。

夜は悩みの重みが指数関数的に増す。100gの悩みは夜になってもせいぜい110gくらいにしかならないから別に憂鬱にならないが、500gの悩みは4000gくらいになってしまうのでその重みで死にたくなってくる。

去年の終わりくらいからはずっとポジティブ思考でいられたのだが、ここ数日、落ち込むことが多くてネガティブ思考寄りになってしまったためそれに気づくことができた。素晴らしい発見だ。生きるって楽しい。

人間という狭苦しくて乗り心地の悪い乗り物に自分の精神が宿ってしまったことに窮屈さを感じることもあるが、感情が動くってアトラクションだ。上手く行かなくて抱く焦燥感も、上手く行きそうだと思っていたところからのどん底への転落も、将来への漠然とした不安も、全部人生という死がゴールのアトラクションだと思えば結構楽しめる。

例えるならば、今までは体がロボットで、脳が操縦者自身(=自分)のところを、更に脳の中にコクピットがあり、その中で自分が操縦しているような感覚にしていくのだ。そうするとメンタルがボロボロになっていても辛さが少しマシになる。まあ、辛いのは事実だし、そうなっちゃうと仕事に全く手がつかなくなってしまうのだが。あくまで楽にするためで、なんとか頑張るためのものではないということで。

謝りたい

生きていると「こんな辛い思いを抱えながらこれから生きていかなきゃならないのか」とさらに辛くなってしまうことに遭遇する。

夢を諦めた時。失恋。大きな失敗。しかし月日が経つと思い出しても当時は辛くてたまらなかったのに「あのときは辛かったな」といい意味で懐かしむことができる。

その記憶を取り出すと、まるでその時の気持ちが最近の感情の記憶とはちがう形で保存されているかのように感じる。まさに記憶からただの記録、アーカイブ化されている。

だから今辛くても徐々に同じようにアーカイブ化されていくと思うと気が楽になるし、同時に今の気持ちもその程度のものなのかと寂しくなってくる。

そして他人からされたことは結構覚えているのに、逆に自分がしてしまったことは記憶に残りづらいとは言え、簡単に忘れてしまう事に罪悪感を抱かずにはいられない。感情的に、自分勝手な理由で相手を傷つけてしまっても、他人にされたことに比べて思い出すことはほとんどない。意識して思い出そうとしなければ思い出すことはない。

それはやはり恥ずかしいことだからなのだろう。

だけど、つい先日してしまったことを敢えてこの場で謝罪したい。

振り向いてもらいたい。ただそれだけの理由で身勝手なことをしてしまって本当にごめんなさい。また顔を合わせて話したいです。

昼休み

一気に色々とやらかしまくってしまって頭の中が混沌としている。そんな頭の中がごちゃごちゃしている状態では当たり前だが仕事に全く集中できない。なんとか集中しようとすると脳裏に後ろ向きな感情がよぎり、作業を妨げてくる。それでもなんとか集中し始めても、気がつけば瞬きするかのように頼んでもいないのに勝手に暗い事を考えてしまう。そして手が止まる。

この記事は昼休みに書いているが、午前中で終わらせるつもりだった作業が1つも終わっていない。こういう時誰かと話せれば……と思うのだが、在宅勤務なので誰もいない。「こんなんでまともに仕事できるわけねえだろ!」と子供のように喚きたくなってくる。

そしてこんな状態なので、どうしても悪いことばかり考えてしまう。自分は変われていたと思っていたが、それは鎧を何重にも装着していただけで以前と全く変わってないだとか、そんなことを考えてしまう。

それでもやはり、以前の自分とは違うようだ。昔の自分ならネガティブな感情の操り人形になってしまい、さらにネガティブになってしまう行動を取ってしまっていた。ネガティブな感情で頭がいっぱいなときはその感情に従うのが楽だからだ。

だが今はそんなネガティブな感情に振り回されつつも、「ネガティブになると今のような状態になるのは仕方ない」といい意味で諦められていたり、自分を押しつぶそうとしてくるネガティブの壁を必死に押し返そうとしていた。しかも無意識のうちにだ。

やはり『思うように結果が出ない』というのはどんなに前向きに考えていても、無意識のうちに自分を蝕んでいく。そんなにすぐに結果が出るものではないと頭で分かっていても、どうしても心の奥で苛つきや焦り、無力感を抱かずにはいられない。

バレンタインデーの夜なので語らせてくれ(日付変わっちゃったけど)

恋愛はやはり駆け引きが大事だよなと常々思う。自然に振る舞って自然に女性を魅力できる性格でもなければ、悪く言えば自分を偽る必要がある。女性は男性に比べて感情的な生き物だ。感情を揺さぶってくれる男性を魅力的に感じる。だから、「自分なら楽しい感情のジェットコースターに乗せてあげられるよ」と言葉ではなく、相手に行動で分からせる必要がある。ラブコメの定番、最初は主人公とヒロインはぶつかりあうも、主人公の意外な優れた一面、優しさを知るうちにいつの間にかヒロインが主人公に惹かれてしまうのも、話の流れでいつの間にかヒロインが主人公による感情のジェットコースターに乗せられてしまっているのだ。

そして更に大事なのはこちら側は相手の態度がそっけなくても、メッセージの返信が遅くても「この子ダメでも別にいいか。じゃあ次の女に行くだけだし」とあくまで冷静でいること。間違っても「あんなこと言ったから嫌われちゃったかな?」とか「やっぱり俺の事どうでもいいんだな」と自分の中で相手のことが大きくなってしまうような事は考えてはいけない。そうなってしまうとどんなに気をつけていても気持ち悪い行動として表れてしまう。逆に相手に「私のことどう思ってるんだろ」と思わせないといけないし、どんなに話してて楽しくても、可愛くても、会話のキャッチボールがろくに成り立たない世界一のブスと接してるくらいこちらは余裕がある必要がある。

まあ、それができればいいのだが、どうしてもできない。気がつけば相手のことが自分の中で時間の経過とともに大きくなってしまうし、駆け引きのできない直球勝負だけになってしまう。前よりはマシになったとはいえ感情を動かすどころか和みを与える行動が基本になってしまうし、相手の期待に応えようとして、悪い意味でただのいい人になってしまう。そんな状態なので「やさしい」「いい人」と言われるのは悪口に感じ、「お前嫌なやつだな」と言われたら褒め言葉と感じてしまうくらいだ。

個人的にはやはり自分の中で相手を無駄に大きくしてしまうのが一番やってはならないことだと思う。今も昔もやはり女性は『強いオス』が好きだ。自分の中で相手が大きくなってしまうのは、感情が動いている証拠だ。そして簡単に感情を動かされてしまうような男は『弱いオス』と判断されてしまう。

そして何より振られた後だ。振られたからといって相手への感情がすぐに消えることはない。叶えられることのない自分の中で大きくなってしまった相手への思いは、情緒不安定をもたらす。毎日が辛いし、相手に似てる人を見かけたり、相手の名前と同じ文字を見るだけで古傷がうずくような感覚を抱いたり。忘れようと思い出の品や連絡先を捨てたり消したりしても、それらの行動は辛さに変わるだけで相手への思いはなくならない。最初から存在しなかった人だと思えればいいのに。