親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

オンラインバトル

今日もツイッター上では様々な争いが繰り広げられていた。世代間の争い、男女間の争い、政治的な争い、某ウイルスについての争い……。こいつらどれだけヒマなんだと思わずにはいられない。

と言っても闘争を求め、相手を傷つけたいと思うのは人類の遺伝子に刻まれているものだから仕方がない。SNS上だと相手を罵倒したりしても相手から肉体的ダメージを受ける可能性はゼロだ。SNSは闘争を求める欲求を満たすためにとても便利なツールなのかもしれない。

こんな風に偉そうな事を言ってはいるが、もちろん自分自身も闘争を求める事がある。「コイツボコボコにしてやりてぇ~!」と思うことだってある。しかしそれは理性を持った人間のすることではない。本当にボコボコにしたら社会的に死んでしまうし、逆にボコボコにされる可能性だってある。それにかわいい女の子を愛でている方が精神衛生上遥かにいい。動物らしくはないけど。

しかしその辺を歩いていて『動物的強さ』を漂わせている強そうな男を見ると憧れの感情を抱く。自分とは対極的な存在だから。それにやはりそういう動物的強さを漂わせている男はモテそうだ。いや、実際モテるだろう。

彼らと自分、何が違うのだろう。髪型や服装のような小手先のものではなく何が違うのだろう。それはやはり自信だろう。それは少し前にボクシングの試合を見ていた時確信に変わった。

その試合は防衛戦だった。その試合の世界チャンピオンはトランクスもシンプルなデザインで、髪型も染めたりすることもなく、ごく普通の髪型だった。しかし「俺は今の俺のままでいい。奇抜な格好で脅す必要はない。俺は強いから」というオーラが全身から発されていた。

もちろんボクシングで世界チャンピオンになろうと思ったら強さへの飽くなき欲望、そしてストイックさが無ければなれるものではない。そのように内心では思っているかもしれないが、他人から見ると「俺は完成されている」と思わせられなければならないだろう。ボクシングのような格闘技では相手に「コイツには勝てない……」と思わせたほうが勝ちだ。技術も当然大事だが、そういった気持ちの面も非常に重要だ。

そういう自信ってどうやったら出せるようになるのだろうか。最初はハッタリから始めていくしか無いのだろうが、やはりハッタリだとバレたあとのことを思うと怖い。

男は特に自信が大事だ。創作物の世界では自信のない弱々しい主人公を有り余る母性を持ったヒロインが好きになる。という話を見かけるが現実では友達しか見られなくて終了だ。

ああ、有り余る母性を持った女の子に甘やかされたい。