親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

実家に帰ったら不思議な感情を抱いた話

1年ぶりに実家に帰省した。今年は普段より滞在日数を長くしたので、かつて自分が働いていた実家の隣の市まで足を伸ばしたり、家の周りを散策することもできた。

期待と不安、野望を胸に首都圏に引っ越して、気がつけば11年。11年というのは時間の流れがゆっくりな田舎とはいえ、町並みが変化するには十分な期間だ。

もちろん11年ぶりに帰省したわけではない。一時期は全く帰省しないこともあったが、ここ最近は定期的に帰省している。そして戻るたびに地元の風景は少しずつ変化していた。

そのはずなのだが、今回帰省して「俺の知ってる地元ではなくなってしまったな」と改めて思ってしまった。

別に町並みが跡形もなく変化したわけではない。相変わらず瓦屋根の家は大量にあるし、山と畑と道路ばかりで、夜になると街灯がないせいで大通りも真っ暗になってしまうところはまるで変わっていない。

中学生の頃よく行っていた中古ショップとレンタルビデオ屋が一緒になっていた店はなくなってしまい、チェーンドラッグストアになってしまったのも別に最近の話ではない。小学生の頃に行くのが楽しみだった、食品だけでなく、本屋やおもちゃ屋、ゲームセンターも入っていた、ショッピングセンターはなくなって、今はチェーン店のスーパーマーケットになってしまったのも昔の話だ。

それなのにも関わらず、今回帰省して、地元が大きく変わってしまったことに改めて寂しさを抱いてしまったのだ。

もちろん、こうなってしまうことは仕方がないのも分かっている。地元の小さなお店が今の御時世に大資本のチェーン店に勝つなんてことは難しいことだし、地元を去ってしまった人間にどうこう言える権利はない。

 

急にこんなことを思うようになってしまったのはきっと町並みだけの変化ではないのだろう。両親や、兄弟、いとこの変化、そして自分自身の変化が理由にあるのだと思う。

両親も気がつけば頭髪は白髪まみれになり、顔の皺も増えていく一方だ。兄弟は全員社会人になり、いとこの中には結婚して子供がいる者までいる。

実家から関東へ戻る直前、休みが終わりまた働かなければならないという憂鬱さも相まって考えすぎてしまった結果、今見ている光景は夢なんじゃないのか、なにか悪い冗談なんじゃないのか、そんなことを思わずにはいられなかった。

まだ少し前までは両親はまだ若くて、兄弟もいとこも子供で、亡くなったおじいさんもおばあさんも生きていたような気がする。だけどそれはもう結構前の話なのだ。時が流れるということは周りの人間も皆歳を取るというあたり前のことなのに、時の流れに心の変化が追いついていない。そんな状態だ。

気がつけば感極まって涙を流してしまい、自分も兄弟もいとこもみんなまだ子供で、おじいさんもおばあさんもまだ生きてた頃に戻りたいなぁ、とふと思ってしまった。

思春期に差し掛かるころには都会に比べて何もない地元が嫌で、絶対いつか出ていこうと常々思っていたけれど、あの頃はなんだかんだで自分の地元が好きだった。だからそんなことを思ったのかもしれない。

もう1つ涙を流した理由は、両親とこうしていられるのも、もうそんなにないんだなと思ったことだ。おそらく両親と会える日数はもう1年も無いだろう。実家にいる犬に関してはもしかしたら1ヶ月も無いかもしれない。

そう思うと悲しくなってきて、心のなかで「これ以上年を取らないでくれ!」と叫んでいたし、この記事を書いているときも両親がいなくなったときのことを考えてしまって涙が止まらなくなってしまった。自分ってこんなに両親のことが好きなのに全然顔を合わせてなかったのだ。

今まではせいぜいお盆と年末しか帰ることがなかったけど、絶対後悔するからせめて年4回くらいは帰ろう。そう新年早々心に決めた。問題はお金がやたらかかることだけど。