親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

だから今日もお菓子をどか食いしてしまった

自分の地元の小学校は集団登校を採用していた。

ピカピカの 1 年生だった自分から見て引率の 6 年生は大人に見えたことを今でも覚えている。

 

しかし、いざ自分が 6 年生になると所詮小学生なんてまだ子供なことに気づき、今度は中学生が大人に見えた。

だが、いざ自分が中学生になると中学生なんてやっぱり子供で、今度は高校生が大人に見えた。

 

そして気がつけば社会人になり――初めての上司は思ったほど大人じゃなかった。

 

当時の上司は「死刑だ」が口癖なエキセントリックなおじさんで、嫌味を言われたりパワハラを受けたりした記憶はない。基本いつも上機嫌な人だった。

しかし明らかに何日も風呂に入ってないような匂いがしていて、机の上はフケで白くなっていた。

何度か上司の運転する車に乗せてもらったことがあるが、狭い道でもかっ飛ばすので乗せてもらうたびに身の安全を祈っていたほどだ。

どう考えても、社会人なりたての自分が思い描く『大人』からは程遠い人だった。

 

社会人になってからそれなりに時が経ち、世の中の大人たちの大半は体は大人でも精神年齢は言うほど大人じゃないんだな。とやっと気がついた。

ただ、振る舞い方を知っただけだ。今日今の上司と話して改めて思った。

 

大人なんて幻想だ。「俺って子供っぽいな」と病んでないで開き直ろう!

 

あと女の子の匂いも嗅ぎたい

自分はブログをやっていて、カクヨムで小説を公開している。

2 つのプラットフォームには共通点がある。それは PV(page view)数 を確認できることだ。

 

といっても自分は人気ブロガーでも、人気 Web 作家でもないので PV 数は当然少ない。

ブログは検索流入で 1 日の PV 数が 0 になることはないが、カクヨムは PV 0 が普通だ。

たまに 1 作を最初から最後まで読んでくれたと思しき PV が発生していると、嬉しさと読んでくれた人への感謝が芽生えてくるくらいだ。

 

しかし、PV が多少あったところで人生への影響はゼロに等しい。

それは恐らく今より PV 数が100倍あっても変わらないだろう。1000倍なら……ブログならば広告収入がそれなりのものになり、カクヨムなら書籍化のチャンスがあるかもしれない。それくらいあれば人生への影響があった、と言えるだろう。

 

だが現実は人生への影響が発生する 1/1000 未満だ。だから今の 1000 倍を目指したいなら目先の数字で一喜一憂している場合ではない。

 

……のだが、やっぱり承認欲求からは逃れられない。多いときは 1 時間に 1 回はダッシュボードから PV 数を確認している。そして大体は落胆する。

 

認められたい。何者かになりたい。

それが叶わないなら、女の子に「頑張ったね」と労われたい。

GW 反省会のつもり

マッチングアプリは現実でモテないなら手を出すべきではない。結局のところ、マッチングアプリも現実のモテ力が反映されるからだ。

つまり、モテない男が課金したところでモテる男の狩場の維持費を払ってあげているのとなんだ変わらない。なんてバカバカしい話だろう!

 

しかし GW の最終日を迎え、刻々と迫っていく労働開始時間に一人うんざりしているのは辛いものがある。こういうときに隣に女の子がいてくれたら……と思わずにはいられない。

 

もちろん何もせずに負け惜しみを言っているわけではない。街コンには何度も行ったが誰でもできる連絡先を交換した以上のことは起きなかったし、マッチングアプリでは何度もドタキャンされ、合コンでは惨めな目に遭った。奇跡的な出会いもないこともなかったけど、気持ち悪い行動に出てしまってすべて失敗に終わった。

 

成果が一向に出ないうえに全然楽しくないことに時間を費やしつづけるのは病む。とうてい続けられることではない。

 

そして気がつけば X (Twitter) で気持ち悪いアカウント名を名乗り、美少女のイラストを RP (RT) しては好きなアニメキャラクターの名前を連呼するバケモノが誕生してしまった。

 

もちろん、自分のやっていることは現実逃避で、誰とも関わろうとせずに楽だからと孤独でいることはセルフネグレクトと同じだということは分かっている。

 

でも怖い。拒絶されるのは怖い。自分のすべてを否定されたような気分になってくるからだ。

 

それならまだ小説を書いて作中で理想のヒロインを創り出す方がマシかもしれない。

 

しかしこれも現実逃避なのだ。最初は『妹さえいればいい。』を読んで「俺も書きたい!」と思ったのがスタートだったが、今は「俺は小説を書いているから女の子を探している余裕がないんだ」と何もしないでいる理由を作るためという自己正当化のために書いているという一面がある。

 

小説を書き始めて 5 年。ガガガとファンタジア文庫に応募して一次落ちした作品を読み返していたら「お前 5 年もやっててこれしか書けないの?」と死にたくなってきた。

小説を理由にして外に出ないし、今は小説を書く時間だからと言いつつもダラけているだけで何時間も浪費してしまう。

 

ここまで書いて、「小説書くのやめてもいいんじゃないか」と思った。

しかしやめない。だが、もう少しメリハリをつけて 1 日 X 時間以上創作に使ってはならない、とルールを決めようと思う。0 か 100 で考えてしまう自分の悪いクセだ。

 

結局、自分はどうすればいいのだろうか。

指をくわえていても何も起きない。奇跡は起きないから奇跡なのだ。何か行動を起こすしかないのは間違いない。

 

しかし顔もよくない、話も面白くない、スポーツはできない、収入もずば抜けて高いわけではない。何か一芸があるわけでもない。

自分の上位互換が無限に存在するのは間違いないのに、戦うなんて馬鹿げている。

とはいえ、何十年も修行して達人になるのを待ってから戦場に出るなんて気の長いことをしている場合でもない。

 

まあ、今更だが世界は『自分以外の誰か』のためにできている。

望むものはろくに手に入らない毎日を娯楽と労働で糊をしてしていくしかない。

大谷翔平だって、藤井聡太だって何かを諦めているに違いない。

奇跡が起きるのを信じて、行動するしかないのだ。

バナナってすげ~

最近は健康のため、食料品買い出しの際にフルーツを買うようにしている。

フルーツが体にいいのは論を俟たない。最近 15 年間フルーツしか食べない人物の記事を見たが、実年齢より若く見える、骨密度が同年代より高いなど、フルーツの潜在能力はどうやら想像以上に高いようだ。

ちなみに自分はフルーツを購入する際は大体バナナだ。他のフルーツを購入するのはバナナが売り切れていたり、自分は青いバナナが好きなので熟しすぎたバナナしか売っていない場合くらいだ。

しかしバナナが特別好きというわけではない。味だけで言えばキウイやマンゴーの方が好きで、バナナより味が好きな果物はぱっと思いつくだけでも 5 個以上ある。マンゴー味やキウイ味のお菓子があったら買いたくなってくるが、バナナ味のお菓子は好きではない。なのにも関わらずついバナナを買ってしまうのはなぜだろう。

まず思いつくのは値段だ。バナナは果物の中でも安価な方だろう。近所のスーパーなら 128 円で 3 本買えるが、キウイは 1 個ですでにバナナよりも高い。

そしてバナナが他の果物より圧倒的に優れていることが一つある。

簡単に食べられることだ。リンゴやマンゴーは皮や種を道具を使用して取らなければならないし、ブドウやイチゴは洗わなければならない。しかしバナナを手で剥けるし、果肉は皮に完全に覆われているから洗う必要もない。

ミカンはバナナと同様に洗う必要もないし果肉が皮に完全に覆われているが、爪の間に皮が入り込んだり汁が飛ぶなど手が汚れるリスクがあるし、アルベド(白い筋)を取らなければダメな人もいるだろう。

バナナって改めて考えると食べやすいにも程がある。品種改良という努力の結果とはいえ、頭一つどころか九つ以上抜けている気がする。もしバナナがもっと食べにくいフルーツだったら、ここまで日本で市民権を得ることはできなかったのではないだろうか。

普段自炊もしないし面倒くさがりなので、簡単に食べられるバナナはとてもありがたい存在だ。これからも食べ続けよう。

まあでも風邪引いて寝込んでいるときは女の子が切ってくれたリンゴが食べたい。

 

いいなあ

整骨院の帰り。目を引くスラリとした生足の女子高生と……その横には彼氏。

彼氏が足を触っても怒られないんだろうなあ。俺が触ったら一発で人生終了だというのに。こんな不公平があってたまるかよ!!

健康への模索と孤独感

健康と若作りのために色々やっている。最近は以下のことを始め(再開し)た。

- アシュワガンダを飲む

- 食物繊維サプリを飲む

- ファスティングをする

- ビオフェルミンを飲む

- ハイチオールCプラス2を飲む

それ以外にも、前から続けていることには以下のことがある

- 納豆を週5で食べる

- 週5程度2〜30分の筋トレ

- プロテインを飲む

- nosh を夕飯に食べる

- BASE BREADをお昼に食べる

- 以下のサプリを飲む

  - マルチビタミン

  - カルシウム

  - エビオス錠

- 長時間外に出るときは必ず日焼け止めを塗る

- 顔の保湿をしっかりする

 

とまあ、だいぶ健康的な暮らしをしている。が……孤独だ。

孤独はとても体に悪い。

正直、上記でやってることは孤独ですべてチャラになっている気がする。

買い物のために外に出たが鬱屈とした気分は最後まで抜けきらなかったし、鏡に映る自分の魂が半分抜けたような顔を見てしまって現実を拒否したくなった。頭も正直ちゃんと働いているような気がしない。全然健康じゃねえ!

率直に今の気分を言うと食うには困ってないけど辛い。外を歩いていてX0年後の自分のような人生の先輩を見かけたときはドクオのような表情になってしまった。

創作活動はずっと続けているけど、虚しさを感じる。健康的な生活したって老化は止まらない。仕事も最近は自由度が低くてやりづらい。女っ気もない。面白いアニメを見て現実逃避しているときは楽しいけど、現実に帰ってきたときに格差が辛い。汚部屋にならないようきれいとまではいかないけど汚い部屋にはしないようにしているけど面倒くさい。毎月投信を購入して資産運用しているけど、独身男性は早死するし意味はあるのだろうか。

なにか結果がほしい。認められたい。

 

日に日に日が長くなっていく一方だ。

しかし 16 時を過ぎると空が暗くなり始める。

そんな時間から散歩を始めたのは失敗だったかもしれない。

近所の風景は全体的に寒々しい。道路や歩道の色は白っぽく、あたりに建ち並ぶマンションは寒色が中心で、点在する一戸建ても無難な色を選んだ結果寒色が多い。

暗い空に寒々しい風景。そんなところを散歩していても気が晴れるどころか滅入っていく一方だ。幸せそうなカップルや家族連れを見ていると自分の人生これでいいのか、よかったのかと考えてしまう。そしてますます気が滅入っていく。

休日は何をやるも自由だ。だからこそ、あれもしたいこれもしたいと思うのだが大体理想の 6 割できれば上等で、大抵は夕方に差し掛かったくらいで自己嫌悪に陥る。

自由な時間は少ないが、やることが決まっている平日のほうが気が楽まである。

そんな虚無感に浸る休日。しかし、そんなふうにネガティブ思考になれるのは恵まれている証拠かもしれない。本当に余裕がないと将来のことなんて考えているヒマはない。目先のことで精一杯になってしまう。

クソみたいな学歴で、クソみたいな職歴なのにも関わらず、奇跡的に一人で生きていくには十分な収入を得ることができている。10 年前の自分が今の自分を見たら「お前何があったんだ?」と間違いなく聞いてくることだろう。

俺は恵まれている!俺は幸運だ!幸せそうなカップルだって、幸せそうな家族連れだって本当に幸せとは限らない。一回の過ち(浮気)のせいでふたりとも性病持ちになってるかもしれないし、二人揃ってギャンブル中毒のジャンクフード中毒になってるかもしれない。ちょっとメンタルが弱いのと孤独なのを除けば幸い自分は健康だし、それに俺にはいつでも笑顔を見せてくれる二次元の女の子がいるのだ(自分に向けてくれているとは言っていない)。