親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

謝りたい

生きていると「こんな辛い思いを抱えながらこれから生きていかなきゃならないのか」とさらに辛くなってしまうことに遭遇する。

夢を諦めた時。失恋。大きな失敗。しかし月日が経つと思い出しても当時は辛くてたまらなかったのに「あのときは辛かったな」といい意味で懐かしむことができる。

その記憶を取り出すと、まるでその時の気持ちが最近の感情の記憶とはちがう形で保存されているかのように感じる。まさに記憶からただの記録、アーカイブ化されている。

だから今辛くても徐々に同じようにアーカイブ化されていくと思うと気が楽になるし、同時に今の気持ちもその程度のものなのかと寂しくなってくる。

そして他人からされたことは結構覚えているのに、逆に自分がしてしまったことは記憶に残りづらいとは言え、簡単に忘れてしまう事に罪悪感を抱かずにはいられない。感情的に、自分勝手な理由で相手を傷つけてしまっても、他人にされたことに比べて思い出すことはほとんどない。意識して思い出そうとしなければ思い出すことはない。

それはやはり恥ずかしいことだからなのだろう。

だけど、つい先日してしまったことを敢えてこの場で謝罪したい。

振り向いてもらいたい。ただそれだけの理由で身勝手なことをしてしまって本当にごめんなさい。また顔を合わせて話したいです。

昼休み

一気に色々とやらかしまくってしまって頭の中が混沌としている。そんな頭の中がごちゃごちゃしている状態では当たり前だが仕事に全く集中できない。なんとか集中しようとすると脳裏に後ろ向きな感情がよぎり、作業を妨げてくる。それでもなんとか集中し始めても、気がつけば瞬きするかのように頼んでもいないのに勝手に暗い事を考えてしまう。そして手が止まる。

この記事は昼休みに書いているが、午前中で終わらせるつもりだった作業が1つも終わっていない。こういう時誰かと話せれば……と思うのだが、在宅勤務なので誰もいない。「こんなんでまともに仕事できるわけねえだろ!」と子供のように喚きたくなってくる。

そしてこんな状態なので、どうしても悪いことばかり考えてしまう。自分は変われていたと思っていたが、それは鎧を何重にも装着していただけで以前と全く変わってないだとか、そんなことを考えてしまう。

それでもやはり、以前の自分とは違うようだ。昔の自分ならネガティブな感情の操り人形になってしまい、さらにネガティブになってしまう行動を取ってしまっていた。ネガティブな感情で頭がいっぱいなときはその感情に従うのが楽だからだ。

だが今はそんなネガティブな感情に振り回されつつも、「ネガティブになると今のような状態になるのは仕方ない」といい意味で諦められていたり、自分を押しつぶそうとしてくるネガティブの壁を必死に押し返そうとしていた。しかも無意識のうちにだ。

やはり『思うように結果が出ない』というのはどんなに前向きに考えていても、無意識のうちに自分を蝕んでいく。そんなにすぐに結果が出るものではないと頭で分かっていても、どうしても心の奥で苛つきや焦り、無力感を抱かずにはいられない。

バレンタインデーの夜なので語らせてくれ(日付変わっちゃったけど)

恋愛はやはり駆け引きが大事だよなと常々思う。自然に振る舞って自然に女性を魅力できる性格でもなければ、悪く言えば自分を偽る必要がある。女性は男性に比べて感情的な生き物だ。感情を揺さぶってくれる男性を魅力的に感じる。だから、「自分なら楽しい感情のジェットコースターに乗せてあげられるよ」と言葉ではなく、相手に行動で分からせる必要がある。ラブコメの定番、最初は主人公とヒロインはぶつかりあうも、主人公の意外な優れた一面、優しさを知るうちにいつの間にかヒロインが主人公に惹かれてしまうのも、話の流れでいつの間にかヒロインが主人公による感情のジェットコースターに乗せられてしまっているのだ。

そして更に大事なのはこちら側は相手の態度がそっけなくても、メッセージの返信が遅くても「この子ダメでも別にいいか。じゃあ次の女に行くだけだし」とあくまで冷静でいること。間違っても「あんなこと言ったから嫌われちゃったかな?」とか「やっぱり俺の事どうでもいいんだな」と自分の中で相手のことが大きくなってしまうような事は考えてはいけない。そうなってしまうとどんなに気をつけていても気持ち悪い行動として表れてしまう。逆に相手に「私のことどう思ってるんだろ」と思わせないといけないし、どんなに話してて楽しくても、可愛くても、会話のキャッチボールがろくに成り立たない世界一のブスと接してるくらいこちらは余裕がある必要がある。

まあ、それができればいいのだが、どうしてもできない。気がつけば相手のことが自分の中で時間の経過とともに大きくなってしまうし、駆け引きのできない直球勝負だけになってしまう。前よりはマシになったとはいえ感情を動かすどころか和みを与える行動が基本になってしまうし、相手の期待に応えようとして、悪い意味でただのいい人になってしまう。そんな状態なので「やさしい」「いい人」と言われるのは悪口に感じ、「お前嫌なやつだな」と言われたら褒め言葉と感じてしまうくらいだ。

個人的にはやはり自分の中で相手を無駄に大きくしてしまうのが一番やってはならないことだと思う。今も昔もやはり女性は『強いオス』が好きだ。自分の中で相手が大きくなってしまうのは、感情が動いている証拠だ。そして簡単に感情を動かされてしまうような男は『弱いオス』と判断されてしまう。

そして何より振られた後だ。振られたからといって相手への感情がすぐに消えることはない。叶えられることのない自分の中で大きくなってしまった相手への思いは、情緒不安定をもたらす。毎日が辛いし、相手に似てる人を見かけたり、相手の名前と同じ文字を見るだけで古傷がうずくような感覚を抱いたり。忘れようと思い出の品や連絡先を捨てたり消したりしても、それらの行動は辛さに変わるだけで相手への思いはなくならない。最初から存在しなかった人だと思えればいいのに。

何もないだだっ広い空間を1人歩く

他人から悩みを話してもらえるというのは少し不謹慎かもしれないが、自分という存在を信頼してもらえている証拠なのでやはり嬉しく感じる。それと同時に、他人に自分ができることって思った以上にないんだなと無力感を抱かずにはいられない。

例えば相手の家の排水管が詰まっていて、自分が排水管を水道工事をすることができる資格があれば確かにそれを解決することはできるだろう。しかしそれは自分でなくても解決できるし、そもそもそれは悩みではない。

悩みというのは、AとBという選択肢があり、相手の主観的視点だとどちらにもメリットデメリットがあるためどちらにするか決められない状態。何かに困っていてそれを解消するための方法がそもそもない、もしくはあるけどその解決方法を行うのが怖い、勇気が出せない。そういったもののことを言うはずだ。

そしてそれらに対して自分の知識経験から「Aがいいんじゃない?」と言うことも、「やりたいと思ってるならやればいいじゃん」とアドバイスすることはできる。だが、結局それ以上のことはできない。相手もAの方がいいと分かってはいるけどAを選ぶことのデメリット、Aを選んで失敗してしまった場合の恐怖で迷っているかもしれない。そして相手もやればいい。と分かっている。だけど第一歩を踏み出せないから悩んでいるのだ。

結局、相手の悩みは相手が自分で解決するしかない。こちら側が無理やりAを選ばせたり、やれずにいることをさせることは相手に逆に悩みを増やしてしまう行動だ。親切心ではなく、迷惑行為でしか無い。

人間って思った以上に孤独なんだなと思ってしまう。悩んでいる人と触れ合って悩みを聞くことはできる。それで心の距離は縮まったとしても、どうしても通り抜けられない壁は残ってしまう。それでもやはり誰かと話をして感情の共有ができたときの瞬間は何も無い広大な空間を一人歩き続けていたら誰かと出会えたときのような、そんな感覚がある。

あまあま

どんな時も常に謙虚が一番だ。調子に乗ったら最後、足元を掬われて奈落の底へまっしぐらだ。

すごく今更なのだが、どうやら仕事でも恋愛でも自分は調子に乗りやすいようだ。『勝って兜の緒を締めよ』というが、勝ってもいないのに兜を脱いでしまい、斬り殺されてしまう。何度目だよ馬鹿野郎っ!

仕事で調子に乗ってしまうとしょうもないミスをやらかしてしまい自己肯定感がボロボロになってしまうし、恋愛で調子に乗ってると相手にそれを見透かされて愛想を尽かされてしまう。やんなっちゃうよ。

かといって常に神経を尖らせていても疲れてしまうし、時と場合によっては勢いで突き進んだほうがいいこともある。難しい。

じゃあどうすればいいのか。『調子に乗る』にはいい意味と悪い意味の二つの意味がある。つまり、いい意味で調子に乗りつつ、悪い意味では調子に乗らないようにするのが一番。つまり、程々に。いや、そんなことは誰でも分かってるよ。それが難しいから困ってると言うのに。

隣を歩いてくれる女の子がほしくて頭の中が女の子という概念でいっぱいになるバレンタイン二日前の夜。

理想的な女の子

男オタクというのは女オタクと付き合いたがるものらしい。だからこそ女オタオタなんてスラングが生まれるくらいだし、所謂オタク街コンは男は10,000円に近い参加費に対して女性は1000円以下という狂った金額設定でも男の方は完売してしまう。足元を見られすぎている。

アニメコン【アニメ・マンガ好きの集まる街コン☆マッチングゲームあり!一人参加・恋活・友達作り歓迎/完全着席形式/感染対策済み】 (千葉県/船橋市) | 街コンジャパン-全国の街コン公式サイト-

ちなみにこの手の街コンは本当にやめといたほうがいい。恥ずかしながら何度か参加したことがあるが、男女比が偏りすぎてまるで話ができなかったり、『20分ごとに席替えができます』と謳っているにも関わらず男女合わせて6人しか集まらず、時間いっぱい同じメンツで話し続けたということもある。おまけにその時はイベント終了1時間前にドリンクのラストオーダーだった上、当時は今ほどトーク力がなかったせいで終盤はお通夜になってしまった。

そんな話はさておき、勿論自分自身もやはり女オタクと付き合いたいという思いがある。オタク気質の女の子と仲良くなるためにその子が好きなコンテンツに手を出すという軟派な事をしてしまったことすらある。もちろん大失敗でした。

しかし冷静に考えてみると女性向けの作品を好む女オタクは生態系が全く違うだろうし、かなりレアな存在である男性向けを好きな女オタクも男オタクと同じような楽しみ方をしているとは限らない。エロゲ好きだと言うから話を聞いてみたらクロックアップ作品のようなグロテスクなものが大好きだったりとか。

そう、同じオタクだからといって仲良くなれるとは限らない。例えばラーメンが好きだからと言ってとんこつラーメンが好きな人と塩ラーメンが好きな人では仲良くなれるかと言われると怪しいだろう。

むしろ普通の女の子の方がいいんじゃないだろうか。世の中には意外と『自分自身には特に趣味がなくて、友達の趣味に付き合う女の子』が存在している。そういう子の方が自分の趣味にも楽しく付き合ってくれるのではないだろうか。「これ面白いよ」と布教したらすぐに読んだり見てくたりするのではないだろうか。こっちのほうがいいじゃん!

しかし問題がひとつある。そういう女の子と知り合う手段が中々ないことだ。人生そんなに甘くない。

つまらなくなりましたね

この前「を水さん最近ブログ記事つまんなくなりましたね!」と言われてしまった。彼いわく、まだ自分が病んでいた頃の尖った記事が好きだったらしい(この記事はよかったと言ってたけど)。

まあ自分でも良く言えばおとなしくなった、悪く言えば無難すぎる記事ばかりになってしまったと思っている。昔の記事の方が読んでいて感情に訴えかけるものが書けていたような気もする。だがそれはやはりネガティブな記事ばかりだからだ。

ネガティブな感情というものは強力だ。大きく心が動かされる。ネガティブな記事に込められているネガティブな力をそのまま受け止めれば、落ち込んだり嫌な気分になったりする。文字通り、感動するのだ。バッドエンドの作品がずっと頭に残り続けるのもそいういうことだろう。

メンタルが病んでいる人は頭の中でネガティブな感情が強い勢いで飛び回っている。それをそのまま文章にぶつけると、その人のネガティブな感情が閉じ込められた負のオーラが放たれた記事が簡単に完成してしまう。そして読んだ人はそのネガティブな感情に共感し「分かる」と思ったり、「面白い」と思うのだ。

しかし残念ながら今の自分はそんな感情が殆どない。昔の自分の頭の中は常に大嵐が吹き荒れていたが、今は平穏状態だ。そんな状態だから力がまずないし、そんな精神状態ではポジティブな記事ばかりになってしまう。

勿論ポジティブな感情でも心が動くには動くが、ネガティブな感情と比べて刺激が弱い。それにネガティブになるのはただ坂道を転がり落ちるようなものだが、ポジティブになるのは坂道を巨大な球を転がしながら登っていくようなものだ。結構努力が必要なのだ。ポジティブな記事を読んですぐにポジティブになるのは割と難しい。逆は簡単だけど。

ただ、Twitterで面白いツイートをしている人はたいてい病んでいる印象がある。一応自分も創作をしている身なので多少病んでる方がいいのかもしれないが、やっぱり病んでるのは辛いので今のまま面白い話を作れるといいのだが。