親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

お咎めなくば身の励み

小説家になろうに小説を投稿するようになって三週間くらい経った。最初は思うように書けなくてあまり面白くなかったのだが、最近徐々に慣れてきて楽しくなってきた。書く速度も上がってきた。やはり創作は楽しい。

しかし、いつも悩みながら書いているところが一つある。それは『登場人物たちがいる場所についてどれくらい書くか』という事だ。詳しく書きすぎると文章でしか表現ができないという成約のためストーリーの進行速度が遅くなってしまうし、逆にあまり書かない場合は登場人物たちが何もない場所にいるように感じられて、シリアスな場面でも「こいつら何やってるんだ?」と思われてしまう可能性がある。

もちろん、正解が無い事は分かっている。足りない情報は都合よく脳内補完して読む人もいるだろうし、描写が足りないとまるで鬼の首を取ったようにツッコミを入れまくる人もいるだろう。だが、最近ついセリフだけで話を動かしてしまうクセがあることに気づいてしまったので直していこうと思っている(好きな作家がそういうスタイルのため、影響を受けている気がする)

そしてそのような事を考えていたら、普段自分が小説を読む時頭の中でどう物語をイメージしているかが分かってきた。どうやら自分は暗闇の中に大きな舞台を作り、そこに証明を当て、その舞台で登場人物が動いているところを上から見下ろすように見ているようなイメージで小説を読んでいることが分かった。

そのような読み方をしているせいか、一人称の小説だと視界を共有している登場人物の視界という狭い穴から物語を覗くことになる。そのため三人称の小説と比べて読んでいて窮屈に感じてしまう。以前から一人称の小説が何だか苦手だったのはそういうことだったようだ。

自分が小説を読むときは頭の中でどのようなイメージで読んでいるかをしっかり観察してみると、もしかしたら新しい発見があるかもしれない。