親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

ありふれた独身男性の雑記

「プロフェッショナル 仕事の流儀」庵野秀明スペシャルをリアルタイムで見た。庵野秀明監督の特異さの断片を伺い知ることができる1時間15分だった。同時に庵野監督ほどの人間でも、ありふれた事で悩むのだなと(当たり前だけど)再認識することができた。

当然1時間15分で彼の事を全て知ることはできないし、見えないところで気が遠くなるほどの努力を積んできたことは想像に難くない。だが自分がどんなに頑張っても、今の記憶を持ったまま転生できたとしても、彼のような特別な人間にはなれないだろうな。と思わずにはいられなかった。

残念ながら自分はありふれた存在だ。普通、ではなく「そういう奴いるよね」と思われる多くの人間の期待を悪い意味でもいい意味でも応えた存在だ。自分みたいな人間は可視化されていないだけで、細かいところは違えど多くいるはずだ。

ツイッターで統計が掲載されている記事を共有して「自分は~じゃないから、当てはまらない」というような『自分はちょっと違いますよアピール』ツイートをしている人も、残念ながらありふれた存在だろう。逆に全部に当てはまってしまう人は違う意味で特別な存在だ。

最近自分の人生もちょっとずつ面白くなってきたと思っているのだが、別に特別な人生を送れているわけではないはずだ。『何者』かになりたくて何かを創っている人は数多くいるだろうし、全く女に縁のない人生だっけど気まぐれで女に気に入られてしまって調子に乗ったところが頂点。女は本命のところに行ってしまい、あっさり自分は捨てられてしまう。なんてこともありふれた話だ。

いけない。気がつけばまた女の話になってしまった。なるべく女の話はしたくないと思っているのに、気がつけばまた女の話になってしまう。だが、しょうがないのだ。結局男は女のために生きているのだ。我々のはるか昔のご先祖様に存在していたであろう、メスには興味なくオス同士で楽しそうにやっていた個体は絶滅してしまったのだから。

残ったオスはみんなメスが第一のような精鋭ばかりになってしまうのは仕方がない。たまに男だけで楽しそうにやっている女の影を感じさせないグループは、配られたカードがしょぼすぎて諦めてしまったか、運悪く母側の血に残り続けてしまった『メスに興味ない』を受け継いでしまった個体だろう。ご愁傷さまです。残念ながら俺も仲間です。

話がそれてしまったが、まあ、人間という存在に生まれてしまった以上『ありふれた』からはよほどのことがなければ逃れられないだろう。存在するかわからないが、人間より上の上位存在から見れば、どんな一芸に秀でた人間もありふれた存在になってしまうだろうし。

しかしまあ、特別という意味での『スペシャル』な存在になるのは難しいかもしれないが、今の自分より強くなることはできるはずだ。1日ひとつだけ、強くなろう。