親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

愚者がグシャグシャ

最近ふとした瞬間、「消えてしまいたいな……」と思う。

なぜそんな感情を抱くのだろう?続きが気になるアニメはあるし、やりたいこともないでもない。

しかし「なんかもう良いかな」と思ってしまうのだ。

きっと自分の可能性を信じられなくなったからなのだろう。ある程度生きてきて自分は他人と比べてどれくらいの能力を持っているのか何となく分かってしまった。そしてそこから大きく成長することは難しい。そもそも人間の能力は遺伝で決まっているのだ。

まあ、能力があるからといって胡座をかいていては原石のままで終わってしまうのだが、それはそれとして残念ながら『鳶の子は鷹にならず』ということわざがあるように、なんとか鷹になろうと思っても、鳶は死ぬまで鳶なのだ。

創作の世界では凡才が天才を倒すという展開を見かけることがあるが、実際は逆だ。持つ者たちは自分が必死で求めたものを簡単に手に入れてしまい、しかも手に入れたそれにまるで大した価値がないように振る舞う。そんな態度に劣等感と、怒りを抱いてしまうのだ。

技術書を読みながら小説を書いているが思ったより学んだ知識を内容に反映できないし、恋愛力を上げる本を読んで出会いの場に何度も行ってみたが上手く行かない。昔柔道をやっていたけど闘争心がなさすぎて相手には舐められる、大会では一度も勝ったことがない。自分は認めたくないが、凡才どころか、平均未満の男だ。

『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』という言葉があるが、自分はまさに経験から自分はダメで、これからもダメと決めつけてしまっていた。やっぱり俺は愚者だったのか!

じゃあ歴史に学べば賢者になれるのだろうか?いや、学んだところで知識オタクになるだけでなれないだろう。

それでも、できることをやっていくしかない。腐ってしまったら完全終了だ。持つものが総取りする世界で腐らずに努力できる俺は格好いいと自分を鼓舞していくのだ。いつか自分を愛してくれる女の子が現れると信じるのと同じように、眠っていた才能が目覚める可能性を信じるのだ。

それにこうやって自分はダメだと言い聞かせていると本当にダメになるだけで、強くなることはまずない。

やはりこうやって胸の内を文章にしていくうちに、自然と自分の思考が悪い方向になっていたのが分かる。なんとかしなければ。いつまでもダメな自分で、自分の事を好きになれずに苦しみながら生き続けるなんて地獄でしか無いし、「俺はダメだ!」と自虐しても「そんなことないよ」と優しく否定してくれる女の子は間違っても現れたりしない。転職しようかな。

それはともかく何度も言っているが、悩みがある人は悩みをブログに書いてみるのをオススメする。人に話す並みにスッキリするし、答えが見つかったりする。それに人の頭の中を文章にしたようなブログ記事が好きな人は割といる。自分も結構好きだ。Twitterで病みツイしがちな人には特にオススメします。