親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

異常独身男性、前向きになる

『何か』を変えたくて始めたことでも、それが習慣になってしまうと刺激が一気に無くなってしまう。当然だが、そのような地味な積み重ねは大事だ。一発逆転狙いは一発ゲームオーバーになってしまう。たまたま上手く行っても再現性が無いのでそう何度も続くことはない。だから今の自分ができることを少しずつやっていくしかない。

とは言ったものの、毎日その繰り返しだと飽きてしまう。最近毎日朝と夜は小説を書いてるし、夜は夕飯前に筋トレをしている(偉い!)。女の子と遊んでいて帰るのが遅くなってしまっても腹筋だけはやるようにしている。おかげで気がつけば腹筋がきれいに6つに割れた。やはり、うれしい。

それでも、大事だと頭では分かっていても日常がルーチン化しすぎると毎日に飽き飽きしてくる。

だから、今まで経験したことのない領域に飛び込むしか無い。未知の領域に足を踏み入れるのはやはり怖い。しかし一回足を踏み入れると思ったより怖くないことに気がつく。それに気がつくと、次にまた別の未知の領域に踏み込もうと思った時に足取り軽く飛び込むことができる。

そして個人的に飛び込む時に大事だなと思っていることが一つある。お金を払うことだ。ジュース一杯のような、失っても痛くも痒くもない金額ではなく、若干躊躇するくらいが丁度いい。それくらいのお金を払ってしまうと、自然と「何かを得たい」と思うようになるし、「せっかくお金を出したんだから……」と放置してしまうことも起こりづらい。

別に何か習い事を始めるとかそんな大それたことではなく、今まで見たこと無いけどちょっと気になっていたジャンルの映画のBlu-rayを買ってみるとか、アマプラやKindle Unlimitedのようなサブスクではなく、お金を出してみよう。バカみたいなことにお金を使ってみるのもいい。常識の範囲内でだけど。

以前から興味があることだから、案外ハマってしまうかもしれない。その時、自分の世界が広がる。「人生つまんねえな」と斜に構えていた自分を恥じたくなるかもしれない。

 

異常独身男性、なんか頭がとっちらかる

最近欲求不満が溜まりすぎて、ついにやらかしてしまった。とあるアプリで知り合った人にお金を払って一部の恋人がやってそうな事を頼んでしまった。当然だがいやらしいことではない。公衆の面前でやっても全く問題のないことだ。

高い勉強代だった。このお金で、この時間で何ができただろう。と後悔の念しかない。しかも逆に余計な悩みや苦しみが増えてしまった。こういうのはやはり心理的安全性のある『本物の恋人同士』でやらなければダメだ。虚しい。しかし一時は気が紛れてしまう。粗悪なドラッグにハマってしまったかのような気分だ。

まあそのおかげでそんな偽物ではなく「本当の恋人がほしい」という思いが強くなってきた。なりふり構わず頑張るしか無い。まだ、ギリギリタイムオーバーではないはずだ。だから頑張るなら今なのだ。今腐って何もしなくなってしまったら、完全にゲームオーバーだ。セルフネグレクトによって黒いドロドロの液体になる未来が見える。

しかしながらこの意思は『自分』が望んでいるものではない。本能がそうさせているのだ。だが本能は切っても切り離せないものだ。だから自分の一部だと思って行くしか無い。

それでもやはりその『自分の一部』に嫌悪感を抱かずにはいられない。女性に好意を持っても「俺はただヤりたいだけで、好きなんて感情は無いクズみたいな人間なんじゃないか」と考えてしまう。もしかしたら一回することをしてしまったらこの胸の中にある思いは幻のように消えてしまうのではないだろうか。そんなことを思うと怖くてたまらない。

だがそれはきっと間違いなのだろう。ヤりたいならヤりたいという感情でとりあえず突き進めばいいのだ。自分の都合で相手のことなんてお構いなしの男はモテるのだから。

しかし頭では分かっていてもそんなのは認めたくない。だから他人から穏やかな人間に見えるように振る舞う。おかげで「優しそう」とは言ってもらえるが。冗談じゃない。ホントはもっとオラついてるような、暴力が人間の皮をかぶっているような男になりたい。出来の悪い殻をかぶってるから時たま中途半端に性欲が漏れ出て気持ち悪いバケモノになってしまう。

もう随分昔の話だが、当時好きだった女の子からまさに『そういう男』と付き合っていたという話を聞かされた時は吐きそうになった。いや、吐く直前まで行った。同時に彼女に失望し、彼女への思いも冷めてしまった。そしてそんな自分がイヤでたまらなかった。彼女は別に悪くない。男も女も遺伝子によって操作されているのだ。彼女が悪いわけではなく、こんなふうに進化してしまった人類が悪いのだ。

だからやはり人類は今すぐ滅んだほうがいい。少なくとも、こんな思いをするなら植物か何かに生まれたかったとわずかに思っている。

異常独身男性、養命酒を飲む

Twitterでなにか流行っているとついつい欲しくなってしまう。過去にはデオコや無印の洋服用ブラシ等を購入し、今も使い続けている。そう思うとTwitterもなかなか悪くない。

そして今回は養命酒だ。死ぬ直前までボケることなくピンピンしていた祖母もそういえば愛飲していた。

養命酒を飲み始めて数日経つが、確かに様々な変化が体に生じ始めた。まず朝目覚めがよくなった。どれくらい変わったかと言うと、「いやだぁ、起きたくねえ」から「しゃあねえ、起きてやるか!」くらい変わった。ベッドから出るのが苦痛ではなくなったのはかなり大きい。ベッドから出られずにグズグズしていると朝の貴重な時間は減っていくし、そんなダメな自分に自己肯定感がゴリゴリと削られていく。目覚めが良くなったのは地味にかなり大きい。

そして何より性欲が強くなった。それもそのはず、養命酒にはマムシから作られた生薬が入っている。そりゃ強くなるよなあ。

www.yomeishu.co.jp

そしてこれは個人的なものだが、今の所養命酒は朝と寝る前に飲んでいる。寝る前はまだいい。だが朝が問題だ。養命酒は薬とはいえ、酒だ。若干抵抗があった。

しかし今は全く無い。むしろ朝から酒を飲んで仕事をするという事実にテンションが上がり、パフォーマンスが上がっている気がする。単に酔ってるだけかもしれないけど。

異常独身男性、今宵も『女の子』について語る

最近以前に増して『女の子ツイート』をすることが多くなった。しかし実のところ本当に女の子が恋しいのか、自分のアイデンティティ維持のためにやっているのかちょっと分からなくなってきている。

先月くらいから『ドタキャンチャレンジ』と称して某アプリで知り合った女の子と食事に行く約束をしてはドタキャンされるを繰り返していたが、ついに先日連続ドタキャン記録が止まってしまった。しかも思いの外彼女には気に入られ、解散する前にすでに2回目に会うことが決まってしまっていた。お情けでフォロワーの女の子(みんな男がいる。くそったれ!)と遊んでもらったりしている内に女の子と話すのが上手くなってしまったようだ。もちろんそれだけではなく、トーク術的な本を何冊も読んで勉強したことも強調しておきたい。

きっと以前の自分ならば、今の状態にめちゃくちゃテンションが上がりまくっていたはずだろう。しかし今は自分でもびっくりするほど冷めている。(今もこんなブログを書いてるくらいなので、もしかしたら傍から見るとテンションが上がっているのかもしれないが)

冷めている理由は一つ。恋人にしたいという意識より「今俺はラブホRTA中」だというクソみたいな意識のほうが自分の中で勝っているからだ。彼女はちょっと派手な風貌だが話してみた限り素直だし、共通の趣味もある。

だが出会い方がやはり良くない。他の人はどうだか知らないが、マッチングアプリで知り合った女の子には女の子特有の癒やしより、性的なものをどうしても重点的に求めてしまう。今の子も何度か会ううちにもしかしたら自分の中で意識が変わっていく可能性もゼロではないが、どうしても自分の中では『そっち』が先行してしまうのは否めない。

そして余談だが多分『女の子を攻略する』という事に関しては今のマインドの方が良いだろう。女性は絶対納得しないだろうが、男性の方々は同意してくれるはずだ。世の中のいけ好かないけどモテる男なんて大体こんな感じだ。

と、ここまで書いておいて自分の名誉挽回をしたい。自分は男なのでどうしてもこのような事を考えずにはいられないが、女の子に求めているのは性的な事だけではない。むしろ割合としては少ない。0ではないが。

女の子と2人で満天の星空を眺めたいし、どこかの旅館で広縁で向き合って座って言葉交わすこと無く風景を眺めていたいし、2人で鍋を突っつきたいし、2人でこたつに入ってただダラダラしていたいし、ベッドの上に肩を並べて座ってただボーッとしていたいし、天気のいい日にその辺に目的もなく手をつないで散歩に出かけて刹那に幸せを感じたいし、一緒に料理したいし、旅行先で写真撮りまくったり、将来の話をしたり、黒タイツを履いてもらって膝枕されたい。80デニールがいい。とにかく彼女に喜んでもらって、その笑顔を見て自分も幸せを感じたい。与えてもらう幸せより、与えて喜んでもらう幸せのほうがやはり強い。

おそらくこのようなことをやってくれて、しかも楽しいと思える女の子はマッチングアプリにはいないと思うのでやめたほうがいいと思うのだが、じゃあやめた所でどうなるかというと、どうにもならない。ただでさえ今でもカップルが視界に入るだけで苦痛に感じるというのに、何もしなかったら冗談抜きで外に出られなくなってしまう。

じゃあどうすればいいんだろう。分からない。いや、なんとなく分かってはいるのだが、口に出したら最後、自分はさらに熾烈な争いに身を投じなければならなくなってしまう。

 

気がつけば当時好きだった女の子に振り向いてほしくて、今の自分からすると間違いだらけのアプローチを繰り返し、距離を取られ、それでも諦めきれずに気持ち悪い行動を繰り返し心が折れ、結果自律神経がイカれてからもうすぐ2年だ。彼女と知り合ったのはちょうど今頃なので当時のことを思い出すと、余計な情報が削ぎ落とされ、無駄に美化された思い出で胸が苦しくなってくる。

まあそれはさておき、なんだかんだであの頃の自分より成長したはずだ。いい意味で開き直れるようになったし、女の子と食事の前にドキドキしすぎて気分が悪くなるようなことなんてもう二度と起きないし、オタク特有の卑屈さは鳴りを潜めた。でもやっぱり頭の中は女の子でいっぱいなので小説を書くスピードが遅くなってしまったし、その女の子に対するエネルギーを小説に昇華できているかといったら、今の所昇華するどころか枷にしかなっていない。順調に「オタクを辞めた虚無」になりつつある。

誰か俺と付き合って!

カップルは出てきません

今日は引きこもっている予定だったのだが、気分転換に外に出ることにした。

寒い。いつの間にか季節が夏寄りの秋から冬寄りの秋に変わっていた。夏は夏で冬が恋しくなるのだが、冬は薄着で出歩るける夏が恋しくなる。冬優子ちゃんは夏でも秋でも恋しいが。

運動のために少し遠くのスーパーに行くことにした。道すがら、この涼しいから寒いに変わっていく途中のような肌の感覚に、懐かしさに似たものを抱いた。しかし懐かしいという感覚を抱くのはおかしい。今の所にはもう何年も住んでいる上に、ここ数年で大きく気候が変わったわけでもないからだ。

なのになぜ懐かしいに似たような感覚を抱いたのだろう?答えはすぐに出た。そういえば地元から今の場所に引っ越してきたのは11月だ。引っ越してきたばかりの頃はどういう理由だかはっきり覚えていないが、毎日のように夕方から夜にかけて家の周りを歩き回っていた。つまり、今の気候が引っ越してきたばかりの頃の記憶を思い起こさせたのだ。

しかし毎年この季節は一歩も外に出なかったことは一度もない。毎年肌でこの季節の空気を肌で感じているのだ。それなのになぜ今になって懐かしさを抱いたのだろうか?

あれこれ考えてみたが、結局答えは出なかった。一応今年は地元から出てきて節目の年だがあまり関係ないだろう。

それはともかく、懐かしいという感覚を抱くたびに息苦しさに似たものを感じることが増えてきた。これは昔の自分と今の自分の乖離が大きくなればなるほど増えていくのではないかと思っている。まずい兆候だ。昔の自分が今の自分を見ても絶望しないよう、できることをやろう。

人間もマグロなのかもしれない

仕事帰りの電車の中。高校生カップルが乗り込んできた。2人はちょうど空いた2席に、速歩きで座っていった。席を確保してお互いの表情を見つめ合う2人の表情は幸せそうで、大人になってから気づく、『青春』という人生最高のひとときを満喫しているようだった。

そしてそれを見た自分は、最近はなるべく猫背にならないように気をつけているにも関わらず、大きく首を曲げ、視界の端にも入らないようにスマートフォンの画面に意識を集中していた。

どんなに金があっても、どんなに権力があっても、あの2人のようには絶対になれない。そして、年を取るに従って、これからの人生どうあがいても自分にはまず手に入れられない物を手に入れた人たちを見かける機会が増えていく一方だ。そう思うと、なんだかんだで健康に気を使っている自分はまだ何十年もこんな思いをしながら生きていくのか。と思うと、気が遠くなってくる。乱暴な言い方をすると、死にたくなってくる。

高級食材でおなじみのマグロは泳ぐのを止めると死んでしまう。人間も、似たようなものなのかもしれない。止まったら死ぬ。生物的には死なないが、心が死ぬ。もちろん時間にも限りはあるし、欲しい物すべてを手に入れることは不可能だ。それでも、自分は止まらずに学び続けている。という事実はこの世の中で生きていく力になるし、それによって望むものが手に入れられれば、それは自信に繋がり、さらなる成功体験を生む。

失敗は成功のもとというが、それ以上に成功はさらなる成功を呼ぶのだ。負け癖がついていると、「今回もどうせダメだよ」という意識を拭うことができない。自分を信じ抜くことができない。しかし、成功が欲しければ、それに打ち勝つしか無い。勝ち癖をつけるにはまず勝つしか無い。

当然メンタルだけではなく実力や技術も必要だ。だが、最後のひと押しをしてくれるのはやはり精神力なのだ。頑張ろう。俺。

 

 

 

日曜日の葛藤

今日も某アプリで知り合った相手と会う予定......だったのが、またドタキャンされてしまった。電車の中で『すみませ~ん。行けなくなりました!』というメッセージを見た瞬間、眉間には深いシワが寄り、大きなため息をついてしまった。メッセージを受け取ったのは12:10頃で、予約した時間は13:00だ。キャンセルするには遅すぎる。悩んだ末、一人で行くことにした。

店に入ると、入り口近くにあるレジの前で店員さんとカップルが何かを話していた。2人は予約をしておらず、現在店内は満席のようだ。

頭より先に体が先に動き、2人の会話に割り込んだ。

「すみません、予約していたものなんですが、一人来られなくなっちゃったのでこちらの2人に譲りたいんですが」と全く躊躇すること無く言葉が出ていた。

その場で店員さんに自分の予約をキャンセルしてもらい、2人を代わりに席に案内してもらった。2人はとても礼儀正しく、譲った瞬間と、店員さんに席を案内してもらう2回、自分に向かってお礼を言ってきた。

いいことをした。店を出てしばらくは足取りが軽く、視界にカップルが入っても全く気にならなかった。昼食は久しぶりに一風堂にすることにした。どろりとしたスープを飲んだ瞬間、快感にも似た安心感を抱いた。とんこつラーメンはやはり良い。

 

しかし、その譲ったことによる効能は長くは続かなかった。それどころか、譲ったことについてある種の後悔を抱き始めてしまっていた。

日頃カップル憎しなスタンスなのに何お前は譲ってるんだ?カップルが残念そうに店を出ていくのを尻目に食べるランチはきっと美味しいぞ?何いい人ぶって一風堂なんて行ってるんだ?こんなことしてるからお前はいてもいなくても変わらない、ただのいい人、無害な男にしかなれないんだぞ?

と言ったことを考え始めてしまい、苦しくなってきてしまった。

人としてはいい事をしたとは思う。だが、オスとしてはどうなのだろう?いや、いい事をしたのだから素直に「いいことしたな」と思えばいいのに、ウジウジとこんなことを考えてしまうからやはり俺はこんな有様なのだろう。しかし、これが俺なのだ。色気のある悪人にはなれなさそうだ。

 

ドタキャンしない方、僕と交際を前提に食事に行きませんか?