親指がボロボロ

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デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆は大人になってしばらく経つ大人に刺さる作品だった(ネタバレあり)

2/21に公開されたデジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆を見てきた。個人的には『刺さる』作品だった。気がついたら涙を流していた。周りの観客からも鼻をすする音が聞こえたのできっと彼ら彼女らも花粉症ではなく、同じように感極まって涙を流していたからだと信じたい。

 

デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTIONのストーリーの一番の注目点は『選ばれし子どもが大人になった時、パートナーデジモンはその姿を消してしまう』というところだ。

その消えてしまう理由は『大人になると子供の頃にはあった無限の可能性が消滅してしまうから』だ。無限大な夢のあとにはパートナーデジモンいなくなってしまう。ということだ。

この設定にはパートナーデジモン=人間としての可能性、そしてパートナーデジモンが消滅してしまうということはいい意味では完成された、悪い意味では可能性のない大人になってしまった。という意味が込められているのではないだろうか。

 

この作品の黒幕、メノアについてだが、彼女は自分も過去にパートナーデジモンを失ってしまった悲しみから、他の選ばれし子どもたちにも同じ悲しみを味わって欲しくないとデジタルワールドに永遠に子供だったころの記憶の世界で生きることができるネバーランドと選ばれし子どもたちの意識をデジタルワールドに閉じ込めることが出来る力を持ったエオスモン作る。そしてエオスモンの力で選ばれし子どもたちの意識をネバーランドへ誘拐する。まさにピーターパンに登場する永遠に年を取らない世界『ネバーランド』そのものだ。

彼女は狂気に取り憑かれていたとはいえ、選ばれし子どもたちのためを思って行動していた。しかし彼女のやっていることはあまりにも身勝手だ。しかし大人になってしばらく経つと「ずっと子供でいたかったな」と思うこともあるし、徐々に自分の中から可能性が消滅していく事に恐怖を感じる。それに子供の頃からずっと一緒にいたパートナーデジモンとの別れ。どれだけ悲しいか想像に難くない。メノアの作ろうとした世界に入ったら「終わりだ」というのは分かるのだが、同時にメノアの作ろうとした世界に魅力を感じている自分もいた。

もちろんそんな世界はあってはならない。太一とヤマトはアグモン、ガブモンとの別れが早まってもこの世界を破壊すると覚悟を決める。アグモンとガブモンは新たな姿に進化し、ネバーランドを破壊する。個人的にはこの新たな進化をした時に「ラストを決めるのはオメガモンが良かったな」と思ってしまった。その新たな進化をする前にオメガモンは一度負けているとはいえ、オメガモンは特別な存在だ。オメガモンで決着をつけて欲しかった。大人の事情的に仕方ないのだろうが。

 

最後になぜ『LAST EVOLUTION 絆』はこのようなストーリーになったのか。そして何を伝えたいのか。

それは乱暴に言ってしまうと「お前らもいい加減昔のアニメから卒業して次へ進めよ」というメッセージを送りたかったからではないだろうか。tryでもそのメッセージを感じることができたが、LAST EVOLUTION 絆は一際そのメッセージを強く感じた。

デジモンアドベンチャーは当時見ていた子どもたちに大きな影響を与えた。20年も経ってから新作映画が公開されるほどなのだから根強い人気がある証拠だ。

思い出の世界に浸るのは気持ちいい。しかし我々は未来に進まなければならない。思い出の世界に浸っていても何も成長はない。それこそネバーランドで子供の頃の記憶の世界に閉じ込められてしまっていた選ばれし子どもたちそのものだ。

最近は昔の作品の続きを描いたり、リメイクししたりして当時のファンにお金を落としてもらうビジネスが流行している。そんな中『デジモンアドベンチャー』というネームバリューのある作品でそれをやってのけるのは凄いことではないだろうか。まあ、春からリメイクされたデジモンアドベンチャー:が始まるんですけどね。

 

デジモンアドベンチャー:の事はともかく、デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆はデジモンアドベンチャーという作品を締めくくるに相応しい最高の作品だった。やはりオメガモンはかっこいい。メタルグレイモンのデザインは今見ると古臭さを若干感じてしまうが、オメガモンは今見てもカッコいい。メタルグレイモンは初期のデジモンだから仕方ないんだろうけど。しかし怪獣が微妙に機械化されているという男心をくすぐるデザイン、最高だよな。