親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

Fate/stay night [Heaven's Feel] III. spring songは最高すぎて語彙がついて来れない

数日前の深夜のチケット争奪戦を勝ち抜き、朝イチで見に行ってきた。

感想を一言で表すならば「最高すぎて語彙力が天に旅立ってしまった」といった所だろうか。

全てが最高すぎて、「いいからとにかく見に行け」としか言いようがない。意識がスクリーンに完全に吸い込まれ、視覚と聴覚以外の三感がどこかへ行ってしまい、ただただ目の前の凄すぎる映像を呆然とした表情で眺めているだけの機械になってしまうのだ。

『――――ついて来れるか』で全身の鳥肌が剣のように飛び出してしまいそうになったかと思えば、士郎VSバーサーカーで「ヤバイ」「すごい」「なんだこれ」としか言いようのない感情に頭の中が満たされ、終盤の士郎&ライダーVSセイバーで内心は外人4コマの4コマ目みたいになってしまい(ライダーのライダーキックには笑ってしまった)、最後の士郎VS麻婆神父の殴り合いで「もう、これだよな、これ」と変な笑いを浮かべる。そしてラストにたどり着く頃には完全に頭が完全に真っ白になっている。本当に、とんでもない映画だった。

席数が半分になってしまっているとはいえ、どの映画館も満席になるのはもうしょうがない。というかむしろ当たり前だ!

なんかもうホント、最高だった。ネガティブな感情がどこかに行ってしまった。別に彼女なんていなくてもよくない?

また俺はそんなことを考えてしまう

長い連休も気がつけば今日を入れてあとわずかになってしまった。あっという間だった。こうやって気がつけばヨボヨボの年寄りになって、気がつけば骨になってしまっているのだろう。

連休が始まる前は「ガンガン小説を書き進めて、完成させる勢いで行くぞ!」と息巻いていた。そしてそういう発言をする奴は基本的にガンガン書き進めることはできない。もちろん今回も例外なく思ったより書き進めることができなかった。今日も気がつけばこんな時間だというのにショートフィルムを見たり、ダラダラツイッターを眺めているばかりでほとんど書き進めることができていない。新人賞の応募締め切りまであと2ヶ月も無いというのに。俺のバカ!俺のバカ!と少し前の痛いオタクのように自分を殴りたくなってくる。

おかげで増していく自分に対しての嫌悪感。なんでお前はそんなにダメな奴なんだ。

一応言い訳をさせてもらうと、人恋しさと性欲が入り混じったものが邪魔で集中できないのだ。だからついついツイッターを見てしまったりしてしまう。『人恋しさと性欲が入り混じったもの』と表現したのも、一発抜くと一時的に人恋しさもなくなるからだ。まあ、賢者タイムに入ったことで「人は所詮最期は一人……」なんて斜に構えたことを思ってしまうからなのかもしれないが。

正直、最近妙に孤独に弱くなってしまった自分に驚いている。加齢のせいなのか、失恋したのが今頃になって響いてきたのか、様々な人と関わるようになって影響を受けたからなのか、原因は分からないが。失恋に関しては特定のワードを見たり聞いたりするだけで今でも心臓が一瞬止まりそうになるほどなので思ったよりダメージが今も残っているのかもしれない。

まあうじうじ言ってないで自分から声をかけていけばいいのだが、1つ問題がある。正直人付き合いがあまり好きではないということだ。誤解を恐れずに言うと、寂しくなったら目の前に現れて、ある程度満足したらまた消えてくれるようなまるで風船のような友人がほしい。

恋人も同じような感じだ。性欲ブーストによって一時的に女の子が恋しくなったりするが、一発抜いてしまうと前述の通り「一人サイコー!」になってしまうのだ。だけど杜野凛世のような女の子だったらやることやった後も裸でくっついていたい。いや、普通の女の子でも同じことを思うのかもしれない。経験したこと無いので分からない。もしかしたらずっと一緒にいたいと思うような女の子と一緒にいることができたのなら。まあそんないい女の子の隣には俺より遥かにふさわしい他の男がいるんだけどね。

ありふれた人間が世界最強

ニコニコ動画のランキングページを見ていたらsyamu gameのMAD動画がランキング入りしていた。数分ほどその動画を眺めた後なんとなくニコニコ大百科の記事を読み始めた。

読んでいるうち憂鬱な気分になってきた。彼の特徴として挙げられているもののうち、かなりの部分が自分にも当てはまることに気づいてしまった。そんな気分になってしまったおかげでMAD動画の続きを見る気は完全に無くなりタブを閉じた。

タブを閉じてからしばらくも憂鬱な気分は収まること無く、いつもならば自分の事を異常独身男性と笑い飛ばせるのところが、異常独身男性なんて嫌だよ......と思うほどになってしまったくらいだ。この記事を書いている今も胸のあたりに不快感が残っている。まるで嫌な気分の二日酔いのようだ。数十分しか時間が経っていないけど。

普段はなるべく考えないようにしていたのだが、こんな状態になってしまうと「もっと色々とマシだったらなあ」と考えるのを止められなくなってしまう。タラレバに意味は無いのは分かっているが、それでも考えずにはいられない。

さらに何より悲しいと思ったのは、似たような事を考えている男性はかなりの数いるのではないかということだ。一部のずば抜けた人間を除いて、それ以外の人たちはそこまで大きく変わらないだろう。そして自分はそのずば抜けた人間ではなく、ごくありふれた大多数側のはずだ。仕事だとか居住地だとかそういうところは違っても、似たようなことで悩んでいる人たちは大勢いる。Twitterを眺めているとそんな気がしてならない。

最後に自分がそうなので自分と同じように悩んでいる人も、そしておそらくsyamuも同じ様な事を思っていると思うのだが、「他人からキミはそうじゃない」と言ってもらいたい。または自分で「俺はそうじゃない」と思いたいのではないだろうか。そのために筋トレで体を鍛えたり、Twitterで道化になって面白いことを呟いたり、小説を書いたり、絵を描いたり、『同じような人たちより一歩先を行くために』あれこれやっているのではないだろうか。残念ながらみんな同じことを考えているのでやるだけでは抜きん出ることはできないだろう。だがいつかはその努力が実り、『そうじゃない俺』になれるかもしれない。マジで頑張ろう。

 

何とは言わないけど、正直飽きてしまった話

TwitterのTLを眺めていたら、Twitterの名物の一つであるソープランドレポが流れてきた。そして、ソープランドに行ってきた。というブログ記事が流れてきた。それらを見ていたら自分も行きたく、イきたくなってきた。

男性なら分かると思うが、正直出してしまえば自慰もセックスもさほど変わらない。むしろ自慰のほうが遥かに安く、手早く、まるで牛丼を食べるように済ませることができる。

しかし一つ大きな問題がある。最近正直に言うと自慰というものに飽きてしまっている。自慰は確かに快感を与えてくれるが、与えてくれる快感は良くも悪くも変動することはない。同じことを繰り返してしまうと飽きてしまうのは当然のことだ。

だが飽きてしまっていてもムラムラすることはあるので仕方なく処理をするのだが、そのような状態でも何を使って自慰をするかにはこだわってしまう。そしてそれに時間を取られる。我に返った後にこんな事に時間を使ってしまうことに自己嫌悪してしまう。しかし性欲は10代とさほど変わらないほど強く、何も手がつかなくなってしまうことがあるので処理をするしかない。

そんな状態なので刺激を受けてしまうと頭の中の『ソープ行きたいスイッチ』がオンになってしまうのだ。

これを見ている人は「じゃあ、行ってくれば?」と思うのかもしれないが、そうも行かない事情があるのだ。先月MacBook Pro(34万)を購入した。言うまでもなく34万は大金だ。1回6万の高級ソープランドでも5回はイけてしまう(交通費は除く)。

当然だがMacBook Proを買ったから貯金が全くありませ~ん!というわけではない。年齢の割には少ないが貯金はしているので行こうと思えば何度か行ったところでびくともしないくらいの余裕はある。それでも大きな出費であることには変わりはないのだ。お金を湯水のように使うのは快感だ。だから一度その味を覚えてしまったらその先は破滅だ。それは絶対に避けなくてはならない。

それならどうすればいいのか。一番に思いつくのは恋人を作ることだろう。大多数の人もそれを勧めるだろう。そもそも男が恋人を作る理由の99%はそうだろう。勿論その99%に自分も含まれている。

当然そんなことはとうの昔に分かっているし、世の中にはそれ目当てのためだけに女性に近づく男もいるのも分かっているけど、そんなことのために恋人作るということに強い抵抗を感じずにはいられないのだ。そもそも自分のスペックだと振り向いてくれる女性なんていないだろう(スペック云々よりこうやって自分なんて価値がないと思っているのが一番ダメだと分かってはいるのだが)。

そんなこともあって金を払えば必ず最低限のことができるソープランドのほうがいいよな。って思ってしまうのだ。

 

余談

そんな俺にも女性の知人が何人かいて「そのうちいい人見つかりますよ」と言ってくれるのだが、これ地味に辛いよね。女性特有の言葉の裏が何ページもありそうだし、彼女らの生きる世界では異性から言い寄られることは日常の一部という男女の非対称性を突きつけられるから。モテない男に「そんな俺にも」が発生する確率は明日地球が滅びる確率より遥かに低いだろうけど、俺にだけイベント発生しないかな~~~~!!

苦しみが軽くなる瞬間

「現実ってなんでこうなんだろう」とふとした時に思ってしまうことがある。勿論、そのようになってしまっているのには理由があり、グロテスクさを感じてしまうことがあってもそれが合理的だからなのだろう。それでも、「こうだったらいいのにな」と思わずにはいられない。だけどそうならないのは、それが合理的ではないからなのだろう。

しかし現実がグロテスクなのは悪いことだけではない。自分と同じように現実のグロテスクさにうんざりした人が「こうだったらいいのにな」という願望を何かの形で表現してくれたものを見ることができるからだ。それを見ると『救われた』感じがしてくる。その救われた感覚は、人工の明かりが一つもない草原で満天の星空を眺めているような、体が空気中に溶け出していっているような何とも言えない心地よさがある。まあ現実がグロテスクではないことが一番なのだが。

それでも、自分が苦しんでいることが何らかによって苦しみが軽減された瞬間の『救われた』感覚は体の中の重りが消滅したような心地よさがある。新たな幸せを得るより、今ある苦しみが軽くなる方が幸せに感じられるのだ。なんでこうなんだろう。こうじゃなかったらいいのに。

異常独身男性とは何か

2020年に入り、Twitter上で『異常独身男性』というワードをよく見かけるようになってきた。そしてこの『異常独身男性』だが、明確な定義が無い印象がある。

見た目のよくない男性を中傷するのに使われるいわゆる『チー牛』はイラストと共に広まったこともあって「ああいう感じ」という共通認識があるのに対し、『異常独身男性』は人によって定義がまちまちだ。

ただ単に『独身』とすればいいところを、「俺はいい年こいて独身なんだぜ」というのを面白おかしく自虐するために使われていることもあったり、Twitterに大量に存在しているモテない男性の総称として使われていることもある。女性を求めているけど相手にされない男も、ある種の悟りに達してしまった男もみんなまとめて異常独身男性だ。

そして自分自身も異常独身男性だという自覚がある。まともに女性と付き合ったこともなく、相手にもされず、最近では外で幸せそうなカップルを見かけるのが小指の角をタンスにぶつけた時並にストレスを感じるので家から出ることがなくなり、一人で楽しめる趣味を極め続け、外に出ないと運動不足になってしまうので毎日体のどこかを鍛え続けた結果、使う機会も無いし見せる相手もいないのに妙に体つきがよくなるというジャングルの奥地に棲む奇妙な姿をした生物のような異常進化を遂げている。個人的には理想的な異常独身男性だと思っている。

よって恋人がいる(いたことがある)人間が異常独身男性を名乗っているところを見ると、「君はただの独身男性だよ……」とクソリプを飛ばしたくなってしまう。

しかし異常独身男性は今の所決まった定義があるわけではない。だから恋人がいようがいまいが、仕事をしていても、無職でも本人が異常独身男性だと思ったら、異常独身男性なのだ。(異常独身男性に対しておかしなプライドを持っていたら完全に異常独身男性になってしまっている気がするが)

2020年宇宙の旅

今日は午後からひたすら小説を書いていた。休日はついだらけてしまって平日の方が書いている時間が多くなってしまうこともあるが、今日はそうなることなくしっかりと書き進めることができた。

小説を書いているといつの間にか自分が普段考えているが上手く言語化できなかったものが言語化できていることがある。自分はこういうことを大事に考えている、自分はこういうシチュエーションが好き、自分はこういうことに恐怖を感じる……など様々だ。

小説の登場人物の思想は自分の思想とイコールでは無いが、自分の一部からできていることは間違いない。その一部に肉をつけてキャラクターを作っていくといつの間にかその『一部』がはっきりとしたものになっている。自分のはっきりとしない欲望から作ったキャラクターはいつの間にか自分がどのような欲望を持っているかはっきりとさせてくれる。

やはり小説を書くことは楽しい。自分のボキャブラリーの無さ、知識の無さに辛さを感じることはあるが、ひたすら小説を書いていると自分という洞窟を探検しているような、自分という宇宙を探検しているような気分になってくる。そしてそれをすることによって自分の無意識の中に存在していたものの観測できなかったものを観測することができる。その瞬間『自分』という存在の中身が広がったような感覚がある。無だと思っていたところは無ではなく、自分の一部だった。そんな感覚だ。

最近はツイッターと小説ばかりでブログを書くことが減ってしまったが、やはりブログを書くのはそれらとは別の楽しさがある。やはり文章を書くのは楽しい。こうやって自信を持って「自分はこれが好き」と言えるものが見つけられたのはやはり幸運なことだ。好きなことをやって楽しんでいる間だけはモテない自分を受け入れることができる。これからも細々と続けてこの世に生きた証を残していこう。