親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

快感

このブログは2016年の1月から始めたので、あと1ヶ月も経たずに5年を迎える。

細々と続けてきたブログだが、たまに妙にPV数が多くなる日がある。そういう時、わずかだが恐怖を感じる。

一応普段も全世界に自分の内面をぶちまけている自覚はあるのだが、普段のPV数ならば過疎の進んだド田舎でパンツ一枚で歩いているような気分だ。どうせ誰も見ちゃいないだろ、ということだ。

しかし妙にPV数が増えることがある。つまり自分の内面を赤裸々に語った記事をそれなりの数の人が見ているということだ。なんというか、新宿駅のような人通りの多いところでで大声で叫ぶような恥ずかしさがある。当然だがやろうと思ったことはあっても、やったことはない。

普通なら恥ずかしくて絶対にできない。酔っ払っててもやはりできない。だが一度やってみたら清々しい開放感で満たされるのではないかという予感がある。いや、絶対に気持ちいい。

それをネット上で自分はやっているのだ。怖いけどゾクゾクする。気持ちいい。

自分の気持ちを文章にするのは楽しいし、それにこのブログを面白いと言ってくれる人もいる。嬉しい。書き続けてよかったと思うし、これからも続けよう。

今回は答えが出なかった

自分の中の『常識』という18歳までに身に着けた偏見のコレクションと照らし合わせると信じられないような事をしている人を見かけることは、この現代社会で生きていく上では避けられないことだ。

そういう人を見ると、どうしてもイライラしてしまう。そんな時はどこぞの英雄王にでもなりきって、「我(オレ)のような男がこのような雑種に気を乱されるなどあってはならぬことだ」と思うようにしている。

そういう対策を取ってもやはりそういう人たちが視界に入っている間はストレスが溜まり続ける。別にこちらに害がなければ気にする必要はないのだが、どうしてもスッキリした気持ちにはなれない。

そもそも日本という小さな国一つとっても何かについての常識がバラバラだったりするし、人間は基本自分が良ければそれでいいのだ。ルールを守ったり誰かのために何か親切にしたり施しを与えたりするのも、結果的に自分のためになるからだ。

それに自分が他人からどのように思われようがそもそも気にしない人もいるし、そもそも自分が他人からどのように思われているか自分で判断するのはムリだ。自分は親切で善良な人間だと思っていても、他人からは蛇蝎のごとく嫌われているかもしれない。

うーん、どうすればいいのだろうか。さっぱりわからない。

黒髪ロングストレート美少女怪文書

Twitterのアイコンを変え、アカウント名を『を水』から『黒髪ロングストレート美少女』に変えてみた。想像以上に気に入ってしまった。

 

すべての人類を破壊する。それらは再生できない。というラブコメマンガがある。個人的には今まで読んできたラブコメの中で一番好きだと自信を持って言える。それくらい読んでいて感情が飛び跳ねるように動く作品だ。

一応マジック・ザ・ギャザリングというカードゲームを題材にしているが、どんなゲームなのか知らない人でも雰囲気で楽しめる。それくらいストーリー展開がしっかりしていて、読んでいて「ああ(この感嘆詞が極めて重要)、好き」と思える作品だ。本当に面白い作品は何が題材かなんて問題ないのだ。テニサーにテニスラケットが無くても問題ないくらい、問題ない。

そのヒロインの沢渡慧美(黒髪ロングストレート美少女)が、凄まじく可愛いのだ。最初は主人公と仲が悪かったものの、とある事をきっかけに徐々に惹かれ合っていくのだが、主人公を意識し始めてから彼女の見せる行動やセリフと言ったら、たまらない。勿論、彼女が可愛いだけの作品ではないのだが、いやもう本当に可愛いのだ。何度彼女のせいで頭を抱えたり気持ち悪い声を出してしまったことか。

 

やはり、黒髪ロングストレートかつ茶目っ気のある性格の美少女というのは最高なのだ。女の子は等しく最高だと思うのだが、やはりオタクは黒髪ロングストレートなのだ。

そのような事が無意識に刷り込まれているためか、なんとなく『黒髪ロングストレート美少女、』と頭につけてツイートをしてみた。自分の中でTwitterというSNSが変わって見えるようになった。きっと自分はTwitterの中で美少女になれたのだ。

『黒髪ロングストレート美少女、』とツイートの先頭につけるだけで無敵になれたような感覚があるのだ。もちろん、現実の自分は相変わらず女の子が大好きなおっさんなのだが、自分のいる世界に大きな風が吹き風景が変わってしまったかのようだ。

まあ、気がつけばツイートの先頭に『黒髪ロングストレート美少女、』とつけるのも飽きてしまいそうだが、ツイートの先頭にこれをつけることで一度ツイートを読み返すようになるので、脊髄で気持ち悪いツイートをしてしまうことを止めることができる。これは大きい。それに何より『異常独身男性、』とツイートの先頭につけるよりは遥かに楽しい。

異常独身男性に限った話ではなく、そうやって自分がダメな言い訳を聞かれてもいないのに先回りして使ってしまうと、呪いのような全体ステータス低下が起こってしまう。

自分で『黒髪ロングストレート美少女、』と名乗るのもヤバい奴だとは思うのだが、ちょっと楽しい。でも本当は美少女よりはいい男になって、美少女から愛されたいです。

しかしもうすぐクリスマスです

やはり他人と関わることは大事だな、と事あるごとに常々思っている。

以前の自分は本当に捻くれていて、他人と関わらないことがカッコいいと思っていた。全然そんなことはなかった。他人と上手くやれる方が何倍もカッコいいね!

人間というのは、1人1人が小さな宇宙みたいなものだ。そしてそれぞれの宇宙では全く異なった物理法則が適用されている。例えば日本語を話すことができる同士ならば、コミュニケーションを取ることで情報を交換することができる。しかし、深い話をすると、お互いの物理法則が違うことにより違和感やすれ違いが発生する。ときにはそれによって喧嘩になってしまったり、関わることがなくなってしまうかもしれない。それは仕方がないことだ。

しかしそれでも分かり合えた時は、孤島に1人で取り残されこのまま死ぬのかと思っていたら、すぐ近くにもう1つ島があり、そこに人が住んでいた事が分かったときのような気持ちになってくる。

他人と関わることで自分に縁のない経験、自分の知らない知識、自分にはない考え。様々なものを得ることができる。勿論人と関わらなくても生きては行ける。しかしそれを続けているといつしか痩せた土地のような人間になってしまう。そうなってしまうと何も生み出すことが出来ない。喜ぶことはほとんどなくなり、焦燥感にも似た怒りに支配された毎日になってしまう。

最近気がついたら人と関わることが増えてきた。そしたら楽しくなってきた。人生で今が一番楽しいかも。と思うことすらある。いいことだ。

 

心の内を吐露したい

日に日に寒くなっていくためか、体をくっつけて歩いているカップルを見かけることが増えてきた。そんな奴らを見かけるたびに羨ましさのあまり「ソーシャルディスタンス!」と叫びながら竹刀で二人の間を切り裂きたくなってくる。まあ当然だがそんなことできるはずないので、視線を外して奴らが視界に入らないようにするしかない。なんで俺が我慢しなきゃならんのだと怒りをぶちまけたくなってくるが、当然これもできるはずがないので努めて意識の外に追い出すしか無い。

それにしても、世の中の憎いヤツらを見ているとどうやったらあんなふうに女性の心を夢中にさせられることができるのか不思議でならない。自分だけが知らないテクがあるのではないだろうか。

といっても『それ』の答えはすでに分かっている。女性の感情を動かす力だ。手段は暴力だったり態度だったり話術だったりと色々あるけど、そこに集約される。

分かってはいるんだけど、自分の殻を破ることが出来ず、結局話しやすい女友達みたいな、悪く言えばただのいい人になってしまい、そこからもがいて何とかしようとすると気持ち悪いバケモノになってしまうのだ。今日もやらかした。

虚しい。ただ虚しい。仕事で頑張っても、趣味を楽しんでも全てが色あせてしまう。そんなことはないと分かっていても、そんなの絶対イヤだと思っていても、世界で一番不幸なんじゃないかと考え始めてしまう。

そしてこの感情は脳内物質がそうさせていると分かっていても虚しいものは虚しい。むしろ、この感情も自分の脳が『俺』を操るために勝手に脳内物質を発しているのだと思うと自分の脳が憎くてたまらなくなってくる。ふざけんな。勝手なことするんじゃなない。

当然だが自分でも気にしすぎだと分かっているのだが、これは極めて難しい。例えば職場で笑い声が変な人がいたとする。そして一度「この人笑い声が変だな」と認識してしまうと、その人が笑うたびに意識してしまい、最後にはその人が笑うたびにストレスを感じるようになってしまう。

自分も『向こう側』へ行きたい。向こう側は一つではない。

 

『ヤツ』との遭遇

最近寒くなってきたせいか、しばらく姿を見かけなかったゴキブリと久しぶりに遭遇してしまった。叩き潰そうとしたら逃げられてしまったのでゴキブリホイホイを設置することにした。

大きいのも小さいのも大量にかかり、満員御礼な『それ』を目の当たりにした瞬間、「人間様をあまり舐めるなよ!」と悪役のような言葉が口から出てしまった。

しかし、次の瞬間冷静になってしまった。果たして自分はゴキブリを笑えるほどの存在なのだろうか。Ank Rougeのようなガーリーコーデの女の子を見かけると自然と視線が吸い寄せられてしまうような男に、果たしてゴキブリを笑う資格があるのだろうか。

本来人間というのは弱い存在だ。生身では暑さにも寒さにも弱く、大きな牙や爪を持っているわけでもない。対してゴキブリは強い生命力を持ち、人間が絶滅してもゴキブリは生き残ると言われているほどだ。

ただ道具を起用に使いこなすことができるだけの体毛の薄いサルがゴキブリをバカにできるほどの何かがあるのだろうか?

まあ、バカにできるほどの何かがあるかは置いておいて、奴らは病気を媒介する。だから駆除するしか無い。生き残るためなら自分以外は全て敵だ。それは理屈ではない。

ひらめいた

とある人がインドカレーが好きだったとする。

ある日その人はインドカレーが食べたくなり、行きつけのカレー屋にやって来た。なんとその日はナンが売り切れ!(そんなことまずないけど)

仕方がないのでカレーとライスを食べて帰ってきたものの、ナンともスッキリしない。

またある日ネットでナンの作り方をネットで見かけ、家でナンを作り、食べた。これだ。自分が好きなのはインドカレーではなく、ナンだったのだ。ナンということだ!

 

人生似たようなことが割とよくある。しかもなかなか気づけなくて、ある日弾けるように気づいてしまうのだ。

こんな記事書いていたらインドカレーとナンが食べたくなってきた。カレーは有料だけど、カレーを頼むとナンは食べ放題だったりするからついナンをナン枚も食べてしまう。熱々のナンはホントに美味しい。気がつけばカレーそっちのけでナンを食べ続けてしまい、気がつけばカレーが冷めてしまってナンとも悲しい気持ちに……。