親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

相手の心を読めたなら

昨日は小さいオフ会を開いた。だいたい休日は誰とも話さず引きこもって一人でできる趣味を満喫しているので、休日にこのように誰かと一緒に過ごすのは最後にこのような日があったのはいつだったか思い出せないくらい久しぶりのことだった。

筋肉は鍛えないと衰えていく。人と話す力も同じように鍛えないと衰える。昨日は人と話す力がやはり衰えていると痛感せずにはいられなかった。会話はできるのだが、これでいいのか。と頭を使いながら話していることが多かった。

キャッチボールで例えると、ボールを投げる。という行為は体が覚えているのでボールを投げるのはまずボールを手で握って、そして振りかぶって……といちいち頭の中で考えなくてもすることはできる。だが相手の方に向かって投げるときにどれくらいの力加減かが分からないため、おっかなびっくりしながら相手にボールを投げている……といった状態だ。

キャッチボールならば多少失投したところで相手の眼球に当たってしまったりだとか、よほどのことがなければ相手のことを傷つける可能性は低い。しかし言葉のキャッチボール(会話)は思った以上に簡単に人を傷つけることができる。そして傷つく基準は人によって思った以上にバラつきがある。

会話って怖い。やはり自分の言葉で他人を傷つけるという事は避けたい。だがそれを怖がっていると誰とも話せなくなってしまう。誰とも関わることができなくなってしまう。一人は気楽だが、ふとしたときに寂しさを感じる。だから誰かと傷つくことを承知で関わっていくしか無い。つまり自分の発言で誰かのことを傷つけ、誰かの発言で自分が傷つくことを受け入れるということだ。こうやって文章にしていたらまた人が怖くなってきた。もっと他人の考えてることが分かるようになればいいのにな。