親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

小説を読んでいたら

作中に登場する若者の行動や言動があまりにも年寄りすぎる!

作者が確かそこそこ年行ってる人だから仕方ないかなあ。と思ったら小説自体も40年位前の小説でした。表紙が今風ということもあり、すっかりここ数年の小説だと思い込んで読んでいました。

この作中の年寄り臭い若者たちを見て『年寄りも最初から年寄りだったのではなく、若い頃が必ずあった』というのを再実感しました。当たり前のことですが、やはり自分の身をもって経験しないと中々実感しづらいものです。

幼いころ、お年寄りの子供の頃の話を聞いても全然実感がありませんでした。お年寄りが子供だった頃は数十年前ということもあり思想や環境も違うというのもありますし、なにより目の前で話しているしわしわのおじいさんおばあさんに若い頃があったなんて言われても信じられません。

正直、今でも自分がこのまま生きていたら必ずああなると言われてもまだ全然信じられません。信じたくありません。ずっと若くいたいなあ。

 

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寝る前に思う。

どんどん20代の終わりが近づいてきます。辛いです。

20代を振り返って思うのは、時間と金を無駄にしてしまったなあ・・・という後悔の念です。

しかし、後悔しても仕方がありません。後悔はすればするほど死にたくなるのに、いくら後悔しても一切取り戻すことができませんから、時間と精神的体力の無駄です。

それでも・・・してしまいます。せずにはいられません。毎晩寝る前に目が覚めたら数年前に戻っていることを夢見て眠りに落ちます。

もちろん、そんな夢みたいなことは起こりません。もし起こるとしても自分のような何も取り柄のない特別でもない人間には起こらないでしょう。

辛いです。

スマホサイズの画面で小説を読むことについて

ここ最近までずっと抵抗があり、タブレットにしかKindleのアプリも入れていませんでした。

確かにマンガはせめて6インチはなければ辛いものがあると思います。ですが、小説ならば文字数や文字サイズをアプリで調整することができます。それに、スマホで一番見ているのは文字です。ならば問題なし!

最近は電車の中では小説ばかり読んでます。もっと早く入れておけばよかったです。妙なこだわりなんてとっとと捨て去るべきでした。俺のバカ。

少し前までは電車の中では録画したアニメをスマホに転送してみていました。ただ、満員電車の中だと画面を横向きにして手に持つのは落としそうで少し怖いですし、縦だとちょっと小さいのが不満でした。縦画面だとついつい分割画面モードにして下の画面でTwitterを開いてしまいますしね(´・ω・`)

小説ならば縦に持てる上に画面サイズが小さいのも文字数などを調整すれば問題なし!といっても毎日何本も放送してるアニメを見るのには通勤時間はとてもぴったりなので多少は見ると思います。

近未来モノのアニメやゲームで見かける空間がディスプレイになるような端末の登場はいつでしょうか・・・。

家の前にたくさんの人

夕方、自宅に向かって歩いていると、自宅近くの道の端っこに人が立っていました。

何をしているんだろうと思ってチラッと見ると1人ではなく2人でした。それもカップルか夫婦です。2人とも手に持ったスマホの画面を見ています。

何をしているんだろうなあと思いつつも目の前を通り過ぎると、少し離れた所にさらに数人います。この道にこんなに沢山の人が立っていることなんて今まで見たことがありません。怪しいったらありゃしません。

少し辺りを見渡すとこの一帯に沢山の人が立っていることに気づきました。こりゃただことじゃない!

その道の先に私が住んでいるアパートがあり、その前に公園があります。その公園の敷地内にはさらに沢山の人が立っていました。ここでやっとなぜ沢山の人がいるのかが分かりました。

そう、この沢山の人達は全員ポケモントレーナーなのです。アパートの前の公園がポケストップになっています。全員でレイドバトル挑戦中だったわけですね。

ブームが去ったとはいえ、続けてる人はまだ結構いるんですね。

 

数年前の思い出

これを見てたら数ヶ月ほど多重派遣で働いていた頃を思い出しました。 anond.hatelabo.jp


当時の状態は、とある企業に常駐していました。

ただ、当時働いていた会社から直接派遣だったのではなく、

  1. とある企業のシステム開発業務を行うために、 日本人なら誰でも聞いたことのある某大企業(以下T社と呼ぶ)から派遣されていた。

  2. それでは人数が足りないのでその某大企業が主要株主の某企業(以下P社と呼ぶ)の人間が派遣されていた。

  3. それでもやっぱり足りないので2の企業経由で当時働いてる会社から派遣されていた。

このような状態でした。


そして当時の常駐先のルールで覚えているのには以下のようなものがありました。

  1. スーツ着用で勤務(当時働いている会社は私服勤務)

  2. 社内ではT社の◯◯です。と名乗らなければならなかった

  3. 広い会社で外部からお客さんがよく来ることがあり、ここへどう行けばいいかと聞かれた時に備えて覚えておく必要があった

  4. システム入れ替えなどの都合で夜遅くまで残る必要があったが、出勤時間をずらしたりはできなかった


今当時を振り返ると「うっわあ・・・」と思うのですが、当時はそんなことを思うどころか楽しんでいました。

当時働いていた会社はとても小さい会社なので知名度なんてありません。なので、T社の人間として働けるなんてすげえ!というおめでたい思考をしていました。

そして2~4に関しても特になーんにも思ってませんでした。

多重派遣ということもありP社からの支払金額も大したことがなかったようで上司が「P社からの金が少なすぎる!」とよく愚痴っていたのを覚えています。

そのためか、数ヶ月で常駐ではなく自社勤務で全く違う仕事をすることになりました。

あまり思い出すこともなくかなり忘れかけていたのですが、せっかくなので記事にしてみました。常駐先で始めて開いたソースコードがgotoばかりで唖然としたのは今でも覚えています・・・。

人それを最終回という

どんなに面白い作品でも、かならず終わりがきます。

いい作品は最後を見届けた後は気持ちいい余韻とともに「ぷはぁ~」というため息をつきたくなります。そしてその後寂しい気持ちが押し寄せてきます。これが結構辛いのです。作品の中で好きになった登場人物達の物語をもう見ることはできないのか・・・と思うと胸が痛くなります。

最近はもっと辛くなってきます。まだ多少は先の話とは言え自分にも最終回が来るという実感が強くなってきました。そのおかげかゲームをプレイしていたり、小説を読んでいると終わりが来るのが前より怖くなってきました。

しかし、怖がっても怖がらなくても終わりは必ずやってきます。それならば現状をどう発展させて、最後にどう終わらせるかを考えたほうがいいですよね。今日お昼頃に散歩していたら色々とアイディアが浮かんできました。今までの人生で得てきたものを活用して、これからの人生が発展していけるよう頑張ってみようと思います。

 

10の位が1つ増える前に

もうそう遠くないうちに年齢の10の位が1つ増えてしまいます。信じられません。信じたくありません。しかし、確実に少しずつ近づいていっているのです。

なるべく気にしないようにはしています。しかし鏡で自分の顔を見たり、自分と同じゲームをプレイしている自分より年下の人が恐るべき勢いで上手くなっていってるのをみると嫌でも気にしてしまいます。

こうやってどんどん年を取っていって、特に何も成し遂げることもなく様々な変化に適応できなくなってしまって最後にはどうしようもない病気になって死ぬ。まだ先のことだと思っていたことが急に近くに感じてきてとても苦しいです。誰だって必ず年を取って最後には死にます。そんなことは分かっています。ですが、年を取りたくない。ずっと若くいたい。そんな思いがどんどん強くなっていきます。時が過ぎていくのが怖いです。

この不安な気持ちを解消するには何かを成し遂げなくてはなりません。ただ、何かを何かを成し遂げた所で本当にこの不安は消えるのでしょうか。そもそも何を成し遂げればいいのでしょうか。いっそ感情なんて消してしまいたいです。何も感じず、何も欲望もなく平穏な毎日を送りたいです。

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