親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

今年1年、いい年だった!

気がつけば2020年もあと1週間だ。ちょっと早いが今年1年をまとめたくなってきた。さすがに残り1週間で今までの359日がひっくり返るような事が起こるなんて考えにくいだろうし。

今年1年は、漢字で表すならば『開』だ。正直、これ以外にしっくり来る漢字がないと言っても過言では無いくらいだ。

何故『開』なのか、ずらずらと書いていこうと思う。

 

まず1つ目の『開』は『き直る』だ。

以前の自分はあれこれと自分の中に溜めがちだった。不満があっても、欲しい物があっても、それらを心の奥に封じ込め、善良で無害な一市民を演じようとしてた。そして、自分とは正反対なあけすけな人たちを「なんて浅ましい奴なんだと」どこか冷ややかな目で見ていた。そしてそういう人たちに限って人生楽しそうなのが余計憎たらしかった。

まあ、確かになんでもかんでも表に出すのは良くない。しかしそうやって何でもかんでも溜め込んでいてもいいことなんて何一つない。

察してくれて「もしかして我慢してる?」って尋ねてくれる人もいるかもしれないが、他人が他人の考えている事を察することは想像以上に難しい。普段にこやかに振る舞っていても心に闇を抱えてる人なんていくらでもいる。

他人に自分の希望を言うのは怖い。だったら自分が我慢すれば……とどうしても思ってしまう。しかしそうすると、周りからただの便利なやつと思われてしまう。

というわけで、今年はいつ頃からだったか忘れてしまったが、『自分が演じたい自分』ではなく、素の自分で行くことにした。

そして数ヶ月。最近、今までの自分はなんだったんだと思うほど、生きやすい。当然勿論将来に不安が無いわけでもないし、悪く言えば頭からっぽで生きている。

しかしどんなに一生懸命努力を重ねたとしても事故でそれらの努力が完全に無意味になってしまうかもしれないし、何もして無くてもある日黒髪ロングストレートの美少女が自分に迫ってくるかもしれない。だったら、今この瞬間でできることをやればいい。そうすれば、将来何かあっても、その瞬間に現状を良くするために動くことができるはずだ。

 

続いて2つ目の『開』は『新たな扉がいた』だ。

 今年は開き直るだけではなく、新しいことに挑戦してみた。小説を新人賞に応募したし、ドタキャンチャレンジをしたり、お金にモノを言わせてとち狂ったことをしてみたり……。

ちなみに行動に見合った成果があったかと言うとちょっと微妙かもしれないが、新たな扉を開いたことで手に入れられたものがいくつかある。それらは言わば行動の副産物のようなものなのかもしれない。小説を読んでいて想像もつかないどんでん返しがあったときのような嬉しさだ。

新たな挑戦はやはり何が起こるかわからないから怖い。しかしいざ扉を開けて新たな世界を覗いてみたら、扉の先の世界は自分にとっては過ごしやすいかもしれないし、扉の先にある本当に欲しかった物は手に入らなくても、違う『何か』を得られるかもしれない。そして、それは本当に欲しかった『それ』よりも価値のあるものかもしれない。