親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

時に取り残されるイジョドク

従兄弟の結婚式に出席し、弟の奥さんに会うというイベントを回収してきた。

不思議な気分だった。幼い頃は今は亡き祖父祖母に連れられて遊びに行ったこともある従兄弟が一家の大黒柱になったなんて、現実感がない。自分はまだ子供で、今生きているこの世界は夢、冗談なんじゃないかと思えてくる。

それよりやはり現実味がないのは弟が結婚したことだ。弟が学生のうちに自分は家を出ているだが、そこで自分の中での弟の時が止まってしまっているようで、弟が奥さんと並んでいる所を見ても、目の前の彼は一体誰なのだろうと思ってしまう。しかしいざ弟と話してみると相変わらず弟は自分の知る弟のままでなおさら訳が分からなくなってくる。

そうやって周りの人々が変化するのを見ていると、今は1998年でも、2010年でもなく、2022年なんだなと否応無しに受け入れざるを得ない。いや、受け入れないという選択肢はそもそもないのだが。

今となって思うのだが、やはり今まで両親や従兄弟などを含めて他人との接し方が間違っていた。

一時期両親達を含めた親しい人間と仲が悪いわけでもないのに一切顔を見せないようにしていた。そしてその理由も無駄にでかすぎた自意識が原因だ。

自意識が徐々に萎んでいき、久しぶりに両親と会ったときの衝撃を今でも覚えている。2人は自分の知る両親とあまりにもかけ離れていた。父親は髪の毛が白髪だらけになっていたし、母親の顔のしわは信じられないほどに深くなっていた。

人間はあまりにも大きな変化に直面した場合、自分の中で勝手に理由を作り上げて現実を受け入れるのを拒否してしまう。だから、やっぱり遠くに住んでいても年末年始とお盆だけではなく、もう少し時間を作って両親を含めた親しい人間と会うようにしたほうがいいのかもしれない。

「若い人は知らないだろうけど」という前置き

ツイッターでは比較的見かける前置きだが、見るたびに不思議に思う。

どうしてこの前置きを使いたがるのだろう?

「知らないだろうけど」とあくまで推定だという断りを入れつつも、その後に続くのはたいてい基本的に知らないことが前提で書かれている文章だ。

これを見て対象となる人が抱くのは「年上の人ってこんなこと知ってるんだー」という尊敬の念ではなく、「うっざ」という反感だろう。

それにこの前置きを使う者の上の世代の人たちが知っていることを自分も知らないはずだという当然のことに気づけていない想像力の欠如や、自分より下の世代を見下したような傲慢さがにじみ出ていて、これ以上に見ていて虫唾の走る前置きは個人的にはない。

そんな事にすら気づけていない人がこの世何人も存在していることが不思議でたまらなかったが、最近思ったことがある。もしかして彼らは『善意』でこの前置きを使っているのだろうか?

そうだとしたら納得はいく。どうも想像力が足りないのは自分の方だったようだ。

イジョドク日記 #2022/08/23

自分にとって女の子はやかましくて、「俺を選ばなかったことを後悔させてやるからな!」と奮起させてくれる存在でしか無いのだなとふと思った。

今後も1人で生きていくこと前提の人生設計への移行がさらに加速していく。独身男性は40代でポツポツ孤独死し始めるので、自分ももしかしたら10年以内に死んでいるのかもしれない。

別に1人で死ぬのが嫌な訳では無い。出口の見えない女を奪い合うレースには疲れたし、自分はアルファオスではないのでかけた時間に相応する成果を得るのも難しい。そして人間の進化の軌跡から言っていけ好かない男が愛を独占していくのも納得している。分かっている。理解している。

むしろ、自分はいつ1人で死ぬのか知りたい。何年何月何時何分何秒にどう死ぬのか。それが分かっていればそれを見越した人生設計ができる。あっさり死んじゃうなら貯蓄なんてせずに湯水の如くお金を使ってしまいたいし、もっと好き勝手に生きたい。

イジョドク日記 #2022/07/18 イジョドクワナビの危機感

ふと思った。「俺、もしかしてまずい状態なんじゃないだろうか?」

まず、最後に誰かと約束をして出かけたのがいつなのか全く思い出せない。

それだけならまだいい。

最近運動不足を解消するために昼休みは散歩に出るようにしていたのだが、暑いし帰った後に顔を洗ったり着替えたりするのが面倒だ。なので家で昇降台を踏むようにしたのだが、これが当たりだった。

外に出る場合は、日焼け止めを塗ったり、顔を洗ったり、着替えたりする時間が必要だったが、家の中で昇降台ならそれらの時間も運動にあてられるし、何ならお昼を食べながらでも昇降台は踏める。アニメも消化できるし、普通に歩くより負荷も高いといいことしかない。おかげで平日は一度外に出ない日が増えた。つまり、自分の周りに人が誰もいない状況が当たり前になってしまったのだ。

異変に気づいたのは土曜日。その日は『ゆるキャン△』と『からかい上手の高木さん』の映画を見に行った。

ゆるキャン△』はなんとなく最前列にして『からかい上手の高木さん』は真ん中辺りの席にしたのだが、周りに客がそれなりにいた『からかい上手の高木さん』は何度か集中力が切れてしまい、いまいち物語に没頭することができなかったのだ。

どうも昼休みに散歩に出ていた頃からその気はあったのだが、他人が視界に入るのがストレスに感じる体質になってしまったようだ。今回の件で確信した。

少し前から人の少ない場所に引っ越したいと考えていた。神奈川県南部の都内に毎日通勤するには厳しいくらいのエリアならば、今の家賃に2万足すだけで広い家に住むことができる。それに人も少ないだろう。だが、今住んでいる所と比べて便利さは落ちてしまうだろうし、ますます将来黒いシミに上がる確率が上がってしまう。そう思うと二の足を踏んでしまうのだ。

これからどうしたらいいのだろう。自分は小説を書いて新人賞に応募し続けているいわゆるワナビだ。小説は人と人の関わりを描くものだから、誰とも関わらずに引きこもっている人間にいいものが書けるのか正直疑問だ。もちろん書ける人は書けるのだろうが、それは一部の天才だけで自分は間違いなく天才ではない。

となれば、やはり誰かを遊びに誘ったり食事に誘ったりするしかないのだろう。黒髪ロングストレート美少女でなくても、風野灯織ちゃんでなくても、井ノ上たきなちゃんでなくてもいいので友達募集中!(誰でもいいとは言っていない)

イジョドク日記 #2022/07/13

Youtubeを筋トレ動画を見る以外で見ることが本当になくなった。以前はゆっくり解説やファッションインフルエンサーの動画をよく見ていたのに、今は見ようとすら思わない。いいことだろう。

ただ代わりになぜか『むこうぶち』を読むようになった。気がつけば一周してしまいそうだ。

むこうぶちは面白い。傀のご無礼連発のシーンは読んでいて気持ちいいし、傀のキャラクターも唯一無二だ。読んでいると自分も強くなったような気がしてくる。まるでアメコミコミックでも読んでいるかのようだ。

でもやっぱり表現者としては同じものばかり読んでないで違うものを読まなきゃなーと思ってしまうのだった。ゆるキャン△面白い。

イジョドク日記 #2022/07/06 孤独死に近づく

久しぶりに体重計の体脂肪率機能を使ったら目を疑うような数値が表示された。

このまえ健康診断を受けたときも「ちょっと血圧高いですね〜」なんて言われてしまって、生まれてこの方最高血圧の数値を最低血圧に持っていっても低いくらいの低血圧だたのに、耳を疑わずにはいられなかった。

少し前からご飯は今まで1合食べていたところを半合にして、おかずも半分にして魚をメインに、満腹感をごまかすためにスープを飲むようにしていたのだが、やっぱり歩かなきゃダメみたいだ。まだ余裕ある標準体重だし、毎日筋トレもしてるんだけどね。

転職するまでは家から最寄り駅までは10分、そして最寄り駅から会社までは15分。昼休みもだいたい散歩していたので、1日1時間歩く時間が減った計算になる。そりゃー不健康になるわけだ。

おまけに最近持病が急激に悪化してきて仕事がちょっとつらい。

今まで比較的健康体だったのに、一気に体がボロボロになり始めている。親指がボロボロは直ったし、精神がボロボロだったのもまあなんとかなったし、職歴がボロボロだったのもなんとか立て直せた思ったら今度は体か。やっぱり隣を歩いてくれる黒髪ロングストレート美少女がいないとダメだな。

イジョドク日記 #2022/07/04

衝動的に『女子高生と付き合いたい』とツイートしたくなった。だが、Twitterはログアウト状態にして、パスワードも自動入力をオフにしてあるのでログインするのが少し面倒にしてある。

おかげでパスワードを入力している途中で冷静になり、そのままタブを閉じることができた。優秀。

そんなことつぶやいたって女子高生と付き合えるわけ無いじゃん。宝田六花ちゃんに黒タイツを履いてもらって膝枕してもらいたい。