親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

富山旅行は俺を変えてしまった

上田麗奈さんの出身地である富山県へ二泊三日で旅行に行ってきた。


突発的に行くことにしたたため、新幹線とホテルの予約は出発の一週間前に、さらに恥ずかしながら富山県のことはほとんど知らなかったため、出発までの一週間の間にどこへ行くかを考えるという計画性のなさを発揮してしまった。

 

そんな自分だが、わずか三日で富山の魅力に取りつかれてしまった。少なく見積もっても予想の三倍は楽しんでしまった。三日しかいなかったのに二週間くらい旅していたような濃い日々を過ごし、帰りたくなさすぎて新幹線のホームで涙を流すという情けないおっさんっぷりを発揮してしまったほどだ。今も魂が富山に残っている気がしてならない。

 

富山県のいいところは色々あるが、まず最初に降り立ったときに富山駅の構造が芸術的だと思った。
新幹線のりばの反対側に路面電車(富山ライトレール)のりばがあることだ。市民の日常の象徴である路面電車と、旅人が日常へ戻っていく新幹線。その対比に胸が苦しくなるほどの美しさを感じてしまった。

 

富山県内は JR 線や第三セクター、私鉄が県内のあちこちを走っている。乗客は学生からサラリーマンまで幅広く、『電車は旅行に行くときくらいしか使わない』というクソ田舎に育った自分からするとそれだけで都市感を覚えてしまった。

 

しかし少し足を伸ばせばあちこちに歴史的な建造物がある。城端の町並みは特に気に入った。小京都と呼ばれているだけあって町並みを通してこの町に綿綿と続く歴史を感じることができた(サクラクエストの聖地であることも知って後で更に感動が増した)。
城端の個人経営の菓子屋には昔ながらのぬくもりがあり、古い商品を「これはもう古いからあげるね」とタダにしてくれた。自分が中学生だった頃、学校帰りに同級生と学校近くにある個人商店に行き、お菓子を食べながらおばちゃんと雑談していたことを思い出してしまった。

 

かといって古いものばかりではない。富山市ガラス美術館の作りには『未来』を感じ、駅前周辺は開発が進められて新しいショッピングモールが立ち並んでいる。
富山市だけの話になってしまうが、市民が満足・誇れるような投資をしているように感じた。

 

東京より便利なところは日本国内には存在しない。首都圏ぐらしに慣れしまった自分からすると『不便』と思うことは何度かあったが、程よい便利さが富山にはあると思った。ペーパードライバーなので車の運転はしたくなかったので公共交通機関だけで観光することにしたものの、それでも八割強は行きたいところに行くことができた。我が故郷は公共交通機関だけで観光は無理だ。五箇山はさすがに車かバイクがあったほうがいいよなあ……と思ったけど。

 

そして富山県的には微妙かもしれないが、(& オフシーズンというのもあるかもしれないが)京都のように観光地が観光客で溢れてる!なんてこともなく、快適に観光を楽しむことができた。逆に首都圏暮らしになれてしまっているからか寂しさを感じてしまうほどだ。


以前旅行に行った福岡は便利で楽しく女子高生もかわいかったが、ラッシュ時間帯は首都圏にも負けないくらい電車が混んでいて辛かった。地方に旅行に行くときぐらいギューギューな電車とは無縁でいたい。京都は電車はそうでもないけど観光地がギューギュー過ぎる。

 

新旧折衷?していて、程よく便利で、程よく人がいる。そして上田麗奈さんの出身地!富山県はなんて素晴らしいんだろう。
上田麗奈さんは富山市出身なので、主要駅である富山駅に来たことがないということはさすがにないだろう。富山駅周辺を歩いている間「この辺も在りし日の上田麗奈さんも歩いてたんだろうな」と思いを馳せ、本人が観光地としておすすめしていた五箇山や『いわな』に来た時はある種の聖地巡礼に来たかのような感動を覚えてしまった。

 

しかしそれと同時に虚しさを覚えてもしまった。富山には上田麗奈さんはいない。そして東京で出会えることもない。雲の上の人だからだ。
人間というのは 1 か 0 という極端な考えはできないので「奇跡でも起きねーかな」と思わないでもないが、基本的に彼女は崇拝の対象で、彼女の声は神の言葉である(といっても『ご報告』を食らったらしばらく落ち込みそうだが)。

 

ちなみになるべく考えないようにしていたが、富山駅周辺を歩いているときも、五箇山を歩いていたときも「彼氏と歩いてたんだろうな〜」という精神的リストカットをしてしまっていた。自分にだってそれくらいの想像力は無論あるのだ。

 

そしてそんなことを考えていると、「富山に女の子と来たかったなー(今回みたいな行き当たりばったりなスケジュールに付き合ってくれる女の子はいなさそうだが)」、「富山の女の子を連れて帰りたいー!」、「いやむしろ俺が富山に行く!」なんてことを思ってしまう。

 

上田麗奈補正がかかっているのもあるが、富山という地に魅力を感じてしまったのは事実だ。今の会社も地方からフルリモートで働いている人がいるので移住しようと思えば多分できる。


しかし、どこへ住むかというのは人生に大きく関わってくることだ。首都圏近郊と地方では得られる体験がまるきりかわってくる。もはや別の国と言っても過言ではないだろう。『東京か地方か』というテーマも含まれていた『サクラクエスト』の聖地に訪れたからこんなことを思うのかもしれない。

 

富山県の人口減少は著しい。他の地方もそうだが、徐々に『今の富山県』を維持できなくなってしまうのだろう。

我が故郷は富山県よりさらに過疎が進んでいる。60代なかばでも若手扱いにされるくらい年寄りしかいない。

そんな故郷を知っているから、城端の自分以外客のいない城端曳山会館や中心部を歩いていると胸が苦しくなるような感覚を覚えた。

 

話題を移住へ戻す。独身男性は早死する。早いと 4-50 代でポツポツと死に始める。そう考えると自分はもう『人生を閉じる段階』へ差し掛かっているのだ。都会から地方への移住はただでさえ一大事なのに、移住して上手くいかなかった場合に失った時間の価値はでかい。

 

それに「移住したい」と思ったのも現状に疲れてしまっている、というのもある。

自分は仕事ができない。頭も悪い。そんな自分を認めたくなくて技術書を読み、自分より遥かに仕事ができる人たちに対して意見を出したりアドバイスについて言い返すようにしている。
しかし、とんちんかんなことを言ってしまって自己嫌悪に苛まれたり、さらに言い返されて自信をなくしてしまう。自分の無能っぷりに消えたくなってくる。

だから移住したいと思ったのは富山自体の魅力もあるが、逃避も含まれているのだ。

 

それにいくら魅力があるといっても、魅力が日常になったとき、魅力は魅力ではなくなってしまう。そうなったときに首都圏とは比べて不便なところが間違いなく気になってしまうだろう。
そう思うと、旅行で訪れる程度にしておいて自分の中で富山を魅力のある地のままにしておきたい。

 

首都圏は便利だ。なんでもある。しかし人が多くて疲れる。自分が欲しくても手に入れられなかったものを手にしている人がたくさんいて劣等感を刺激される。
だが、便利だ。独りで寂しくても、便利は寂しさを忘れさせてくれる。地方は『不便さを共有できる相手』がいないと辛いと思う。そうでないならば、一人都会に住んだほうが絶対にいい。自分にはそんな相手はいないのでやっぱり首都圏に住み続けるつもりだ。

 

そして最後に富山旅行は偶然にも自分に大事なことを気づかせてくれた。
南砺市の風景が舞台として使われているサクラクエストは 2017 年に放送されたアニメで、上田麗奈さんも出演している。今や彼女はプリキュアに出演するほどの人気声優になってしまった。かたや自分は 7 年の間 2 回も仕事をやめ、SNS でダラダラと時間を消費するだけで何も変わっていない。何も成し遂げられちゃいない!


当然上田麗奈さんも含め輝いて見える人たちは人知れず苦労を重ね、今だってなんとかしたい悩みを後回しにして日々を送っているはずだ。それでも、自分と比べて有効な時間の使いかたをしてきたのは間違いないだろう。
今まで SNS は時間の無駄だと分かっていながらも、どうしてもダラダラと見てしまいがちだったが昨日の夜から見る時間が激減した。無意識のうちに「この時間の使い方は有意義か?」と考えてくれるようになってしまった。すごい。
物理的にではく、精神的高みで彼女に近づけるように頑張ろう!