親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

進化の証

本日、開発を続けていたアプリをリリースした。

この業界で働くようになってしばらく経つがやはりこのリリースという行為は緊張する。アプリに限らずWebサービスは基本的に一度リリースして終わりということはない。継続的に修正を加えていくことが殆どだ。何かあればバグ修正をすることは可能だし、自分の作ったアプリのミスによって誰かが死ぬことはまずありえない。したがってあまりリリースを怖がる必要はない。

とは言ったものの、その時点においての出来を評価されることには変わりない。都合上妥協してしまったところもあるし、後になってあそこはああすればよかった……と思うところもある。しかし、そうやって振り返ることで「これからも頑張ろう」という気になってくる。仕事が苦痛でしかない人が世の中には大量にいることを思うと、自分は恵まれているのだな。と思う。恋人はいないけど。私将来有望ですよ!いかがですか!

 

とまあ、後で直そうと思えば直せるアプリでも一つの完成形として世に出す瞬間の怖さがあるのだから、一度発表してしまえば直すことがほぼ不可能な音楽や小説のようなものを世に発表してそれで食っていっている人はそれ以上の恐怖を感じているのだろうか。だとすると尊敬の念を抱かざるを得ない。自分の過去の作品を振り返るといくらでも「ああすればよかった」というのが思いつくのではないだろうか。それでも直すことは基本的に許されない。その苦しみはおそらく本人にしか分からないだろう。

しかしそうやって「ああすればよかった」と思うからこそ人は次はもっといいものを作ろうと思えるのだろう。人間満足したらそこで成長は止まる。いい感情ではないが、成長するるためには必要な感情だ。

まるで想像がつかない

人は自分自身の事を話したいという欲求がある。

https://wired.jp/2013/08/23/talk-about-myself/

そしてこのブログも大部分がその欲求からできている。

という話を人にしたところこんな質問をされた。

「を水さん自分の話を聞いてくれる恋人ができたらブログ書かなくなっちゃうんですか?」

どうなのだろうか。書かなくなってしまう気がする。Twitterを始めてもう10年くらい経つがその間何人も『よくTwitterに浮上していたのに、恋人ができたり結婚したりして全くTwitterに現れなくなってしまった人』を見てきた。

自分もごく普通の人間なので彼らと同じ状況になったら全くTwitterに浮上しなくなってしまう可能性が高い。しかし、ブログを書くこと自体が好きなのでノロケブログになってしまう可能性もある。……全く想像がつかない。想像がつかない事はどうなるかわからない。

そもそもよく考えたら好意を持ってる人には自分の事を知ってもらいたい欲求より、その人の事を知りたい欲求の方が強いのでやっぱりブログを書き続けるのかもしれない。いやしかしやはり書かなくなりそうな気もする……分からない。

永遠は無いんだと無いんだと云フ~↑

虚無感と敗北感を抱きながら新宿の街を当てもなく彷徨っていた。
楽しそうにウェイウェイ騒ぐウェイ達。完全に自分たちの世界に入っている幸せそうなカップルたち。彼ら彼女たちを眺めているとついよけいなことを考えてしまう。
こういう精神状態で繁華街を歩いていると自室に籠もっているときより強く孤独を感じる。いろんな意味で敗北感できつくなってくる。
しかし以前よりは若干マシに感じるようになってきた。なぜならこの悩みや辛さは永遠に続かないから。この悩みや辛さは自分という個体が命を失った瞬間消滅する。そしてある程度期間が推定できる。
最近までこの悩みや辛さが永久に続くように錯覚してしまっていた。だから悩みや辛さを本来より深刻に感じすぎてしまっていた。
だが最近「永久に続くわけではない」ということに気づいてから何かあっても「ま、いっか。永久に続くわけじゃないしな」と考えることで楽になれるようになってきた。
まあ、だからといって悩んでいる人たちに向かって「大丈夫。その悩みは永久には続かないから!」なんて言えないが。

hugっとシナモン

最近ますます暖かくなる一方だ。今日の昼間はシャツにジャケットという服装でも寒さを感じることがなかった。

しかし、夜はまだ寒い。かといって暖房を付けるのは少し躊躇する。家にあるでかいシナモンのぬいぐるみを抱きしめることにした。かなりでかい。

かわいいので前から抱きしめたくなるが、後ろから抱え込むように膝に乗せて抱きしめる。抱きしめてしばらくすると体温でシナモンが温まってくる。シナモンの元々の柔らかさと相まって心地よい気持ちになってくる。

昨日に引き続き幸せな気分になってきた。間違いなく幸せホルモンことオキシトシンが大量に分泌されている。幸せな気分になれるのはいいことだ。

そのまま幸せな気持ちに浸っていたらガーリーな恋人なんて別にいなくてもいいじゃん。と思えるようになってきた。シナモンさえいればいい。

シナモンってなんでこんなにかわいいのだろう。おっさんすら虜にしてしまうシナモン。恐ろしい子……。

 

恋人を創造して幸せを手に入れるライフハック

今日の昼間はまさに絶好の散歩日和だった。こういう日に散歩をしていると歩いているだけで幸福度が上昇していく。

それと同時に「こんな日に恋人と手をつないで歩くことができればさらに幸せを感じられるんだろうな」と思わずにはいられなかった。しかし、そんな相手はいない。最後に女の子と手を繋いだのはいつだろうか。おそらくお風呂屋さんに行った時以来だろう。

手を繋ぐ相手がいない事は特に問題ない。いないならば作り出せばいい。というわけで恋人と手を繋いでいる体で散歩をすることにした。

ならば、せめてイメージしろ。 現実ではいない相手ならば、想像の中で手をつなげ。

強くイメージをするといつの間にか自分の横に本当に誰かが歩いているような気がしてくる。おぼろげな輪郭が自分の横の空間に何かが見えるような気がしてくる。ガーリーな服を着たロングヘアの女の子が......!

そしていつの間にか自分の手の形は人の手を握っているような形になり、手のひらは前を向いていた。

そうやって『恋人と手を繋いでいる体』で散歩をしていたらいつの間にか全身が多幸感で包まれていた。まるで心臓から普段より温かい血液が全身に送り出されていっているような、自分の心が丁度いい湯加減の風呂に浸かっているような、そんな感覚だった。どうやらイメージは成功したようだ。

その後、狭い道を反対側からやってきた人とすれ違った時に不思議な事が起こった。

反対側から来た人とすれ違うとき、身体を横に捻ってやり過ごした。もしイメージ上の彼女が本当に存在していたら自分の後ろに彼女が来てしまう状況だ。再び二人が並んで歩くためには彼女に少し早歩きで前に来てもらうか、自分が止まるしかない。

もちろんイメージ上の存在なので歩く速度を落としたりせずそのままの速度で歩こうとしたところイメージ上の彼女と手を繋いでいる手が違和感を発し始めた。ある種の気持ち悪さを感じた。

そのある種の気持ち悪さは自分が少し立ち止まってイメージ上の彼女と再び横並びになるまで続いた。

その後も早歩きだと手が後ろに引っ張られるような感覚があったし、立ち止まるとその感覚が無くなったりと不思議な現象は続いた。

イメージでこうなのだから、その辺で手をつないで歩いているカップルが皆幸せそうな表情をしているのも納得だ。いいなあ。

ちなみにタイトルが『創造』になってるのはわざとだ。実際創造できてるし。

Non-special day

人間誰しも子供の頃は自分の事を特別な存在だと思うものだ。

しかし年を取っても自分の事を特別だと思い続けることができる人間はごく僅かだ。人生のどこかで自分より遥かに才能を持つ人間に完膚無きまで叩きのめされたりして現実を知る。

と言っても完全に自分は取るに足らない平凡な存在なんだ。と割り切れる訳ではない。平凡な日常を送りながらも、心のどこかで少しは自分の事を特別だと思いながら、もしかしたら大逆転の日がやってくるのではないかと期待をしながら日々を過ごしていく。

今の平凡な生活を捨てて文字通り死ぬ気でやればひょっとしたら大逆転の日がやってきて、平凡な毎日からお別れできるかもしれない。

しかし平凡で退屈だけど、なんとか食っていける生活を捨てるのは惜しい。なんとかしたいと思いながら後回しにしていると寿命を使い切り、時間切れになる。

自分自身も今、なんとかしなければ......と思いながらも平凡未満だがなんとか生活していける毎日を捨てきれず少しずつ死へ向かって歩いていっている。

仕事は割とやりたいことをやれているし、充実感もある。もし今の会社が潰れても手に職が付いているのでどうにでもなるだろう。

しかし、あくまで『仕事としてやりたいことをやれている』だけだ。他にやりたいことはいっぱいある。ガーリーでヤキモチ焼きでかわいい恋人は欲しいし、もっと映画を見たり小説を書いたりしたい。

しかし当然だが恋人は空気中から発生したりしないし、時間は湧いてくるものではない。仕事をしつつ時間を作って毎日残った時間で少しずつできるようになるために今やれることをやっていくしかない。それが現実だ。

それでもやはりどこかで「俺はこんなこと(1日の1/3以上を労働に費やす毎日)をしてる場合なのか」と思っている自分もいる。

まあ、こんな事をしていくしかない。現実問題無職になって日に日に減っていく貯金を目の当たりにして平静を保てる人間なんて殆ど存在しないだろう。働いて給料をもらってある程度金銭的に余裕があれば精神的にもある程度は平静を保てる。もし何かでずば抜けたスキルを持っていてたまに働くくらいで大金が入ってくるならばいざ知らず、今の状態でできることをやっていくのがいいのだろう。

とりあえず今は明日にでも空気中から美少女が湧いてくる事を期待しつつ、明日も頑張ろう。

クソみたいなツイート

昼休みにTwitterのTLを眺めていたら羨ましさのあまり嫉妬の炎で人体発火現象が起きてしまいそうになるほどのツイートが流れてきた。

これはまずいと思ったのでとりあえず目を閉じて深呼吸をする。気持ちを落ち着け、そのツイートをしているアカウントをブロックする。

これで二度と視界に入ってくることはない。安心だ。ついでに似たようなツイートがTLに流れてこないようにミュートワードを追加する。さらに安心だ。

最近はもう躊躇せずにブロック機能を使っている。ミュートワードも自分のツイートがミュートされてしまうこともあるが我慢して不穏なツイートによく含まれているワードはミュートワードに登録している。面倒だが快適なTwitterライフのためだ。仕方ない。

そうやって自己防衛してるにも関わらず、毎日何かに怒っているクソみたいなツイートがRTで流れてくる。

そんなクソみたいなツイートがTLに現れるたび「こんなクソみたいなツイートをRTしてフォロワーに見せて何が面白いんだ...バカなの?」と思いながらそのRTで流れてきたツイートの主をブロックする。

そういうクソみたいなツイートをRTする人をフォロー解除してしまえばいいのだが、なかなか難しい。いっそTwitterをやめてしまえばいいのかもしれないが、やめても何も解決にはならない。TwitterをやめてしまったらTwitterで仲良くしてくれている人たちの殆どとは永遠の別れになってしまう。

Twitterをやめたからと言って友達や恋人が湧いてくるわけではない。例えるならばキモオタからオタ趣味を取り上げてもキモはなくならないのと同じだ。もし友達や恋人が湧いてくるなら今すぐやめる。とりあえずTwitterをやめたいので恋人、湧いてきてくれませんかね?