親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

天井の照明を眺めながら

祝日の昼下がり。読書の最中不意に集中力が切れた。そういうときは大抵Twitterを開いたり、ニュースサイトをチェックしたりして時間を浪費してしまっていた。

しかし今日はそんな気分になれなかった。背もたれに背中預けながら首を大きく反らし、天井を眺めながら取り留めのないことを考えていた。音楽もかけず、外からは何も聞こえず、視界に入るのは天井にある照明のみ。気がつけばスマートフォンで何かを見出してしまうから、そういえばこんな風にただぼんやりしているのは久しぶりだった。

ただぼんやりとしていると、心が穏やかになっていくのが分かった。そしてたまにはこういう時間が大事だと分かってはいたが、ほとんどそのような時間が取れていなかった。

そしてそのまま天井を見つめている内に一つの事を考え始めていた。やはり今の世の中に溢れている情報の量は、人間の脳のキャパシティを超えている。その大量の情報を脳に押し込まれているうちに、情報の中に棲む人格のようなものを脳にインストールされてしまう。そしてその人格をインストールされることは良いことだとは思えない。

別に最新のデバイスを持っていなくても、一等地に住んでいなくても、美しい恋人がいなくても、幸せを得ることはできるし、それらが無いからといって不幸せというわけでもない。

とは言ったもの、このご時世でスマートフォンを持っていなかったら困ることはあるだろうし、孤独はふとした時に虚無感を覚える。しかしそれも価値観の一つだ。何かを持っていない人間が、持っている人間と比べて不便な思いをすることは当然だ。しかしそれがイコール不幸というわけではない。

ここら辺りで気持ちよくオチをつけようと思ったのだが、取り留めのないことをメモに箇条書きして、文章化したものだから上手くオチがつけられなかった。それに文章化する段階で、圧縮音源のように様々なものが抜け落ちてしまった感があるのが否めない。しかし、それが文章のいいところだ。