親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

セミの死骸が目立ち始める頃に思うこと

あちこちでセミの死骸を見かける時期になってきた。セミの死骸を数多く目にするようになると「今年の夏ももうすぐ終わりか」と思わずにはいられない。そしてなんだか悲しい気分になってくる。

セミの寿命は短い。昔は成虫になってから一週間くらいで死んでしまう言われていたようだが実際は一ヶ月くらい。それでも人間の事を思うと遥かに短い。ひと夏の経験とか言ったりするが、セミにとっては今年の夏しか無いのだ。ひと夏の間に外敵から逃げながらなんとか交尾相手を探して子孫を残さなければならない。なんという過酷な運命だろうか!

ちなみにセミはオスしか鳴かないそうだ。メスに自分の存在を示すために鳴いているのだ。真夏は朝から晩までそこら中からセミの鳴き声が聞こえる。つまり真夏は朝から晩までオスゼミの「俺はここだ!ヤらせてくれ!」という叫びを声を聞かされているに等しい。そう思うとなんだか笑えてくる。だが笑ってはいけない。それがセミの遺伝子に刻まれた行動だから。そしてセミにはその生き方しかないのだから。

セミには生き方が一つしか無いが、人間には生き方がいくらでもある。本能にしたがって子孫を残すために生きてもいいし、死ぬまで独り身で趣味に全力を尽くす生き方もある。無限に生き方がある。

だからこそたまにどうしたらいいのか分からなくなって、怖くてたまらなくなることがある。事あるごとに誰かから「お前はこうしたらいい」と言ってもらえたら楽なのに。と思うことがある。だがこれは間違いだ。もし人から言われるままに言われたことをやって上手くいかなかった場合高確率でその人を恨んでしまう。その人に言われたことをやると決めたのは自分なのに。言われたことをやったことは自分自身なのに。

だから自分が「いいな」と思ったことを上手くいくか行かないかは別としてとりあえずやってみるしかないのだ。もちろん上手くいかなかった時は「他のことに時間や金を使えばよかった...」と後悔をすることになるのだが、やらなかったらやらなかったで「あのときやっとけばよかった」と後悔することになるのだ。しないで後悔するより、して後悔だ。

そして夢も希望もない話だが、どんな事でも上手くいく保証は全く無い。人生で何か成功体験を得ることが一度もなく恨み嘆きながら人知れずこの世を去って行った人が沢山いるはずだ。それでも傷つくことを恐れて何もせずにこの世を去っていくよりは傷つきながらも願いを叶えるため必死に生きてこの世を去っていくほうが遥かにカッコいいと個人的には思う!