親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

欠点はそうかんたんに治らない

アイデンティティという言葉がある。大抵は『これが無くなってしまったら自分ではなくなってしまう事・もの』に対して使われている印象がある。

個人的に今までアイデンティティになるものは『自分が得意なもの』や『自分が好きなこと』のようなポジティブなものが当てはまると思っていた。だが改めて「自分のアイデンティティってなんだろう」と考えてみたらポジティブなものばかりでは無いことに気がついた。

まず前提として完璧な人間は存在しない。したがって当然自分にも欠点がある。むしろ欠点多すぎじゃね?と思っている。そして欠点は改善していかなければならないと思っている。だが、もし改善されてしまったら自分ではなくなってしまうのではないかと思うような欠点もある。だからといってその欠点を受け入れているわけではない。その欠点は何度も自分を苦しめ、自己肯定感にダメージを与え続けてきた。

しかしその欠点が無くなってしまったら最後、今までの自分ではなくなってしまう予感があるのだ。その欠点は例えるならば、物心ついたころからある『できもの』のようなものなのかもしれない。なんでこんなものあるんだろう。嫌だなあ。嫌だなあ。と思いながらも時たまその『できもの』に触れて、いつものように『できもの』があることに安心する。

と、ここまで書いて思ったのだが本当に『できもの』のようなものならば、欠点を改善したところで別に自分ではなくなったりはしないのかもしれない。『できもの』が無くなった直後はどこか寂しさを感じるかもしれないが、しばらく経ったら無くなってよかったときっと思うのだろう。

 

このような記事を書いていたら高校生の頃に好きだった女の子の事を思い出した。彼女は顔に大きなホクロがあった。そして高校卒業後にメールで病院でホクロを取ったという話をされたことを少し前の事のように覚えている。まあ、気がつけばメールアドレスを変えられて音信不通になってしまい、ホクロを取った彼女の顔を見ることは二度と無かったのだが。