日常において「この人非常識だな~」と呆れてしまったり、苛ついてしまったりすることがたまにある。
とは言ったものの、アインシュタインは「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことである」という言葉を残している。自分が当たり前だと思っている常識は、他人の常識ではないかもしれない。
しかしそんな偏見のコレクションでも『多数派』がやはり存在する。多少の違いはあっても、大抵の人が同じようにコレクションしている『もの』が存在する。
そこのコレクション状況が他人と違っていると、コミュニティによっては糾弾されたり、表立って非難されないにしても「この人非常識だな」といつの間にか嫌われてしまっているかもしれない。
その表立って非難はされない。というのが地味に怖い。一人で好き勝手に誰にも頼らずに生きていくなら全く問題ないかもしれない。だがそんな生き方ができるのは一部の天才だけだろう。大抵の人は誰かに頼る必要がある。そこで相手に「この人非常識だからあまり関わりたくないんだよな」と思われていたら問題が発生する。相手も見かけ上は協力的を演じてくれるかもしれないが、見えない所は適当にされてしまう危険性が高まる。嫌っている相手に頼まれたことをしっかりやろうと思う人間なんてそうそういない。
だからこの常識という多数派がかかっている催眠術に自分もかかったフリをしておくのは、この世の中で生きていくのに必要なスキルかもしれない。
個人的には右に倣えというのはクソくらえ!と思っている。それでもみんなこの集団催眠から目を覚ませ!とは絶対に思わない。もし全員が目を覚ましてしまったら、恐ろしいことになりそうな気がしてならない。