親指がボロボロ

日常で思ったことを書いていく雑記ブログ

独身中年の生きる道

twitterのTLを眺めていたら楽しそうに飲み食いをしているツイートが流れてきた。虚しくなってくる。twitterを閉じる。twitterのおかげで感じずに済んでいた孤独感に襲われる。twitterは孤独を紛らわすの事ができるツールなのだなと改めて実感する。悲しくなってくる。明日は誕生日だと言うのに。いや、明日が誕生日だからこんなふうに悲しくなってくるのだろう。今まで何度も一人で過ごす週末を繰り返してきた。なのに今日は特別悲しく思うのはきっと明日が誕生日だからなのだろう。

こんな状況になってしまったのは過去の自分のせいだ。誰も悪くない。だが「どうしてこうなった」と思ってしまう。思ったところでどうしようもないけど。無力感と孤独感が混じり合って辛くなってくる。

こういう時の解決方法は一つ。ネガティブな感情を無視すること。無理に向き合おうとすると壊れてしまう。だがいつまでも無視しているわけにはいかない。いつか戦わなければいけない。だけどどうすればいいのだろうか。分からない。いや、弱ってるときこそそういう事は考えてはいけない。本を読もう。小説を書こう。プログラミングをしよう。楽しいことをしよう。

 

 

一冊の本をもっと楽しむ方法

小説でもマンガでも、一冊の本をもっと楽しむ方法。それは自分が面白いと思った作品のアマゾンレビューの低評価(☆1~☆2)を見ることだ。

自分とは真逆の評価は自分には無い視点から評価しているので読んでいて興味深い。そして低評価レビューに限って妙に文才のあるレビューがあったりする。低評価だけど「お前この作品ものすごく好きだろw」と愛を感じるレビューもあったり。一度この楽しみ方を知ってしまうともうやめられない。

読み終えて「あー面白かった」と自分の中で完結するのもいいが、自分とは真逆の評価をしているレビューを読むことで自分の中で完結させるより何倍も楽しむことができる。自分が面白いと思った作品の低評価レビューを見るのはちょっと抵抗感があるが、ぜひ一度読んでみて欲しい。

 

商売は金を稼いでなんぼとはいえ

最近はクリエイターにファンがお布施ができる仕組みが数多くある。そしてtwitterなどのSNSでクリエイターに直接感想を送ることができる。令和の今、クリエイターとファンの距離は以前に比べて格段に近くなった。クリエイターにとって本当にいい時代になったと思う。

クリエイターとファンの距離が近くなったおかげだろうか、女性クリエイターが自撮りを上げたり、手書きのメッセージカードを送ったりなど『女性』を売りにしたクリエイターを見かけるようになってきた。いいのかそれで。

確かに短いスパンで見ればお金になるのかもしれない。だが長い目線で見たらあまりいいこととは思えない。若さは有限。年を取ったら使うことができない手段だし、クリエイターなんだからそういう技じゃなくて創作物で勝負したらどうなんだよ。と思わずにはいられない。それを持ち上げてる男どももまるで女神のように崇めるからますますそういう売り方をするようになってしまう。

だけど別にいいのかな。誰も不幸になってないし。クリエイターはクリエイターでお金になるし、ファンはファンで幸せだろうし。誰も不幸になってないならそれでいいのかもしれない。

 

あれはなんというブランドなのだろうか?

帰宅途中に改札へ向かう道を歩いていると、いかにも姫!という服装をした女の子が歩いていた。最近いかにも姫!な女の子を街で見かけると思うことがある。

「あれはなんというブランドなのだろう?」

いかにも姫な感じな服装と一口に言っても色々種類がある。セーラーワンピースとか、人形が着てそうなのとか。調べてみると奥が深い。ブランドの数も想像以上に数があり、ブランドごとに特色があってホームページを眺めているだけで楽しくなってくる。こういう時は少しだけ「女に生まれたかったな」と思ってしまう。

だがそれは叶わぬ願いなので違う楽しみ方を探してみようと思う。例えばその辺歩いてるいかにも姫な感じの人が着ているブランドを当てられるくらい詳しくなってみるとか。いざできるようになったらドン引きされそうな気がするがw

 

 

いつもどおり

お店で店員さんと一言二言交わす以外誰とも話さない土日だった。いつものことだ。

もちろん寂しいと少しは思う。だが一人は一人で気楽なもんだ。それに早くから孤独になじみ、孤独を愛するところまできた人は、金鉱を手に入れたようなものと哲学者のショーペンハウアーも言っていた。金鉱を手に入れたい。

だがやっぱり休日に一人で街を歩いていて周りと見渡すと寂しくなってくる。慣れてはきたけど。

このまま何もしなければ孤独を感じる人生が続いていくのは間違いない。嫌だなーと少しは思うのだが、同時に「まあこのままでもいいかな」と思っている自分もいる。

おそらく今が一人でいるか、誰かと一緒にいるために行動を起こすかを決めることができるギリギリの年齢なのだと思う。

生物的には子孫を残せないのは負けなのだが、人間の場合は別に負けではない。負けと思う人もいるのかもしれないが、それは古い考えなのではないかと思う。だが間違った選択肢ではない。沢山ある選択肢の一つであってそれを選ぶのは間違いでも正解でもない。

ちなみに将来の自分はこれからも孤独を感じる人生を選ぶと思っている。一人でいることに慣れすぎた。もしかしたらこの人と一緒にいたいと思えるのような出会いがあるのかもしれないが、現実は 蒔いた種しか刈り取れない。出会いが欲しければそれなりの事をしなければならない。マンガやアニメみたいなことはまず起こらない。

と、ここまで書いて思ったことがある。

「前にも同じような記事書いたな!」

良くないことだ。人生が停滞してる証拠だ。こんなことがないように色んな所にアンテナを張っていこう。

 

 

全裸でブログを書いてみた

妹さえいればいい。のメインヒロインの可児那由多は全裸でないと小説を書くことができない。もしかしたら全裸になっているという開放感があればいい記事が書けるのでは!と思ってこの記事は全裸で書いている。

 

残念ながら全裸になれば面白いアイディアが湧いてくるなんてことはなかった!!

なんというか、最近ブログを書いてもすっきりしない。内側からこんな記事書きてえ!というエネルギーが以前に比べて湧いてこないし、最近の記事を見返しても正直読んでてつまらない。書いてる時に全然やる気が無かったのが丸わかりだ。

やっぱり最近精神的に安定してきているのが原因なのかもしれない。精神的に不安定だと内側から負のエネルギーが無限に湧いてくる。それをブログを書くのに使うと手が勝手に動いてるかのように楽しくブログが書けた。そして書き終えると少し気分が楽になるのだ。

だが今は精神的に安定してるので負のエネルギーが全く出てこない。ブログを書くのは相変わらず楽しいが、エネルギー不足感がある。慣れたらエネルギー不足でも問題なく書ける日が来るのだろうか。この記事もなんか違う、なんか違うと思いながら書いていた。なんか違うけど、直してたらきりがないのでこれで公開する。

気がついたら全裸とは全く関係ない内容になっていた。まあ別にいいか。全裸になることに特に意味はないし。

 

 

ヒゲ

最近色んな所で耳にすることがあるofficial髭男dismのpretenderという曲。
ちゃんと聴かずに「女々しい曲だな」と思ってしまっていた。だが一回ちゃんと聴いてみたら好きになってしまった。なんというか歌詞に共感してしまう。
だけど女々しいのは否めない。一途すぎる!女性はではこれくらい想われたいとかいいそうだけど、実際にこんな男来たら気持ち悪いって思ってしまうに違いない。
グッバイ、と最初の方で言ってはいるけど未練たらたら。女に気持ち悪がられるタイプの男じゃん。と思ってしまう。曲自体はすごく好きだけど!
というかなぜ非モテは一途に思い続ければ振り向いてもらえると思ってしまうのだろう。多感な時期に一途で思い続けて結ばれたような作品を見たから?だがそんな作品を見た記憶がない。

多感な時期にいろんな作品に触れてきたが、ヒロインとの第一印象は最悪でいつの間にかヒロインが惹かれていたり、妙に鈍感だったりそんなのばっかり見てきた気がする。なのになんで一途が正解なんて思ってしまうんだろう。考えてみるとこういう一途すぎる男の歌はこの世にありふれてるし、それに影響された?いやわからない。
なんでこうなんだろうか。誰か教えてくれ。